見出し画像

新しい歳の1日目を振り返って

雨が降る前には冷たい風が吹く。

昨日、美容師さんとそんな話をしたことを思い出した。

バタバタという音とともに強い雨が降り始め、あっという間に世界はずぶ濡れになった。

昨日が今日のような天気だったら、昨日体験したような素晴らしい時間はきっと過ごせなかっただろう。

昨日はお昼頃にセッションを終え、街の中心部に出かけた。
誕生日の日に髪を切ること、その前に日本食やさんで食事をすることを決めたのは2週間ほど前のことだった。

2年前の8月2日はドイツで過ごす最後の日だった。
大切な人に祝ってもらう最後の日。嬉しさとさびしさがないまぜになった日。

そして翌日、わたしは一人、オランダに向かった。

そのときにわたしはやっと、本当の意味での「異国での暮らし」を始めたのだと思う。

お気に入りのワンピースを着てカーディガンを羽織り、中心部へ向かう。
雑草の茂ったトラムの線路の上を歩き、去年我が家に滞在した大学生が一緒に散歩に出かけたときに「ジブリみたい!」と声をあげたことを思い出す。

街の中心部までは、いくつかの商店街を通り抜け運河沿いを歩いて行くことができる。家の立地というのも大事だが、同時に、周辺に気持ちの良い散歩道があるかどうかも私にとってとても大事な要素だ。そう思うと、全くもって選択肢がなかったなかで入居することができた現在の我が家とは、奇跡の出会いをしているのだとさえ思う。

街の中心部に近く。そこそこ車の往来があるエリアに来てもなお、歩行者が道路を横断するのに、信号がなく横断歩道のみが書かれている場所がある。オランダに来てしばらくはそんな場所でも車を優先しようと横断歩道に踏み出すことを躊躇してしまっていたが、減速をし、笑顔で「どうぞ」と手を差し出す運転手に繰り返し繰り返し出会い、信号がなくても「横断歩道を堂々と渡っていいんだ」と思えるようになった。それでも、そんな場面で交わされている小さなコミュニケーションが私は大好きで、今では横断歩道を渡るときに車が来ているときに楽しみを感じるほどだ。

食事をしようと向かったのは、街の中心部の、観光名所にもなっている教会の横にある日本食のお店だった。夜はレストランになる場所を、週末のランチタイムだけ間借りしているという。

屋外に置かれた席では、前回、数週間前に冷やし中華を食べたときに話をしたスタッフの女性が二人組みのお客さんと話をしていた。

「こんにちは」と声をかけてくれ「ちょっとだけ日本語がしゃべれます」というその口ぶりから、しゃべれるのがちょっとだけではないということがすぐに分かった。私が知る限り、日本語を学んでいる人は物腰まで日本人っぽくなることが多いように思うが、「ちょっとだけ」という謙遜の言葉をつけるのもその流れだろうか。それとももともと、そういう気質を持っていた人が、日本の文化や日本語を好きになりやすいのだろうか。

日本語を話す男性は、日本人の血が入っているという。一緒にいる女性はイタリアから来てオランダに住んでいるということだが、やはり日本語が堪能だった。ライデン大学の日本語学科で日本語を1年学んだところだというが、1年間の学習でそこまでしゃべれるようになるというのは驚きである。(ちなみにライデン大学の日本語学科を卒業した学生は日本語がほぼぺらぺらになっている。オランダの語学教育には何か特殊なメソッドのようなものがあるのだろうか、それとも日本の外国語教育がよっぽど実用的でないのだろうか。)

男性が持っていたサッカーのユニフォームを見せ、「これが自分の名前だ」と言った。そこに書かれていた「NAGAOKA」という文字を見て、「日本に長岡という町があって、そこは、日本でも有数の、美しい花火を見ることができる花火大会が開催される場所だ。京都のように、昔、都があったこともある」ということを伝えた。男性もNAGAOKAという町があることは知っていたようだが、花火大会のことは知らなかったようで、顔をほころばせた。

ハーグが静かで好きだと話すと「ここが静かだと感じるの?」と驚かれた。彼らは、ハーグの人たちは日本人よりも話しをする声が高いように聞こえるという。その場では、日本はそもそも色々な音がするから人の声が聞こえづらいのだろうということを話したが、今改めて考えてみると、日本人の発声というのもオランダ人、とくにオランダの都会の人たちとは違うのだろうという気がしてくる。(私にとってハーグは都会ではないのだが、他のオランダの街に比べると随分と都会なのだろう。)日本人の控えめな話し方やそれと連動した発声が、オランダの人にとっては落ち着いたものに聞こえるのかもしれない。

そんなことを考えているうちに注文したカレーがやってきて、それとほぼ同時に近くの席に日本人の男性がやってきたのでせっかくなら一緒に座りませんかと声をかけ、今度は日本人の男性との話が始まった。

その店では数週間前に冷やし中華を食べたことがあり、それはとても美味しかったのだが、その美味しさを伝える相手がおらず、「美味しいものは人と一緒に食べると、より美味しく、楽しくなる」という考えがあったことに加えて、電車の中や道端でも人に気軽に声を掛けるオランダの人々の気質が、私のもともと持っている気質を開花させているのだろう。知らない人に声をかけるというのにもはや全く抵抗がない。「大阪のおばちゃん」の気持ちが、今ならよく分かるように思う。

聞くと男性はデルフト工科大学の博士課程に所属しているという。企業からの派遣のような形で今年の2月にオランダにやってきたが、すぐに学校が休みになってしまったそうだ。地盤に関する研究を行なっているようで、私も大学のときに都市工学を先行していたことから、大学卒業以来、ほとんど出会うことのなかったジャンルの研究者との偶然の出会いが嬉しく、ついつい根掘り葉掘り色々なことを聞いてしまった。思い返すと、随分と馴れ馴れしかったように思うが、それもオランダ式ということにしておこう。

カレーはもちろんのこと、誕生日のお祝いにとサービスで出してもらったチーズケーキが飛び上がるほどに美味しく、チーズケーキを食べ始めた前半は「これをここで作っているのかなあ。すごいなあすごいなあ」とつぶやいていたものの、後半は黙々と食べた。本当に美味しいものに出会ったとき、人は言葉を失うのだろう。言葉では表現できないものに出会うというのは何と幸せなことだろう。言葉では表現できないこと、伝えられないことがあるからこそ、大切な人とは体験を共にしたいと改めて思った。

食事を終え、店の女性と一緒に食事をした男性にお礼を伝え、美容院に向かった。途中、ハーグの観光名所の一つであり、オランダの政治の始まりの場所とも言われる場所を通りかかると、そこにある景色がこれまた美しく、日本から人がやってこられなくなってしまったことを本当に残念に思った。2020.8.3 Mon 9:13 Den Haag

このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。