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「大の苦手」を「ちょっと楽しい」にするオランダ的7つの関わり −料理下手な私にパートナーはどうやって接しているのか−
何を隠そう、私は料理が大の苦手です。
以前、焼き鳥屋で働いていた友人に「味付けも火加減もセンスがない」と言ったら「焼き鳥は焼けないね」と笑われましたが、実際のところどんなお肉も「いい具合」に焼けた試しがありません。
あまりに料理ができなかった私を見かねてか、大学生になったときに母が一年ほど料理教室に通わせてくれましたが、それで「かろうじて包丁を持つのが怖くなくなった」程度。
レシピがあれば食べられるものを作ることができますが、「目分量」や「ありものを使う」なんてもってのほか。
仕事のことや好きなことに関しては色々なアイディアが湧いてくるのに、料理のこととなると完全に頭がフリーズするので、料理の手前でスーパーで買い物をするだけでぐったりしてしまいます。
そんなわけで、一人で暮らしているときは「からだにいい食べもの」というていで、スーパーフードを中心にしたほとんど「料理をしなくていいもの」を食べていました。
そんなわけで、一緒に暮らすオランダ人のパートナーにも、出会った当初、「理想の人に出会えた!料理が苦手なことを除いてはね」と言われる始末。(ストレートすぎる…苦笑)
そんな私も彼と暮らすうちに料理がちょっと楽しくなってきました。
どうやって、超絶苦手なことがちょっと楽しくなってきたのか。
相変わらずサンプル数1なので「オランダ式」とは言えませんが、おそらくざっくりオランダっぽいであろう、彼の関わり方をご紹介します。
1. 苦手なことは無理にやらせない
オランダで生まれ育ちアジアの色々な国で暮らしてきた彼はとっても料理好きで色々な料理を作ることができます。
そしておそらく、一緒に料理をするのも大好き。
一緒にキッチンに立つととても嬉しそうに料理をします。
それでも私が自分でキッチンに行くまで特に何も言ってきません。
基本的にはひとりでさくさく料理を作ります。
そして自分が料理をする気が起きないときは「今日は外で食べようか」と言ってきます。
この後ご紹介するように、私が何か作ったときは大袈裟に反応してくれますが、それでも決して私が自発的にやろうとしているわけではないときに料理をさせようとはしない。
これは、「ちょっと楽しくなる」に至るにおいて、とても大切なプロセスだったなあと感じています。
2. 役割に名前をつける
確か初めて彼とキッチンに立ったときのこと。
「You are sous-chef!」と言われました。
sous-chef(スーシェフ)とは副料理長のこと。
特段何ができるわけではないけれど「スーシェフ!」と言われると、なんだか何かができそうな気がしてきます(単純)。
とりあえず、メインディッシュを作る彼の横でちまちま野菜を切ってサラダを作ってみたりして。
また別の日、私がお鍋でお米を炊くことができることを知った彼は「You are rice-chef!」と言ってきました。
「あなたがライスシェフだから、お米のことは任せた!」と。
そう言われると、「美味しくお米を炊くぞ」という気がしてきます。
どうやら人は役割に名前をつけられてそれを任せられると責任を持ってやる気になるようだということをこの経験から実感しました。
3. 作ったものは大いに褒める
料理に関してクリエイティビティの「ク」の字もない私ですが、いつも素敵に盛り付けられた料理を見て「なるほど、見た目というのも大事なんだなあ」と思うようになりました。
そこである日、見様見真似でサラダを盛り付けてみたところ…
彼が「Beautiful!!!」と目を輝かせて喜びました。
「え!?そんなに!?」と思うくらい。
でも大袈裟に言っているというよりも、子どもが目を輝かせて喜んでいるような感じです。
サラダにかけるドレッシングを作ると「Creative!!!」「Delicious!!!」「Awesome!」「スゴーイ!」と褒め言葉の嵐。
そう言われると「次も作ってみようかな」という気になってくる。
我ながら単純だなあと思うけれど、やっぱり喜ばれたり褒められると嬉しいものですね。
4. ちょっとでも一緒に取り組んだなら「一緒に作ったんだよ!」
私とは真逆で本当にビックリするくらい料理について(それ以外にも生活全般)クリエイティブな彼ですが、「あなたの作った料理は本当に美味しいね」と言うと、「一緒に作ったんだよ!」という言葉が返ってきます。
私がやったことがどんなに少しだけでも、一緒に取り組んだのであれば、できたものは一緒に作ったもの。
「私たちが作ったもの」として、それを「美味しくできた!」「クリエイティブだ!」と楽しそうに喜んでいる人と一緒にいると「料理ってなんだか楽しいかも」という気がしてきます。
5. 聞かれたときだけ教える
包丁の使い方から火加減、塩加減…本当に何から何までおぼつかない私。
それでも彼は、私がやっていることに特に「ああした方がいい」「こうした方がいい」と言うことは言ってきません。
こちらの記事でも紹介しましたが、彼は基本的には「ゴールを共有すればプロセスは気にしない」というスタンス。
それでも、私がどうしたらいいかと聞いたときは必ず、丁寧に教えてくれます。
それも、一旦、「私はこういう風にしたくて、そのためにこれをこうしようと思っているけれど、これでいいのかな」という私の話をひとしきり聞いてから、「だったら…」と教えてくれる。
「自分の考えを試してみてもいいし、分からないことは聞けば教えてくれる」というのは苦手なことをやる上で大切な「安心感」を作ることのとても後押しになっていると感じます。
6. 苦手だけどどうしてもやらないといけないことは、できるだけ楽にできる方法を教える
私は料理だけでなく料理のための買い物も本当に苦手です。
スーパーの棚に色々な種類のトマトソースが並んでいるのを見ると「どれを選べばいいのやら」と気が遠くなります。(だから、選択肢の少ないオーガニックスーパーが好きです)
あまりにエネルギーを使うので、「食材についてどれがいいかと、お願いだから私に聞かないでほしい」と言ったことがあるくらい。(彼はどれがいいか話しながら決めたいタイプのようですが…スーパーの買い物だけはごめんなさい!)
そんな中、彼が寝込んでどうしても私が一人で買い物に行って料理を作らないといけないことがありました。
私が献立を考えることとスーパーで買い物をすることがとても苦手だと知っている彼は、(おそらく熱が出てとても辛い中で)「これとこれとこれを買ってね」「なかったらこっちでも大丈夫だから」とミニマムで明確な買い物リストと献立を教えてくれました。
自分にとって何でもないことでも苦手な人にとっては本当にビックリするくらい大変ということがあります。
相手が苦手なことをどうしてもやってもらわないといけないときは、できるだけ楽にできる方法を具体的に教える。
「苦手だけど大嫌いにはならない」ために、大切な関わりだったなあと振り返っています。
7. いつも同じクオリティを求めない
料理が「とっても苦手」から「ちょっと楽しい」になってきた私ですが、日によって他にもっとやりたいことがあることもあれば、「一緒に料理をしようかな」と思うこともあります。(ごくたまに、一人でも何か作ろうかと思うこともあります)
そこそこ上手に味付けができることもあれば、なんだかイマイチということもある。
そこそこ素敵に盛り付けができることもあれば、そうでもないこともある。
それでも彼は「できないこと」「やらないこと」について何も言ってこない。
人は「できるようになったならいつでも同じようにできるでしょう」と思いがちですが、実はそうでもありません。
そのときどき、取り組むことや自分自身の状態によってできることも変わってくる。
だから、「一回できたからいつもできるでしょう」ということを求められると苦しくなってしまう。
それを知ってか知らずか、とにかく、「できてもできなくても気にしない」というスタンスでいてくれるととても楽だなあと感じます。
ごきげんに毎日を過ごすために
これまでは苦手な中でも「大切な人にせめて健康であってほしい」と料理を(私なりに)頑張ってみたときもありましたが、それはやっぱり、「無理矢理頑張っている」という感じで、今思えばどこかに苦しさがあったのだなと思います。
今も相変わらず私は料理上手でも料理好きでもありませんが、彼と暮らして料理がちょっとだけ楽しいと思えるようになりました。
この、「得意ではないけれど、楽しいと思える感覚」は、ごきげんに毎日を過ごす上で大切なことのひとつなのではと思っています。
そして、苦手なことに必要以上にエネルギーを使わない分、好きなことや得意なことに大いにエネルギーを使うことができているとも感じます。
また、もしかしたら何かの理由で「苦手」と思っていたものが、やってみると実は好きだったということもあるでしょう。
あなたは、家族や仲間の「苦手」にどんな風に関わっていますか?
あなたの声のかけ方の一つで、「苦手」が「ちょっと楽しい」に変わることを後押しできるかもしれません。
「好き」や「得意」は大いに発揮し、「苦手」も「ちょっと楽しいな」と思えるような声かけや関わりが増えていくといいなと思っています。
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