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あの角まで行こう

すっかり日は昇っていたが、自転車で出かけることにした。
スマホは置き、鍵だけ持って家を出る。

家の周りの比較的平らな道を気持ちよく走り、
ダムの隣の公園の坂を、自転車を押して登る。

ダムの横まで来ると、見晴らしの良い景色に心地よさを覚える。

そのままダムの上の道を走って家の方に戻ろうかと思うものの、
もう少し進もうという気持ちが湧いてくる。

しばらくして、道路の脇に入っていく小道が見える。

先日、ピーターさんと二人でサイクリングをした道だ。

でも今日はピーターさんはいない。

どうしようかと迷うけれど、小道に入ることにする。

数十メートルも進まないうちに、左手の草むらを何かが走り抜ける。
うりんこ(いのししの子ども)だ。

この間温泉の帰りにたくさんのうりんことお母さんいのししの集団に出会い「カワイー!」などとキャイキャイ言っていたのだが、
それはのんびりと車の助手席に座っていたからできたことだ。

今は一人で、自転車である。

いのししファミリーに出会ったらどうしよう、と思うも、
近所の人がこのへんのいのししは普通にしていたら襲ってこないと言っていたことを思い出し、意を決して小道を進む。

石積みの棚田の間に小川が流れる山間やまあいの景色は美しいが、
勾配がきついので、再び自転車を降り、自転車を押して歩く。

先日来たときには田んぼの脇に彼岸花が咲き広がっていたが、
今日はそれが夢だったかのように跡形もなく花は消えている。

息が上がってなかなかにきついけれど、「あの角まで行こう」と思う。



バンコクからシンガポールまで約2,000kmを自転車で縦断したことがあるピーターさんは山道も楽々自転車を漕ぎ続ける。

体力も忍耐力もないわたしはその後をひいひい言いながらついていく。
少しの坂でも、すぐに自転車を降りて押し始めたりする。

前回ここに来たときも、自転車を降りたわたしを
少し先でピーターさんが待っていた。

「ダイジョウブ?」と聞かれ、
息も絶え絶えに「ダイジョウブ・・・」と答えると、
ピーターさんは「あの角まで行こう」と道が曲がってその先が見えなくなっているポイントを指し、悠々と自転車を漕ぎ始めた。

自転車を押してそこまで行くと、これまでとは違う景色が目の前に広がる。

重なり合う棚田と、流れる水の音が一層美しい。

少し先を行くピーターさんが今度は「あそこまで行こう」と、少し先の、
川に掛かっている橋を指差す。

橋までは下りだ。

「あそこまでは行けそうだ」と思い、自転車に乗る。



今日は一人だけれど、頭の中に「あそこまで行こう」という声が響く。

それを何度か繰り返し、棚田のエリアを抜け、小さな集落にたどり着く。
ふわりと、金木犀の甘い匂いがやってくる。

空中に浮かんでいる島に乗っているように遠くの山が見渡せる景色に、
えも言われぬ爽快感が身体を流れる。


ひとりだったらきっと、この感覚は味わえなかっただろう。

ひとりだったら、山の中の小道を自転車で走ろうとは思わないし、
もっと手前で引き返していたに違いない。

一緒に出かけて、少し先を行って、「あそこまで行ってみよう」と
言ってくれた人がいたからこそ、一人では行かない場所まで行って
美しい景色を見ることができた。
普段は味わうことのない感覚を味わうことができた。

一緒に出かけて、美しい景色を見る体験があったからこそ、
一人でも行ってみようと思えた。


自分について知ることも、同じようなところがあるだろう。

ひとりだったら、「ここまでにしておこうかな」とか「ちょっと怖いな」と思ったりする。

そんな中、「あそこまで行ってみよう」と、一緒に歩いてくれる人がいたら、「やってみよう」と思える。

そうやって出会えるものがある。

「そこで何かに出会うことができるんだ」、「遠くまで行ってもちゃんと戻ってくることができるんだ」と知っていたら、一人でも踏み出していくことができるようになる。


山も心も、たくさん旅をしていると鼻がきくようになる。

水辺で泳ぐのが好きなピーターさんは知らない場所でも、良い感じの水辺を見つける。道なき道を行くのが好きだけど、本当に危ないところには入っていかないようで、今のところ怪我をして帰ってきたということもない。


心は、基本的には今の自分が向き合うことのできるものに出会うようになっているのではと思う。だけれどもそこに扉があることに気づかないこともあるし、気づかないフリをすることもある。扉を開けた経験がなければ、その先に何があるか分からないから不安になる。

そんな中、自分自身で、そして誰かの旅路をともにあゆむという経験を積んでいると、その扉を今開けて大丈夫なのだということが分かるようになる。


だけど、一つとして同じ山がないように、一つとして同じ人間はいない。
一日一日、山がその姿を変えていくように、人も変化し続ける。

だから、目の前に起こっていることをしっかりと見つめて、知ろうとする。
今ここに何があるのか。何があったのか。何が起ころうとしているのか。

ひとりでは難しいことも経験を積んでいる人と一緒ならやってみることができる。
経験を積んでいる人と一緒にやっているうちにひとりでもできるようになる。

そうして、知らなかった世界に、世界の美しさに、自分自身の美しさに
気づくことができるようになる。



人の心や人生にともにあるという今の仕事を始めたとき、
経験や知識がないからこそ、ただ純粋にそこにいることができた。
だからこそ起こることがあった。

経験が重なっていって、学びを深めて、
あのときの純粋な自分はもういなくなってしまったことをさみしく思ったこともあった。

でも今は、経験を重ねたからこそ気づけることがあり、開けられる扉があり、ともに歩める道のりがあるのだと思える。
どんなに世界を知っても、ひとりひとりのいのちの美しさに圧倒されることはなくならないのだと思う。


一緒だからこそ深められることをともにし、
自ら歩みを進めるその道のりを祝う。

これからの10年くらい、そんな風に生きられたら幸せだなあと、
家に向かう下り坂でひんやりとした風を感じながら、そんなことを考えていた。

このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。