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ささやかな夢と手の甲の打撲

雨上がりの中庭、ガーデンハウスの屋根の角に薄いオレンジ色の毛をした小さな猫が丸まっている。調べ見るとどうやらあの色と柄の猫は「茶トラ白猫」と呼ぶらしい。数週間前に向かいの家の住人に「リッタロー」と呼ばれていた猫だ。

家の中の方がよほどあたたかいだろうに、なぜわざわざ外で丸まりたがるのだろう。

飛び交う鳥たちを見上げ目をキョロキョロさせる猫を見ながら、そんなことを思う。

私の専らの目標は猫と暮らすことだ。そのためには、期間の決まっているビザではなく、オランダもしくは欧州の永住権を獲得する必要がある。デリケートな猫に国をまたいでの移動をさせることは申し訳ない。永住権を獲得するためにはオランダ語の試験に合格するかオランダで大学院等に通う必要がある。どちらも難易度はなかなか高い。

そんなわけで、「猫と暮らす」というささやかな望みは、なかなかの難易度の目標なのだ。

願わくば猫だけでなく大きな犬とも暮らしたい。最近、YouTubeでグレートピレネーズという大きな白い犬の動画を見つけたのだが、その大きさと可愛らしさに早くもぞっこんである。大きな犬と暮らすには必然的に大きな家と大きな庭が必要になる。贅沢をしたいという気持ちはないが、「大きな犬と暮らせたらいいなあ」というのは、結構贅沢な夢なのかもしれない。

オランダでは中庭を囲んで連なる集合住宅でも犬や猫をと暮らしている人が多いが、長期のバカンスなどはどうしているのだろうか。日本よりもずっと犬や猫と泊まれる場所も多いのだろうと想像するが、それにしても、である。

オランダの人々の暮らしや人生のことをもっと知りたいけれど、そこに至るには言語という面でまだまだかなりの努力が必要で、しかしその努力をしようというほどモチベーションが湧かないというのが正直なところだ。

今朝はふと、一昨日手の甲を強打したときのことを思い出した。

いつもセッションの前には五十音の発声をしているのだが、その中の「お」の音であったか、はたまた「げ」の音であったか、とにかく腕を大きく動かす音のときに右の手の甲を机の角に打ち付けてしまった。しかもかなりの勢いでである。

足の小指の角を机の足にぶつけたときなどもそうだが、あの、地味なかなりの痛みをひとりで受け止めるときの寂しさと言ったらこの上ない。「痛たたた」とやっている私に「大丈夫?」と一言でも声をかけてくれる人がいたら、痛みの30%くらいは薄らぐんじゃないかと思う。

そんなことを思いながら「痛たたた」と一人やっていたら、右手の中指の付け根の部分がどんどんと熱を持って腫れてきた。動かすのにも痛みを感じるし、何よりもとても気分が悪い。身体中の血液が右手の中指の根元に集まって、他の場所の血圧が著しく低下しているんじゃないかと思うくらいで、頭がぐわんぐわんしてくる。

「骨折していたらどうしよう」という考えが朦朧とする頭に浮かんでくる。

痛さにめっぽう弱く、すぐに「骨折したかも」と大げさに騒ぎ立てるところは小さい頃から変わっていない。「骨折していたら泣くほど痛いのよ」という母の言葉を思い出し、「気持ちは悪いが泣くほどではないので骨折はしていないだろう」などと考える。

セッションまで残り20分ほどしか時間がないなかでどうにかせねばと思い打撲は冷やすのが良いということを調べ、冷凍庫に入っていた保冷剤をハンカチでくるみ、右手の甲に巻きつけ、ソファーに横になる。身体と意識に現れている症状は明らかに貧血のそれである。

10分ほど休み、どうにか気持ち悪さが薄らいだので椅子に座り、瞑想をし、ことなきを得た。

そんな大騒動を引き起こし打撲の箇所は今少し腫れていて押すと痛みを感じるくらいである。タイピングにも問題はない。

あんな風に頭がぐわんぐわんしたのは久々だったが、日本にいた頃の私にとっては「毎度のこと」だった。注射や採血をしようとするとよほど嫌なのかスーッと血の気が引いていく。どうにかこうにか椅子に座ったまま採血を終えるも立ち上がることができず、しばらくの間ベッドに寝かせてもらうというのが、私の健康診断での採血の常であった。

そんなことを思い出しながら、意識と身体のつながりの深さを改めて感じている。感じることは、血の流れにさえ影響を与えるのだ。「バイオフィードバック」という、身体に起こる変化を計測するという視点があるが、身体というのは結構正直で、心拍数や血圧、瞳孔の具合を診るだけでその人の心の状態は随分と分かるのではないかと思う。

言葉や表情はときに嘘をつく。それに比べて、体の見えない部分は意識的にコントロールすることもできないし、その人の心の状態を顕著に表しているだろう。

かと言って、人の状態をバイオフィードバックで計測するのは何だか味気ない。「どんな状態か」という結果を知ることよりも、知ろうとするそのプロセスが重要で、分からないことを知ろうとするそのプロセスが関係性をつくっていくことを後押しするのではないだろうか。

どんなに話を聞いてきた相手でも、時間を共にしてきた相手でも「知らない」「分からない」という気持ちを持ち続けたいものだ。

雲が流れ、中庭に光が差してきた。

自分のこともこの世界のことも、知らない。そんな風に今日を過ごしたい。2020.10.27 Tue 8:35 Den Haag

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