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木々に触れ、歩く朝

身体の中に澄んだ空気がいっぱいになっていることを感じる。血液もサラサラと流れる。鳥の声が聞こえる。

今日は、昨晩から決めていたように、白湯を飲んだ後に散歩に出た。

地球とつながっている木を触って「アース」をしようと思ったのだ。「お気に入りの木」のようなものを決めようかと思っていたが、運河沿いに生えている木は思いの外どれも大きく、たくさんあったので、一本一本、触れて「おはよう」と声をかけながら歩くことにした。舗装された道の脇に、土の道がありそちらを歩く。小さな花がそこかしこに咲いている。

「健康のためにと散歩することにはなかなかモチベーションが上がらないけれど、花を見つけるためだと思ったら楽しみになるなあ。今度から休みの日は街ではなく近くの森に散歩に行こうかな」なんてことを考える。

少し先を歩いていた犬が何度も振り返る。飼い主の青年に呼ばれても、こちらを向いて尻尾を降る。

実家にも犬がいる。犬には犬好きが分かるのだろう。

近づくとやはりこちらを見て、大きく尻尾を降る。「あなたに興味を持っているみたい」と青年が言う。普段なら気軽に手を伸ばすところだが、そうすることを飼い主はよく思わないかもしれないということが頭をよぎる。少し言葉を交わしてその場を後にしたが、「触っていいか聞けばよかったなあ」と後悔が湧き上がってくる。

まだリードでつながれていたから、きっと若い犬なのだろう。(オランダではリードでつながれずに犬が悠々と散歩していることが多い。)

「同じくらいの時間に散歩に出れば、またあの犬に会えるだろうか」と考えながら歩みを進める。

運河にかかる橋を渡り、元来た方角に戻る。

この道からは、運河の中に建てられたボートハウスが並ぶ様子が見える。オランダらしくて、好きな景色の一つだ。休みの日に、ボートを漕いだり、ボートハウスのテラスでのんびりと読書をしたいなあという願望が浮かんでくる。言葉だけ聞くと何だかとても贅沢なようにも聞こえるけれど、そこにあるのは物質的な贅沢とは違う、心の充足を表す贅沢だ。心の充足には、ある程度物質的に充足されていることも必要だけど、それは本当にある程度、最低限で十分だろう。たくさんのものを持つよりも、たくさん働くよりも、もっと大切なことがあるのだということを、オランダの人々の暮らしは教えてくれる。

散歩の始めに、我が家の並びの家の壁に「1897」という文字を見つけたことを思い出す。おそらく我が家も同じくらいに作られたのだろう。築100年をゆうに超えているということだ。

そうは思えないほど、どの家の外壁も手入れをされてシャンとしている。家の中もそうだ。先日、階段部分のペンキが塗り直されたが、そんな風にこの家は毎年のようにペンキを塗り替えられてきたのだろう。

引き継がれていく家。そしてその家に対するオーナーシップ。

それは単に「そうすれば家の資産価値が落ちない」ということに基づいた、オランダ人らしい目的合理主義からきている態度かもしれないが、それが人生に対するオーナーシップを育て、人生を豊かなものにしているのだろう。

この国の人々の暮らしから学ぶことはまだまだありそうだ。2020.7.13 Mon 8:09 Den Haag

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