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美容師に必要な力からの学び、資格取得のための学びになっていないか

美容院は訪れるのが二度目の場所だった。これまで二度ほどオランダの、現地の人がやっている美容室に足を運んだことがあったが、残念ながら「こけし」もしくは「マッシュルーム」のようなスタイルになることを避けられず(アジア人の髪の毛は本当に扱いづらいのだろう。そんな中むしろ、いつもよく切ってくれたなあと思うくらいだ)前回初めて日系の美容室に足を運んだが、毛量が多く癖毛でもある私の髪の毛の特性を生かすようなカットにしてくれたため、今回も同じ美容室に行くことにした。前回も満足だったのだが、他の美容師さんのカットも体験してみたかったため、あえて指名はせずに予約を入れたところ、今回は前回とは違った美容師さんだった。

カットをしてもらいながら教えてもらった美容業界の話がとても興味深かったのでここに記しておきたい。

まずは美容師に必要な力とは何かという話。
私はてっきり、美容師はカットをはじめとした「技術」がその腕の大半を決めるのかと思っていたが、話を聞くと、どうやらそうではないということが分かった。

例えばお客さんが「こんな髪型にしたい」と写真を持ってきたとき。それが、全体のシルエットや雰囲気のことを言っているのか、毛先のおさまりのことを言っているのか、スタイリングのことを言っているのか、それとも前髪のことを言っているのか、人によって実は指していることが様々なので、それを確認する必要があるという。そして、その人の頭の形や髪質に対してはどうするのが適切かを提案やすり合わせをしていくというのだ。

確かに私の場合も、癖毛でかつ、髪のスタイリングには手間も時間もほとんどかけないということから、写真と同じようにカットしたからと言って、写真と同じような仕上がりになるということはほぼない。それが分かっているので今回は気になるポイントや希望を口頭で伝えたのだが、そうしたところ美容師さんはいくつかの写真を見せてくれ、「後ろ側がここまで短くなっても問題はないか」など細かい確認をしてくれて、その上で、安心路線でいくのか、少しチャレンンジをする路線でいくのかというところまで聞いてくれた。

そのやりとり思い返しながら、どれだけカットの技術が素晴らしくてもお客さんが満足しなければ十分な仕事をしたとは言えないという、決まったものをつくるのではなく人間を相手にしているからならではの仕事の難しさであり醍醐味のようなものがあるのだということが浮かんでいる。

美容師はカットの技術と同じくらいお客さんと対話をする力が大事だというのを感じ、それは美容師になるための専門学校で学ぶのかと訪ねたところ、これまた興味深い話を聞くことができた。

私は美容師の資格や学校について全く知識がなかったためとても新鮮だったのだが、美容専門学校では、美容師の国家資格に合格するための技術しか学ばず、かつ、美容師の国家資格の合格に必要なのは、実際に人の髪を切るための必要な技術とは全く違う技術なのだという。全く違うと言うと語弊があるかもしれない。均質に作られた人形の髪を「こんな髪型誰もしないよね」と思うような髪型に切るための技術を学ぶ、と言った方がまだ近いだろうか。それは、誰もしない髪型だけども、できているかできていないか採点や判断がしやすい髪型だということだ。だから美容師の国家資格を得て美容院に就職したとしてもすぐに人の髪が切れるわけではなく、むしろそこから実質的な学びが始まるというのだ。

この、資格試験において起こっていることというのは、美容師の試験に限らず多くのことに言えるだろう。例えばコーチングでもICF(国際コーチ連盟)の資格を受験するために、日本のコーチ育成期間のトレーニングの卒業試験のようなものを受けなければならないが、その基準となっているチェック項目を(ICFの基準でもあるのだが)1回のセッションで全部満たそうとすると、それこそコーチングが均質化された工業製品のようになってしまう。少なくとも、部分点の総和ではコーチングの本質を評価することはできないのではないかと私自身は感じている。(総合点のような採点基準があるのかどうかは今のところ分からない。)

認定試験のためにはセッションの録音を提出する必要があるが、実際のクライアントではなく、コーチ仲間同士でセッションを行い、それを提出するというコーチもいるという話を聞いて驚いたことを思い出す。資格試験を受けるためには、その資格の上位の資格を持ったメンターコーチからの指導やフィードバックを受けることも必要となるが、メンターコーチが「資格受験のためのコーチング」の指導をしているとすると、そんな馬鹿げたことがあるだろうか。

資格は看板の一つのようなものであり、クライアントに信頼してもらうためには必ずしも無駄ではなく、むしろその看板を掲げた先にコーチ側としても自分らしく自由にコーチングができるという道が広がっているということも理解しているが、それこそ、だからこそ、美容師のように「資格を取っただけで仕事ができるわけではない」ということをコーチングを学ぶ人や資格を取ろうとしている人は予めもっと知っておく必要があるだろう。かつ、自分が何に対して時間とお金の投資をしているのかを認識するのは最も重要なポイントだ。全てのトレーニングや資格が意味のないものだとは言わないが、そこで本当に大切なことを学ぶことができるのか、少なくとも知識の習得ではなく、実体験が生まれるのかというのは注意深く見つめたいところだ。

美容師の場合、美容院に入ってから実務的な学びがはじまり、アシスタントからスタイリスト(カットができる人)になるのに一年から二年くらいは時間がかかるという。人はひとりひとり頭の形も髪質も全く違うため、アシスタントの間はお金をいただかず、いろいろな人の髪の毛をカットさせてもらい、実際に人の髪の毛を切れるようになっていくそうだ。(若い美容師さんがカットモデルを探すはそのためで、カットモデルを探すことが一番苦労をすることらしい。)

中には八年続けたけれどカットをさせてもらえるようにならず、辞めていった人もいるという話を聞き、美容師の仕事はやはりカット技術の習得だけではできないものなのだということを感じた。

例えば、雑談でお客さんを楽しませることができたとしても、その人が本当に持っている欲求や要望を引き出すことができなければ、プロとしてカットをするのは難しいだろう。それに気づかず表面的な会話術のようなものだけ学び実践していてもいつまで経っても美容師として本当に必要な会話はできるようにはならないに違いない。

それにしても「ひとりひとり全く違うのだ」ということを仕事を始める入り口の段階で物理的に痛いほど実感をすることができるというのはとても大切なことのように思う。

一方で、多くの場合、人と関わりのある仕事に就く場合であっても、知識や理論を膨大に学ぶところからスタートするということが多いのではないだろうか。そのプロセスで「人はこういうものだ」と思い込むようになり、実際に人間を相手にするようになってからも「なぜ上手くいかないのか」が分からない。そんなことが起こらぬよう、「専門教育」なるものに、生身の人間と向き合うことの難しさを学ぶ機会が多く含まれていることを願う。

今回、美容師になるプロセスについて教えていただくことを通じて、専門家としての成長・発達およびその支援に関して本当に多くの学びがあった。

何よりも感じたのは、ある一定以上のレベルのプロフェッショナルというのは独自の体験に基づく持論が形成されており、かつそれが独自の体験と自分自身のものの考え方から来るものだということを認識しているということだ。

それはきっと、何かを乗り越えようとして、色々なものを観察し、自分自身で考え抜いた結果なのだろう。それがさらにオランダという日本とはまた違った環境に身を置くことにより更新されていく。

そんな経験のプロセスにいる方に切ってもらった新しい髪型にとても満足している。髪を伸ばそうかと迷っていたが、今の髪質はやはり短い髪の毛で大いに活かされるのだということを実感し、これからもショートヘアーでいこうという気になっている。次回もぜひ、同じ美容師さんにカットをお願いしたい。2020.8.3 Mon 10:15 Den Haag

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