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新しい季節、久しぶりの旅

薄暗い部屋で目を覚まし、「ああ、またこの季節がやってきたか」と思った。

三年前、欧州に来てはじめの年、日本の秋にあたる時期に、日に日に日が短くなっていくなかで寂しさや心許なさのようなものを感じた。あまりにも早く日が暮れる。「これからやってくる冬はずっと暗い中で過ごすことになるのだろうか」と思うと、そして実際にどんどんと短くなっていく日照時間の中で、気が滅入って、とりあえず1日何度も湯船に浸かっていた。それはきっと先の見えない不安もあったのだろう。

ドイツで暮らしていた家は新築でとても綺麗で、スペースも有り余るほどだったけれど家具は最小限のものを揃えるだけだったので今思えばなんだかとても寂しい家だった。「仮住まい」そんな言葉が似合う家で送っていたのは、きっと仮初めの暮らしだったのだろう。

オランダに来て3年目を迎えたが今のところ今暮らしている家はとっても快適で冬の間もぬくぬくと過ごすことができている。オーナーのヤンさんが長年かかって揃えたであろう家具やインテリアは、中には「自分だったら絶対に選ばないだろう」というものもあるけれど、「好き」を基準に選ばれ、手入れをされてきたものたちに囲まれる暮らしはなんだかとてもあたたかい。薄ピンク色の壁も、緞帳のような真紅のカーテンも、最初はびっくりしたけれど、冬の寒さから身体とこころを守ってくれる。かけてあった絵のうち何枚かを亡くなったおじいちゃんが描いた絵に替え、今ではすっかりここが「我が家」である。

そんなことを考え出した数分前、突然強い雨が降り始め、そして今は雨が上がった。昨晩もベッドに入った後に雨が降り出し、打ち付けられる雨粒が奏でる音楽に揺られていた。オランダの秋が思いの外雨が多いと知った(気づいた)のは、昨年、オランダに来て二年目のことだった。

気温も下がっているし、本格的に秋が近づいているのだろう。来月初旬に友人のいるフローニンゲンを訪ねるがそのときの天気予報はどうなっているだろうかと見てみると、残念ながら雨の予報が出ている。その日だけではない、向こう二週間ほど雨の予報だ。少し前にも月間の天気予報を見たがそのときはこんなに雨のマークは並んでいなかったように思う。変わっていく中期予報は予定を立てるのにあまり役に立たないのではと思うが、むしろ日々変わる天気を予測するということの方がすごいというか難しいことだろう。

ハーグの予報も向こう二週間ほぼ雨となっている。晴れている日の方が気分も明るくなるが、日々の生活が大きく変わるかというとそうでもない。雨の間には必ず晴れ間があって買い物に出るのには困らないし、むしろ外に出られなければ読書などに勤しむことができる。あたたかい飲み物片手にブランケットにくるまってソファで読書をするのは天気が悪い日や暗い時間の長い冬の暮らしの楽しみでもある。

フローニンゲンを訪問する際はできれば天気が良いなと思うが、友人と話をすることが何よりの楽しみなので、天気はおまけのようなものだ。以前はスキポール空港によくパートナーや友人・知人の出迎えと見送りにいっていたが、それも今年の1月以降機会がなかったので、長距離列車に乗ること自体とても久しぶりかもしれない。

そう言えば先日友人の日記に「(私は)寒がりで冬場は引きこもり、夏も暑さにやられているのであればいつ出かけるのだろう」というような(言葉は違うがそんなようなことが)書かれており、「確かに私はそれでよく退屈しないものだ」と思ったのだが、振り返ってみると昨年は2ヶ月に一回はオランダに立ち寄る友人・知人がいたため、彼らとの関わりを通じて旅のような時間を楽しんでいたのだということに、先ほどのスキポール空港のくだりをかいていたときに気づいた。

私にとって人と話をすることは、その人のこれまで歩んできた人生、そしてこれからあゆむ人生を一緒に味わわせてもらうような楽しみがある。普段のコーチングセッションでもそうだが、実際に一緒に時間を過ごすときはまた格別だ。あまりにその時間を楽しみ味わうものだから、人とのんびりと深く話が出来たあとは「向こう2ヶ月間くらいは出かけなくてもいいなあ」と思うくらいなのだ。

たとえずっとカフェで話をしていたとしても、その時間を通じて新しい絵が、新しい世界が自分の中に広がっていく。それに近い感覚は以前からあったが、出かけることが少なくなり、より感じられるようになったかもしれない。

いつもはやってくる人を通じての精神世界の旅だが、今回は久しぶりに実際に物理的世界を動く旅。どんな景色が見ることになるか、その先での対話から心の中にはどんな景色が立ち現れるか、今からとても楽しみだ。2020.8.24 Mon 8:23 Den Haag

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