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美意識について

そうだ、もう一つ、書き留めておきたいことがあった。それは美意識についての話だ。
オランダの美容室で髪を切ってもらったときの話をしたときに、「美意識の違いから来るのでは」ということを美容師さんが口にした。

どんなにお客さんにそうしてくれと言われても、自分が美しいと思えなかったら、言われた通りにすることをできないというのだ。できないというのは、大きな心理的抵抗が生まれるということを意味している。お客さんが満足したとしても、プロとしてお金をもらうことに自分自身の納得感がないというのだ。

それは確かにうなずけるところがある。私自身、この一年で「仕事を断る」ということがようやくできるようになったのだが、それは技術的や時間的にできないといった理由ではなく、美意識に反するという表現はとてもしっくり来る。美しいと思えないことは、どんなに報酬を積まれてもできないし、報酬を得たとしても嬉しくないだろう。

そんな中、私たちが美意識だと思っているものの多くは、真善美の善にも近い、社会的に共有された価値観とも密接に関わっているのだと感じる。「こういう髪型が美しい」という感覚の中には、その感覚を感じる個人が特有に持っている美意識につながるものもあれば、身を置いてきた文化や慣習の中で美しいとされているものにつながっているものもあるだろう。

むしろ、社会的に刷り込まれてきた価値観の方が大きいかもしれない。

それは「美しい」とされる髪型が国によって違うということからも分かる。

そんな中で、例えば美容師が、真の意味での自らの美意識に従うことができるようになったとき、そこにはその人にしかつくりだせない美しさが生まれるだろうし、そのためには、文化や慣習によってもたらされた美しさの基準ではなく、自分自身の魂がどう感じるかということに目を向けていくことが必要だろう。

同様のことは、他の領域の専門家や私たちひとりひとりにも言えることだ。

ずっとスマートフォンの待ち受けに使っている画像がある。

「それは、心を奪うか。それは、想像を裏切るか。それは、人生を揺さぶるか。」

これは確かもう5年以上前に日本の美容メーカーが出した広告のコピーを写真に撮ったものなのだが、美しさを提案する企業がこのコピーを選ぶというところにまだ希望を感じている。

自分の人生を揺さぶるような、生きた感性を世界に向けていない人に、人の人生を揺さぶることなどできないだろう。

魂が揺れる余白を心と身体に持ち、魂が惹かれる美しさを感じ続けたい。2020.8.3 Mon 10:35 Den Haag

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