見出し画像

女子だから

恋人が女性誌を読んでいる。表紙には「手相」の文字。日曜日の夕方、彼の運転で県境を越え、通りがかりの喫茶店に入ったときのことだった。店の本棚にその雑誌はあった。彼は即座に読み始めた。のぞき込むと「彼と結婚する?」「この先の人生は?」などの項目が並んでいる。

私は今まで、手相や占いは女性の好むものと思っていた。男性は論理的でないことを嫌い、女性は感覚的なことも受け入れるイメージがあったのだ。しかし男性の占い師もいるのだし、手相に興味を持つ男性がいても当然だ。

そもそも私は、占いの類はさほど信じていない。「占い=女子」の固定観念からずれた私が、他人にはそれを当てはめていたのだ。私自身はピンクは着ないし、平日はほぼすっぴん。それなのに、「ピンク=女子」「化粧=女子」というイメージから、女児が生まれたお祝いにピンクのスタイを選んだこともあるし、化粧をする男性に驚いたこともある。

固定観念は便利なのだ。考えるのが面倒な場合はそれで判断できるし、嫌な役を避けるための言い訳にもなる。彼と出掛けるとき、私はほぼ毎回助手席に乗る。平然と「女子=運転苦手」の固定観念を利用する、私のずるさが透けて見える。

「女子は毎日化粧をするべきだ」と言われれば私は反発する。私は「女子」である前に「私」なのだ。そしてそう思うなら、「女子だから」という固定観念に頼る自分を捨てねばならない。でないといつか、その言葉が私の首を絞めにくるだろう。

(2018年3月18日 徳島新聞朝刊掲載)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?