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選択的子なし

30歳を過ぎた頃、子どもは産まないと決めた。決めると楽になった。少子化だとか孫の顔は見せるべきとか産んだ方が幸せとか、全部関係ない。私は産まないと決めたのだ。いわゆる「選択的子なし」である。

決めるまでは苦しかった。自分の中に世間の基準しかなく、その基準をあてがえば私は哀れな存在だった。実家住まいで恋人なし。家と会社の単調な日々。華やかに活動する同世代を見るたび焦りが募った。

考えなしの私は、この焦りを解消する方法として婚活を選び、ものの見事に失敗した。そんなに寄りかかられても困ると言ったのはどの男だったか。私は誰かに幸せにしてもらいたかったし、その幸せの象徴が子どもだったのだろう。

誰かに幸せにしてもらうことを諦めたとき、全く意外なことに恋人ができた。そして子どもを産まないという選択ができるようになった。自分が自分であるために、結婚と出産が不可欠というわけじゃない。

恋人とそんな話をした夜、私は夢の中で子どもを抱いていた。静かに眠る男の子だった。恋人の姿はない。そばには私の両親がいて、孫の存在に喜んでいる。両親が私の選択に失望するのは分かっていた。その失望は私自身が否定されることと同じで、私は無意識のうちにそれを恐れていた。

夢は私が恐怖に耐えられず、選択を容易く覆すことを示している。私は自分に失望する。それでも腕の中の子どもは、その重みと温かさで伝えていた。両親が私を産んだのは自らの恐怖を拭うためだけではないと。

(2018年1月21日 徳島新聞朝刊掲載)


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