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クイーン和訳~「神々の業…リヴィジテッド」~フレディのかっこいい曲"In The Lap Of The Gods... Revisited"by Queen

始めに

今回はフレディ作のかっこいい曲、In The Lap Of The Gods(神々の業~かみがみのわざ~)を紹介します。

ジャズ風のピアノ曲です。

1974年のクイーン3番目のアルバム「シアー・ハート・アタック(Sheer heart Attack)」に収載されています。


"In The Lap Of The Gods... Revisited"

Written by Freddie Mercury

It's so easy, but I can't do it
So risky - But I gotta chance it
It's so funny, there's nothing to laugh about
My money, that's all you wanna talk about
I can see what you want me to be
But I'm no fool

It's in the lap of the Gods
(Wo wo la la la wo)
I can see what you want me to be
But I'm no fool

No beginning, there's no ending
There's no meaning in my pretending
Believe me, life goes on and on and on
Forgive me when I ask you where do I belong
You say I can't set you free from me (You can do it x2)
(You can go and set him free) 
But that's not true

It's in the lap of the Gods
(Wo wo la la la wo)
I can see what you want me to be
But I'm no fool
It's in the lap of the Gods
Wo wo la la la wo
Wo wo la la
Wah wah ooh
But that's not true
It's in the lap of the Gods


(Google翻訳+ちょっと手直し)

とても簡単なことですが、私にはできません
とてもリスキーです-しかし、私は賭けなければなりません
とても面白い、笑うべきことは何もありませんが
私のお金、それはあなたが話したいすべてです
あなたが私になってほしいものがわかっています
しかし、私はばかではありません

それは神々の膝の上にあります(運しだい)
あなたが私になってほしいものがわかっています
しかし、私はばかではありません

始まりも終わりもない
私の演技には意味がありません
信じて、人生はどんどん続く
私がどこに属しているかを尋ねるときは許してください
私はあなたを私から解放することはできない
/あなたはこう言います
しかし、それは真実ではありません

それは神々の膝の上にあります(運しだい)
あなたが私になってほしいものがわかっています
しかし、私はばかではありません
それは神々の膝の上にあります(運しだい)
Wo wo la la la wo
Wo wo la la
Wah wah ooh
しかし、それは真実ではありません
それは神々の膝の上にあります(運しだい)


ダブル・ミーニング(複数の意味を持たせること)が多いはずなので直訳にしています。

英語の()は歌詞カードにないけど聴こえる部分です。


出会い

まずこの曲との出会いから。


映画ボラプを2021年2月に見て、そこからクイーンをガチで調べ始めます。

そして、ブックオフが大好きなのですが、CDアルバムを見ると買いたくなってしまいます。

ジャケットが超かっこいいのです。

Youtubeでほぼすべての曲は聞けるし、CDを買う必要はないのに買いたくなってしまいます。

ライブの音源まで手を出し始めました。


私はもともと音楽はアルバム派で、ライブはあまり行ったことはありません。

たいていの音楽はアルバムが完璧すぎて、ライブ映像を見ると、声が外れたり、演奏が違くて、ライブ映像とかはあまり見ませんでした。


しかし、クイーンはライブ(Youtube動画)での再現率が完璧すぎて、安心してみられます。むしろライブの方がよかったり。ライブ映像を見ると、動画の作者は映像にアルバムの音源を重ねているんじゃないのかと、いつも疑ってしまいます。フレディはライブではアルバムの高音域はロジャさんに任せるので、そこでのみ判断できますが。


そしてライブの音源がブックオフの510円コーナーにあり、思わず購入。

クイーンならライブ音源でも間違いないと思っての購入です。

これは、クイーンのラスト・ライブ、1986年のライブ・マジックの音源のようでした。


ここにこの曲が入っていたのです。

ギターのみのブライトン・ロックから2曲目。

めちゃめちゃ高音の裏声のフレディの声から始まります(後でそれがどんなに珍しいことかわかります)。


この曲がかっこいいので、ライブ音源を買って正解でした。

その時はまだCDを買い始めて3枚目くらいだった(イニュエンド→バルセロナ?)ので、どのアルバムのいつの曲かはわかりませんでした。(ベスト盤のみ10年前から母に聞かされてはいました。)


その後、「シアー・ハート・アタック」をジャケ買いし、そこに入っていることを知ります。

シアーハートアタックのジャケットは割と有名で、なぜか私も知っていました。

見た瞬間買いたくなってしまいました。

シアーハートアタック自体は、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」荒木先生から名前だけ教えてもらっていました。

「これがあの・・・(ゴクリ・・・)」という感じで購入。


このアルバムはとても気に入りました。

私が好きなクイーンのアルバムのトップスリーに入ります。

シアーと、News Of The World(6作目。世界に捧ぐ)と、イニュエンド(14作目。Innuendo)かクイーンⅡ(サイド・ブラック)です。

「世界に捧ぐ」もオズの魔法使いのブリキみたいなロボのジャケットは有名で、内容もかっこいいです。シアーのおしゃれっぽいかっこよさとは違って、ワイルドで大人になった感じです。40周年のおまけも素晴らしい。

イニュエンドは色んな意味ですごい。ラストメッセージかつ音楽的にすごい。

シアーは、天才性がすごいです。あとは、前の2作に比べてユーモアがあります。


シアーもNewsも、ベスト盤の曲は有名だし知っているので、キラークイーンやチャンピオンズとかはそれ自身で完璧で、ロックユーはCDでじっくり聞くのは苦手なので、なんかとばしたくなってしまいますが、他の曲はなんかつながりがあってかっこいい。

フレディがクイーンで最高傑作という4作目「オペラ座の夜」よりも好きです。アルバムの流れ的に。


そんなわけでシアーハートアタックを気に入り、さらにB面の最初と最後に神々の業セットがあり、特に最後の曲があのライブ音源の曲だとわかりました。


この曲は歌い方も魅力的ですが、詩がとても惹かれます。

単純な英語の詩なのに、なにか謎めいているのです。


そして私はこう思います。

ボラプのバラード部分と同じく、彼の苦悩を描いていると。


それは自由への願い。

キーフレーズとなるlet me(him) goやset (him) freeなどが重複しています。


出会いはこんなものにして、分析に参りましょう。


 歌詞分析

[1番]
It's so easy, but I can't do it
So risky - But I gotta chance it
It's so funny, there's nothing to laugh about
My money, that's all you wanna talk about
I can see what you want me to be
But I'm no fool

この詩の刺さる部分は、

「簡単なことはできない、リスクをとりたい」というセリフ。

50年前くらい前の詩とは思えません。

今でも自己啓発本にのっているような思想です。


これが人間の苦しみ。

大ヒットしたキラークイーンの2番煎じをレコード会社かなんかから指示された時を想像します。

2番煎じは簡単だけど、それはできない。(能力がないのではなく、あえての拒否)

リスクだけど、ファンを失っても新しい表現に賭けたい。

そんな感じがします。


「笑っちゃうけど、何もおかしいことはない。」

これで思い浮かべるのは、藤田和日郎の「からくりサーカス」(「うしおととら」の作者)。

とてもじゃないが笑えない、むしろ悲劇のどん底で笑顔がこみあげてくるような。ちょっとした狂気。

あとは、デビッド・ボウイとの共作「Under Pressure(アンダー・プレッシャー)」のInsanity laughs under pressure we're crackingのフレーズ。


「君が関心があるのは僕のお金だけ」

この部分は、お金の話なので、とっても現実的。

このアルバムの曲「Flick Of The Wrist」にもお金のワードが。

こちらは、次回作オペラ座の夜の最初の曲、「Death On Two Legs」同様、トライデント社という所属会社や音楽業界への批判が込められている歌とされています。

神々の業もそうだとみられていますが、私はちょっと違う見解もあります。


お金というのは、かなり広い意味であり、職業、特に定職を指すと思います。

あなたが関心があるのは、私がどんな職に就くかということだけ。

これは、嫁が、自分の夢のラーメン屋より、正社員になってほしいと願うようなときに皮肉を込めて言うセリフのような気がします。


私が思い浮かべるのは、ママや家族が、会計士や弁護士になってほしい、せめて定職についてもらいたいという話ばかりで、自分の持つ輝きを全くわかってくれないことを皮肉を込めている感じがするのです。

家族にとっては当たり前かもしれません。

偉大なミュージシャンがオーバー・ドース(過剰服用)などで若くして亡くなったり、パパラッチに追われたり、いつ人気がなくなるともわからない不安定な職を容認できないのかもしれません。特に、民族的・社会的な問題から、あまり変な動きはしてもらうと困るはず。

しかし、フレディは自分を信じるしかありません。

音楽の道しか、自分は輝けない。

頭はいいし、稼ぎ力はすごい、時代の先を読み、プロデュースもする。

しかし、簡単な仕事はできない。会計士なんて、フレディにとって死んだようになってしまう。(多分数学とか勉強にこれっぽっちも意義を見出していない。)

リスクを冒しても音楽業界に挑戦したい。

そして、愛する家族の理解が得られなくて、一人、異国で孤独に戦う。


「私にはわかってる、あなたが私になってほしいものが。」

これは、前述のとおり、定職のことかと。


「だけど私はばかじゃない。」


「全ては神々の膝の上に。(運に任せよう)」

これは、音楽という不安定な職、生き方に賭けたいという宣言のようなのだ。


フレディの場合は音楽だが、リスナーは自分の好きなことであり、挑戦していいんだよという、なんとも風の時代の現代的なメッセージに聞こえる。


「運に任せよう」というのも、ボラプのキーフレーズ「風は吹く」に近いニュアンスがある。

おなじアルバムのブライアン・メイ氏作の「dear friends」は、the wind  must blowという言葉が出てくる。

これをボラプで引用したのではないか。

「親愛なる友人たちよ、君らの愛は去った。」から始まる意味深な曲。

これはメアリーとの仲を暗示しているようだ。

どう見ても男の人の方が好きみたいなフレディに、超能力的な力で気づいてしまったメイ氏が知ってか知らずか書き上げた詩ではないか。口には出さなかったと思うが。

ともかく、この曲も大好き。静かで、美しい。

Go to sleep and dream againが優しく美しい。


1番はこんな感じ。


2番

[2番]
No beginning, there's no ending
There's no meaning in my pretending
Believe me, life goes on and on and on
Forgive me when I ask you where do I belong
You say I (You can do it) can't (You can do it)
(You can go and set him free) Set you free from me
But that's not true

「始まりも終わりもない。」

何やら哲学的。


「私の何かのふりをすることには何の意味もない」

後にカヴァー曲で自らをgreat pretenderというフレディ。

私は(自分は生まれつきマーキュリーだとマスコミに言いながら)いつもフレディ・マーキュリーを演じている。

でもみんなが騒ぐようなことはしてないんだよ、という風に聞こえる。

人々はロックスターの行動について、彼らが演技しているんじゃないかなどとゴシップにしたりする。でもよく考えてみて、そんなの人の勝手じゃん、というような。ごもっともです。

家族とか友人にも、大きな隠し事をしているけど、そんなのあまり気にしないでよ、というような。なんか歌い方がそんな感じなのだ。

僕が演じちゃうのは僕の天性だから、そのまま受け入れてくれればいいんだよ、みたいな。たぶんクイーンのメンバーはそうだったと思う。

それが始まりも終わりもないということなのか。

演技するのを意識して始めたわけじゃないから、それをやめることもない、というような。


「信じて、人生は続いていく」

これもボラプっぽい。

人生に所有格がないのも。

carry on x2とかを思い起こさせる。

僕は(少なくとも今すぐには)死なないから安心してと言っている感じも。


「もし私が(僕はどこに属するの?)と聞いても、許してほしい」

If I ask you where I belongじゃないので、

If I ask you "where do I belong?"という直接話法(セリフ)ではないかと思われます。

フレディの詩にはこのようなトリックが多い気がします。ダブルクォーテーションを歌詞に載せないことで、歌詞だけ読んでいる人にとって人物の関係があやふやになるようにします。そうしてリアルな吐露を、ちゃんと耳で聞いてくれる人だけに届けます。(ちゃんと聞かない人とは記者のことです。)


ここの意味はマーラーの話でも考察したように、自分のアイデンティティの曖昧さを常に持っていて、それを親愛なる人によく聞いてしまうということだと思います。

そういう個人的な話を人はちゃんと聞いてくれなかったりしますが、この不安な気持ちを受け止めてほしい、せめて否定しないでほしいというように聞こえます。


そして最後に問題の箇所。

直接話法なのか、間接なのか。

You say I (You can do it) can't (You can do it)
(You can go and set him free) set you free from me
But that's not true

歌詞カードには

You say I can't set you free from me

これのみですが、重ねてコーラスが入ります。

さらにややこしいことに、セリフなのか、間接話法なのか。


2パターン考えます。

1.直接話法バージョン

You say "I can't set you free from me"
But that's not ture

の場合。

あなたは言う「私は、あなた(フレディ)を私から自由にできない」
でもそれはちがっている

You say 

I (You can do it) 

can't (You can do it)

(You can go and set him free) set you free 

from me

とコーラスがかっこ()で入る。

これはボラプやsomebody to loveのコーラスと同じで、主人公のことを彼と呼ぶ謎の多重コーラスだ。

I can'tの後に、You canというので、IがコーラスにとってYou。

Iはフレディにとって君。

君はフレディ(自分のこと)を君から自由にできないというが、それは違うよ。

コーラスは、「君はできる、君はできる、出て行って彼を自由にできる」、と騒ぐ。彼とは主人公(フレディ)のこと。

つまり、フレディを自由にできないという「君」に対し、コーラスが否定し、フレディも「君」の意見を否定する。

コーラスは誰なのだろう。3つの曲においては、何かナレーターのような気もする。時には勇気づけている風で、時には辛辣。

君は誰か。ママや家族か。友人か。親しいものも含め、フレディを押さえつけようとするすべての人や事柄。

または自分を押さえつけようとする、自身のないもう一人の自分。これはややこしい。

コーラスの「出ていって(You can go and...)」彼を自由にするという表現がひっかかる。

相手が出ていく必要がある。では、不動性のある家族メンバーは除外されそう?


また、直接話法だと、そのセリフを実際に相手が言っているはず。

You saidではなく、原形sayなので、相手が常に言っていることなのか。

本当にこんなセリフを言ったのかは疑わしいが、そんなようなことを言った、または行間を読んだのかもしれない。


まとめると、直接話法では、フレディが親愛なる人(フレディが所属を尋ねちゃう人をYouとする)から、お前を自由にはできない(逃すわけにはいかない)みたいなことを思われていて、それを否定するというストーリー。

コーラスでは、親愛する人に、「いや、できるよ、あなたは出て行って、彼を解放できる」と騒いで、フレディの味方をする。

どちらかというと、「君」は、広い意味で、フレディに関わる色んな人を指していそう。大切な人なんだけど、自分を理解してもらえない葛藤がありそうな。


2.間接話法バージョン

You say I can' set you free from me

これはセリフじゃないバージョン。

あなたは、僕(フレディ)があなたを自由にできないという。


You say I (You can do it) can't (You can do it)
(You can go and set him free) set you free from me

コーラスは、フレディをYouというので、君はできないといわれてるができるよ、と励ましている感じ。

コーラスの言う彼(him)は珍しく、フレディではなく相手(君)のこと。つまり「君」は性別が男性ということ。

じゃあ誰なんだとなる。


つまり、

フレディがある男性を羽交い絞めにしていて、彼が「君は僕を手放せない」というのを、フレディが否定する。

コーラスは、フレディに「できるよ、君は彼を去って、彼を解放できる」という。


これも、ありっちゃありな感じもする。

彼というのが、人間じゃない可能性もある。フレディが離れたい、と離れたくない、2つの感情を持ってズルズル来てしまっているものに対し、決別できると言っているような。執着、愛着問題。


ボラプもそうだが、あなたと僕の境がよくわからない。

でもどっちもアリなのかもしれない。

リスナーの問題に合わせて、どちらでも対応できるようになっているのかも。


とにかく自由になれないと思われてるけど、できるよ、というメッセージのように聞こえる。いつの日か決別して自由になってみせる。

そして、後ろには見えないガーディアンがいる。

そして運に任せる。


2番はこんな感じ。



まとめ

あとは

I can see what you want me to be

But I'm no fool

It's in the lap of the Gods

(But that's not true)

のくりかえし。


I can see what you want me to be

が繰り返されるので、このYouというのがキーパーソンかもしれない。


この返答は、

But I'm no fool

であり、

It's in the lap of the Gods

なのだ。


なにかプレッシャーを感じていて、それから自由になりたい感じがする。

私が思いうかべるのは、やはり少年時代の両親からの期待、ほかにも教師からの期待、同級生からの、自分からの期待。

大人になってからも続く他人からの期待。

それに向き合いながら逃げながら、創作活動を続けるということか。


なにかフレディの人生観というか、心の中が見えるような曲だと思う。

他人本位でなく、自分本位に生きる宣言。そして戦い。

そしてそれは今を生きる人たちにも通じるものがある。


そして、ジャズ風のピアノでの歌い方がかっこいい。

けだるい、ちょっと寂しい感じ。諦観というか退廃というか。チャンピオンズにも通づるような。


ピアノ好き、ジャズ好きの人など、ぜひ聞いてみてください。


おまけ

あとはB面の始まりの方の「神々の業」も関連がなさそうでありそう。

"In The Lap Of The Gods"
Written by Freddie Mercury

I live my life for you
Think all my thoughts with you, and only you
Anything you ask I do, for you

I touch your lips with mine
But in the end
I leave it to the lords
Leave it in the lap of the Gods
What more can I do

Leave it in the lap of the Gods
(I leave it to you)
(I want you to)

これは、レコードのB面をかけてすぐにロジャさんの高音シャウトから始まるので、びっくりさせられるという噂の曲。

フレディの声にはエフェクトがかけられていて、不気味です。

口づけするような表現があるので恋人に言っているのでしょうか。

(しかしそれで投げ出してしまうのも気になります。)

lordsという、Godsみたいな表現が出てきます。Lordと大文字なら、(キリスト教の)神という意味ですが、小文字ですし、複数系になっています。


フレディが何かに忠誠を誓っています。

Anything you ask I do, for you

というので、

Revisitedの、

I can see what you want me to be
But I'm no fool

と真逆です。

あなたの僕に望むことは、あなたのためなら何でもしている。


とても興味深いですね。


最後は、なりゆきに任せよう、みたいになって、あなたに任せる、あなたにもそうして(成り行きに任せて)ほしい、といいます。


ここでも、あなたは誰なのか、統一されているのか、そもそも人なのか、などと疑問がわきます。


とりあえず、親愛なる人に、僕のことは何かしようとせず運に任せてほしい、と言っているようです。僕を見捨てないで、という感じもします。


私には、恋人との関係だとすると、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」が思い浮かびますが、この話は今度。


最後のまとめ

このように、神々の業という曲は、初期の曲で、かなり個人的な見解の曲だと思います。

シアー・ハート・アタック・ツアー以降は、ライブのしめに使われていましたが、ボラプやロッキー・チャンピオンズなどの大ヒット作により新たなスタイルに変化し、演奏されなくなってきました。ラスト・ライブで数年ぶりにアルバム再現バージョンで演奏されます。


何か背中を押してくれるかっこいい曲なので、ぜひ聞いてみてください。

ボラプの謎にも通づる感じです。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


私が最初に認知したライブ音源

Queen Official - In the Lap of the Gods...Revisited(Live, Wenbley Stadium, July 1986)



12年前の元の作品

Queen Official “Queen - In The Lap Of the Gods... Revisited (Official Lyric Video)”


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