【Queen伝説】RADIO GA GA(レディオ・ガガ)和訳〜「実は皮肉の曲?」…だけじゃない!仕掛けがたっぷりの楽しい問題作(ワークス)!〜【奇跡の復活劇・序章】
1985年のライブ・エイド。
そこでのクイーンの史上最高のパフォーマンスと、ドン底からの奇跡の復活劇は、偶然ではなかった。
和訳
僕は(部屋に)一人(ぼっち)で座って、
「きみ」の点灯する「光」(の裏にある景色)を観(み)たものでした
10代の頃のさびしい夜の時間の、僕のたったひとりの「友達 」
そして、(僕が本当に)知るべきことは
すべて僕の「ラジオ」で聞いた(ラジオが教えてくれた)。
「きみ」はすべてを与えた
かつての往年の星(スター達)も。
「世界(と宇宙)大戦」シリーズを通して、
火星人の侵略者(インベーダー)がやってきたり、
(かつてアメリカのマーキュリー:水星・シアターというラジオのシリーズで、”the wars of the worlds”という回は、火星人が地球に侵略した話だが、ラジオを聞いた当時の人々は本当に今起こってると勘違いしてパニックになった。)
あなたは彼ら(スター達、登場人物達、そして視聴者)を笑わせた、あなたは彼らを泣かせた
あなたは僕たちが(空も)飛べるように感じさせました。
だからバックグラウンド・ノイズ(雑音)にならないで
その一曲がキッズたちのただのBGMにも
ヤツらは全くわかってないし、軽視して、
そして、きみがそこにいないと、(そんなこともわからず、なんかつまらないと)不満を言うだけです。
[プリ・コーラス]
きみにはきみの時間があり、
(ラジオはテレビのように、決まった時間にリアルタイムで聴くもの)
力がありました
(チャーチル:英国の世界大戦の英雄、の言葉じゃないけど、)きみは今でも最高の時間(アワー)を与えられる、
・・・ラジオ殿!
[コーラス]
俺たちが今聞いているのは、(ラジオ時代のあの素晴らしい音楽に比べると、新しい曲も、この曲さえも)ゴミクズみたいなものです
ラジオ・グーグー(赤ちゃんの出す言葉にならない音)、
ガーガー
ラジオから聞こえてくるのはただのガガ(熱狂)です
ラジオ ベラベラ(となんかしゃべっている音)
ラジオ君、最新のニュースは何かな(最近の調子はどうだい)?
ラジオ、まだ誰か(俺とか)がきみを愛しているぜ!
[2番]
僕たちはショーを見たり、(今の)スター達を見ます
ビデオ(テレビ)で、何時間もずっと。
僕たちの耳を利(き)かせる必要は(今は)ほとんどありません
あぁ、(あの少年の頃から)音楽はどんなに変わってしまったか!
(だから)僕らは共に、きみが決して僕たちから去らないことを一緒に願いましょう!古い友よ・・・
「すべての良いこと」(は、いつか廃れるという諺)のように、僕たちはきみ(の与える本物の良いもの)に頼っています
だから、まだそこらへんにいてください
だって、僕たちみんな(いつか気づいて)きみがいなくて寂しくなるかもしれないんだ、
僕たちが(精神的にも)育って、このビジュアル(視覚優位文化>聴覚)に飽き飽き(疲弊)したとき
[プリコーラス]
あなたにはあなたの時代があり、
力がありました
あなたは今でも最高の時間を与えられる
ラジオよ。
コーラス繰り返し
解説
ライブエイドは、20世紀最大のチャリティー・イベントともいわれます。
エチオピアで起きた飢饉(ききん)のために、ロック・バンドがギグ(ライブ)で寄付をして救済するというイベントでした。
これまでもポール・マッカートニー(元ビートルズ・メンバー)のカンプチア(現カンボジア)救済のチャリティーなどもありました(クイーンも参加)が、アメリカと衛星放送(satellite)で中継をつないで、世界中からテレビから電話で寄付を募るというのは初めてでした。
発起人は、ブームタウン・ラッツというバンドのボーカルのボブ・ゲルドフ。
元メンバーのスパイク・エドニーさんがクイーンのライブ(Worksツアー)でキーボードをその頃は弾いていたようです(最近でもQALのライブに出たり)。
時系列
※この時系列はかなり適当(頭の整理用)なので、間違っていたら教えてください。
1983年
エチオピアの飢饉が起こる。
1984年
2月
アルバムの先行シングルとして「レディオ・ガガ」リリース。
3月
クイーンが12枚目の「ワークス」というアルバムを出す。中には、エチオピアの飢饉に胸を痛めたフレディとブライアンが共作の「悲しい世界(Is This The World We Created…?)」という曲がエンディング・トラックとして含まれる。2人が組んで書いたのは公にはこれが初めて。(クイーンの弁護士、ジム・ビーチさんが指示したとか。)
10月
クイーンが南アフリカのサン・シティでライブをする。これによりアパルトヘイト(人種隔離政策)を指示したとみなされ、12月に国連(アメリカ?)や英国バンド協会のブラック・リストに載ってしまった。実際は反対側の指示をして、寄付もしていたらしい。
同じく10月に、ボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツというバンドのメンバー)がライブ・エイドを構想し、「バンド・エイド」といういろんなバンドや歌手の寄せ集めて作り上げたバンドを結成。
12月
クイーンがブラックリスト入り。「Thank God It's Christmas」というロジャー・テイラーの作詞した初のクリスマス・ソングをシングル・リリース。
バンド・エイドは「Do They Know It's Christmas?」をリリースして大ヒット。
その後、アメリカでは、マイケル・ジャクソンが作詞した「We Are The World」という曲を同じくアメリカの大御所シンガーが寄せ集まって歌い、ヒットする。売り上げ枚数はイギリス側の6倍の20万枚。
1985年
4月
ボブがクイーンにライブ・エイドの出演を打診。話し合いの末、出演決定。
7月13日
ライブ・エイド開催。
ロンドンのウェンブリー(Wenbley)スタジアムとアメリカ・フィラデルフィアのJFKスタジアムが衛星中継で結ばれた。
レディオ・ガガ解説
この曲のすごいところは、まるでライブエイドのためにあるようなところ。
シンクロ率というか、リンク率が半端ない。
実際は、サン・シティ問題でクイーンが絶対絶命になってしまう前からこの曲は作られたのだが、すべてが効いている(Works)。
復活劇に効果的に作用している。
おそらくこの曲は、クイーンのライブエイドの演奏が、イギリスにおける史上最高のパフォーマンスの一つに挙げられている一因になっている。
クイーンのライブエイドでの演目は
1.ボヘミアン・ラプソディのバラード部分
2.レディオ・ガガ
3.ハマー・トゥー・フォール
4.愛という名の欲望
5・6.ロッキー・チャンピオンズ
である。
たった21分に6曲も詰め込んで、エーオ(AY-OH)も行った。詰めすぎ。
曲の順番も話し合ったというが、相当練られていると思う。
「ボラプ(バラード部)」でみんなをノらせてからの、「レディオ・ガガ」。
背景を汲むと、その順番に込められた意味が分かるようだ。
「ボラプ」は最初のピアノ・フレーズが演奏されただけでそれと分かったのか、歌いだしから自然に聴衆が一緒に歌いだす。
バラードの2番の最後まで一緒にうたっている。
それからギター・ソロの完璧な演奏を聴き、
途中で電子音がテープとして流れ出す。
1975年のかつて興奮から、一挙に10年の時を超えて現実(当時は1985年)に引き戻された感じだ。
この電子音はおそらくロジャーが作り上げたもの。いわばソロみたいなものだ。イントロは結構長い。フレディはその間、いつものようにダンスしたり、手を振ったり投げキッスしたりしている。
ボラプ時代は、ブライアンのギター・テクを証明するために「ノー・シンセサイザー」を掲げていた。非常に新旧の違いがはっきりされる。
泣けるのはとにかく、「レディオ・ガガ」の歌詞だ。
ただのラジオ愛好者やレトロ愛好主義(懐古趣味)ではない。
特に若い人や子供たちの間で、最近
聴覚が軽視され、見た目ばかりが重視され、マーケティングに使われ、
音楽の本当の意味での喜びや芸術性が失われることだけを泣いているのではない。
ラジオとは比喩であり、弱い人々のことを指すのである。
マイノリティとでもいうのか。
ここに共感できる。誰でもこの感覚はある。
自分が好きなものが相手には伝わらない。
馬鹿にされるけど、私はこれが好き、みんなわかってないなぁ、という思い。
そして、当然、「音楽」も当てはまる。音楽は目に見えないが、良いものがたくさんある。古いものも。
そして
「クイーン」にも当てはまる。
かつては力があった。今でも輝ける。
それは願い、祈りだったのかもしれない。
そして、ロジャーやフレディやメンバーにもきっと当てはまる。
若さは過ぎ、人気も下火になってきたが、本物の演奏家なんだ。まだまだやれる。
そしてそれを証明するのがまさにこの場、ライブエイド。
なんというシンクロニシティ。
絶体絶命のバンドとしての存在である「クイーン」と、それぞれがいろいろな思い(パフォーマーとしての力の喪失・老いや生活面など)を抱えていたメンバーたち、
そもそもこの曲やアルバムを作った背景。その後の行動、事件、その思い。
いろんなものが回収されるのがこの場面なのだ。
ビデオを皮肉りながら、このビデオで振付を人々に洗脳しているところもすごい。
歌詞は実は、"Video Kills Radio(ビデオがラジオを殺した)"という曲をすでに1979年Bugglesというバンドが作っており、内容は同じようなものである。
ただ、こちらはミュージック・ビデオを作った本家本元のようなものであり(「ボヘミアン・ラプソディ」がはじまり)、それが言うから説得力がある。
皮肉でありながら、それをうまく使ってしまっている。
発売当初はあまり効かなかったかもしれないが、
この悲劇のサン・シティ問題と、名誉挽回のライブエイドがあり、
この曲の持つ真の力が発揮された。
解説2
歌詞の内容について詳しく解説していきたい。
まず表向きの解釈は、
全盛期を過ぎた大人や人々を励ます応援歌だ。
プリ・コーラス
ハイライトは、
という詩だと思う。
finest hourとは、
イギリスの英雄、ヒットラーを死に追いやったウィンストン・チャーチル元首相のfine hourという演説の引用らしい。(前アルバムの”action this day”も然り、次作の「ワン・ビジョン」のブリッジ部はマーチン・ルーサー・キングJr牧師の言葉だ)。
裏の解釈は、これはクイーンを表す。またはロジャー本人のことであり、または最近自暴自棄になっているフレディに喝を入れるのかもしれない。
これが現実とリンクして感動を与える。
そもそも、ロジャーの書いたこの曲の持つ可能性に惹かれ、すぐフレディが食いつき、すぐにこの曲を切り札として1番に押し出した。
前アルバムの「ホット・スペース(1982)」は、
アメリカで大ヒットしたさらに前のアルバム、「ザ・ゲーム(1980)」から引き継ぎ、フレディはブラック・テイストに完全に切り替わり、最年少のジョン・ディーコンさんと、旧クイーンらしさのないファンク、ディスコ路線に行ってしまう。
あの犬猿の仲という噂のロジャーさんとブライアンさんまでも共作してしまうほど、追い込まれた。ギター・ソロは削減、悲劇のドラムループ。
旧クイーン・ファンも泣いた。フレディは分厚い口ヒゲを剃らないし、日本人ファンも離れた人は多いと思う。逆に男性のファンが増えたかも。あと南米では大人気に。
とにかく、泣いたファンのために、このアルバム、「ワークス」はできた。
ロジャーは、「これはみんなのための作品(ワークス)なんだ、プレゼントなんだ」みたいなことを言っていました。
フレディ作詞の「永遠の誓い」”It’s A Hard Life”は、ギター・ソロや旧クイーンのギター・サウンドが復活され、ファンを逆に泣かせた。みんなで作り上げたサウンドだったという。これでまたクイーンはまた一つになる気持ちを取り戻したという。
同じく、切り札となると思われた、最年少(若い)ジョンの「ブレイク・フリー」は、
ビデオ(女装)のせいで、アメリカのMTVに放送禁止にされた。
南米や南アでも、独立心の象徴としてテーマソングになった。
とにかく、もうクイーンはアメリカ(巨大市場だが)でツアーはしなくなった(ただし、レコード会社はアメリカに移っていく)。
「レディオ・ガガ」という意味
レディオ・ガガという言葉の意味は、
有名な話だが、
ロジャーさんの第一子のフェリックスくんが
赤ちゃんの時に、「レディオ・カカ!」といったのが始まり。
パートナーのドミニックさんはフランス人で、「カカkaka」とはフランス語の幼児語で「うんち」のこと。
気に入らない曲がラジオから流れてきたときに言ったとか。
それにロジャーさんが「いいな」と思ったという。
カカだと放送的に引っかかるので、ガガにした。
「ガガ」には熱狂的という意味がある(同アルバムのブライアンの「Tear It Up」の最後のセリフにも出てくる)。
そのビジュアルの派手さと文句なしのサウンドで、熱狂的なファンがついたのも(特に当時からしたらかつての)クイーンの特徴の一つだ。
そしてよく聞くとフレディやコーラスが、時々「カカ」と言っているらしい。
ほんとうに聞いている人の耳を欺く(または試す)曲だ。
つまり、ク〇という意味。こっそり堂々とク〇を連呼している。
とてもユーモアが効いています。
これらの隠れたメッセージに気づいたのか、アメリカではこの曲を流さなくなっていった。
コーラス部分で、「ラジオは今や、クズな音楽しか流さない」と痛烈な批判をしている。
本物の音楽が絶滅してきている、評価されなくなっている、ということを批判している。
それも自分たちが本物の音楽を作りだしていることに自信があるからこそ言えるセリフだ。
今の若者にウケていて、音楽業界のおじさん(サメ)たちが若者向けに量産しているようなビジュアルばかりの軽い音楽は、昔(「フリック・オブ・ザ・リスト」の時も)からもそうだが、すべてクソだという。
本当のメッセージはそこではないのだが、それも事実であるゆえに、ラジオ関係者(音楽業界では当時もまだ有力だった)の怒りを買ってしまった。
こんな大人な事情はリスナーからすれば関係なく、なんとなく共感でき、楽しくノれて、なんとなく勇気づけてくれるような歌となっている。
ライブ・エイドでのリンクについて
ライブ・エイドで、図らずとも復活の予言(の実証)をしてしまったロジャー。
3人目の預言者の登場です。(増えるかも。「バイツァ・ダスト」がまだ謎の病だったエイズの死者数急増の預言だとすると4人全員。)
つまり、2番の歌詞。リンクしています。
僕たちは今、ずっとショー(ライブ・エイドの観客が)を見ている。スター(バンド)たちを見ている。
「テレビ」でも。何時間も(ライブエイドは16時間と言われ、すでに7時間経過)。
フレディは歌いながら、舞台の前に出てきて、段差を降り、観客に近づきます。
「on videos」でテレビ・カメラを指さしたりしています。
(常のごとく)ジェスチャーでもリンクさせています。
「僕らは耳を利かせなくなった」、では、耳に手を当てる。
「音楽はここ何年かで、どんなに、変わってしまったか」
もうここからの「君(You)」とは、「音楽」のことです。
去らないでくれ、そばにいてよ、
ぼくらが正気になっていつかきっと気付くときが来るから
結局この願いは成就されてしまった。
あとから考えると、奇跡の瞬間をバッチリ、テレビで撮影してしまったのだ。
このライブエイドをきっかけに、イギリスでのクイーン人気は爆上がり。
若者バンドを駆逐し、大人だけじゃなく、その子供までファンをつけた。
フレディは初めてくらいの勢いで明るい(夏の18:40)舞台でライブし、
アリーナ・バンドからスタジアム・バンドになった(といっても次のマジックツアーが最後のツアーになった)。
ツアー中にバルセロナについてオペラ・ディーバにラブコールしたらオリンピックで歌うことにもなってしまった(実際1992年バルセロナでは亡くなって果たせなかったが、2012年の本国イギリスではボラプがかかり、ロックユーが演奏された)。
とにかく長くなるので、もうここらへんでやめておこう。
まとめ
この曲はただノリがいいだけではなく、
ただの曲ではないということ。
ライブのハイライトとも言える、脅威のシンクロ率を表す曲である。
ロックを諦めた男が、ポップセンスを爆発させた。
フレディとのシンクロ率も高まってきた。
ライブ映像が得意でない私が、観ると泣ける(とくに背景を知ると)ライブなので、ぜひおすすめです。
この奇跡の瞬間を刮目せよ!
どうもありがとうございました。
Queen Official
Queen - Radio Ga Ga (Official Video)
Live Aid
Queen - Radio Ga Ga (Live Aid 1985)
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