【QUEEN 和訳】ノー・ワン・バット・ユー(君=フレディ、以外の誰でもない)、映画ボラプ前夜。【誕生日企画】
三人のお誕生日をすっかりすぎてしまいました。
ブライアンが作詞者クレジットで、ロジャーも歌うこの曲を和訳します。ディーキーさんは最後の演奏です。
妄想も入っています。
1997年に発表され、フレディが生きていたら50歳の節目に作られたと妄想しました。没後5年くらいです。
さすが博士作、ハッキリ言って、歌い出しから意味がわからないのですが、きっと彼や彼らにしか分からないのかもしれません。
ミュージック・ビデオから、スタジオやシャンパン🍾🥂、イカロス🕊などを配置してみました。
和訳
(ブライアン・ボーカル)
「手」が、水面に現れていた(一つの手が)
「天使(エンジェル)」が、空(天上の世界)に向かって手を伸ばしていた
あっち(天国)では今、雨なの?☔️
生きてれば50歳だった誕生日の今日、僕ら(3人やみんな)に偲んで泣いて欲しくて、ロンドンのスタジオの窓の外が雨なのかな
そして、どこもかしこも、こっちじゃ(いまだに)ブロークン・ハート(失意💔)だらけ
どの寂しい孤独な通りや路地裏にもあふれてる
どの音楽も文学も、僕ら(3人)だけでも、彼ら(💔)には届かなかった
キミ以外には
また一人、また一人と、
良い人物ばかりが早く逝くものだ
彼らは(イカロスのように)太陽に手を伸ばして近づいて飛びすぎている(そして蝋の羽は融けて墜落した)だけなんだろう
そして、(キミがよく言ってたみたいに)「人生」はずっと続いていく
(皮肉にも)キミなしで…
(ロジャー・ボーカル)
またしても、やっかいな状況にはまり込んだ(あの時はさすがに辛すぎたぜ)
俺はブルース(または鬱)に溺れていった
それからふと、こう考えている俺に気付いた
「うーん、もしキミが俺ならどうするかな?」と
そうだぜ、終わってみれば、あれ(クイーンの運営)はたいそうなことだった!
全てのツケに、永遠に払い続けてた(お前の言った様に)
クソッタレ、お前はセンセーショナルなことを起こしたんだ(センセーションを)
そのスタイルを最期まで貫き通す方法を打ち立て、そして・・・
(コーラス)
また一人、また一人と、
いい奴ばかりが早く逝く
彼らはイカロスのように、太陽に手を伸ばして近づいて飛びすぎてる(そして蝋の羽は融けて墜落した)だけなのかもな
俺たちは忘れない
決して
(ブライアンに戻る)
そして今、もうこのパーティーは終わりに違いない
僕たちは決して最期まで分からないんだろう、と僕自身は思う、
「キミが(本当に)去った」という感覚が。
ああいう去り方は、予め誰かが決めていたのだろうか?
だから僕らは、(公式のパーティーとは)別にテーブルを用意して飾り、
もう一度(ビンテージのクリスタル・シャンペンを)乾杯した
雨の夜の窓に、(3つの他に)顔が一つ浮かんでいても
僕は決して決してさよならは言わないよ
(コーラス)
また一人、また一人と、
いい奴ばかりが早く逝く
彼らはイカロスのように、太陽に手を伸ばして近づいて飛びすぎてる(そして蝋の羽は融けて墜落した)だけ
何が欲しくて泣いているのではない
(ロジャー)誰のためではない
キミに泣いてるんだ
No-One But You (Only the Good Die Young)
Written by Brian May
和訳の言い訳
なぜこんな訳になったか説明します。
この曲は、フレディ亡き後、沈黙を破って新しいクイーンが復活した曲。
フレディの最後の作詞曲とも言われる「ウィンターズ・テイル」や、ブライアンの「ショー・マスト・ゴー・オン」などのように、
今までのクイーンの曲のフレーズが散りばめられていると感じました。
特に、フレディ作詞の、
・伝説のチャンピオン
・神々の業・リプライズ
・マイ・メランコリー・ブルーズ
などのフレーズが多いことや、これら締め(しめ)の曲(アルバムやライブの)が、三拍子のピアノ曲なのも、この曲と関連するかも知れません。
ブライアン的に、フレディのことを、特に締めの曲を思うと、三拍子のジャズ風ピアノ曲なのかも知れない。三拍子はロジャーの十八番かと思ったけど、曲順からは神々の業が車の曲(I’m In Love With My Car)より先で、意外に曲数も多かった。
深堀1番
最初の1行はかなり謎。
水の上に、一つの手のひら。
水とは?手のひらとは?
1、水たまりに誰か溺れ、水面から助けを求め、手のひらだけ出ているのか、
2、溺れている視点から、水上に救いの手が見えるのか(a helping hand)
ロジャーが歌う2番でもdrowning (溺れてる)という表現を使ってる。
次に進むと、エンジェルが👼。
reachingは手を伸ばして何かつかもうとすること。またはたどり着く。
同じような表現はサビにもでてくる。
「手」を伸ばすのがキーワードの一つかとにらんだ。
「エンジェル」といえば、マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーンで、中間部の3分から表れる、アカペラ部分を思い出す。
背後の声が思い出させる、
「そなたは天使、羽を広げて。」
参考歌詞:永遠の翼→ミスター・バッド・ガイ
天使はどこか、生まれる前の天上の世界で、自分がそうだった記憶が残っている様な感じ。
それによく考えたら、天使はそもそも空にいるものであるから、なぜ空に手を伸ばすのか。
この天使は人間なのでは?
次に進むと
最後はよく、お通夜や告別式など、葬儀やその人の記念日に雨が降ると、故人が泣いてるのかな、と思わせるあの感覚。
ここまで、水や天使、天国に関するので、
水は、地球など下界や困難の象徴、天国はその対比かと思わせる。
2年前にはやっとフレディ亡き後の遺作とも言えるアルバム「メイド・イン・ヘブン」も出来上がった。フレディの唯一とも言えるソロ・アルバムは最初はこのタイトルだった。(「渦巻く嵐:困難の象徴、も天国製:メイド・イン・ヘブン」という歌詞あり)
なので、なんとなく天使=フレディのイメージ。
歌い出しの、水から出た「手」もフレディかな?
詞の1番の最初は全て彼ではないか、ということ。
続いて、
ここもreachが入る。
マイケル・ジャクソンともセッションしたフレディ・ソロアルバム収録の曲「生命の証」には、
全てのbroken hearts(壊れたこころ)を治して(mend)、
この泣き顔たちにお世話する(tend)、
こんな「愛」のない世界でどうやっていけばいい?
というセリフが。
ブライアン作詞と言われるショー・マスト・ゴー・オンにもハートがブロークンが出るし、いかにもフレディらしい単語だ。
ほかに、ラブ・オブ・マイ・ライフや、イッツ・ア・ハード・ライフ、ファニー・ハウ・ラブ・イズなどにハート・ブレイクな表現がある。
ここでは、生命の証のような、人類規模の愛の話だと思われる。
つまり、孤独。
寂しい通りの、孤独な全ての心に届くのは、キミしかいないという。
サビは、
なんとなく、バイツァ・ダスト(クイーン史上1番売れたシングル)のサビにも似ているが、特に
イカロスに例えられる。
(ギリシャ神話で、クレタ島?の怪物ミノタウロスにラビュリントスを作った大工のダイダロスが息子イカロスと幽閉され、ロウで作った羽でイカロスが飛び立つが、父の忠告を破り、太陽に近づきすぎ、羽がとけ、海でか溺死する。諸説あり)
うぬぼれた人に例えられることの多いイカロスだが、日本には「勇気ひとつを共にして」など、良い意味で取る場合もある。
この時代は、まだLGBTQの理解も乏しく、エイズの全貌も明らかになっていたか不明なので、
まだフレディが世間からどう評価されていたかわからない。
天使であることを匂わせ、イカロスのイメージに全面に押し出しつつ、偉人みたいなくくりにしている感じ。
クイーンの残りのメンバーも偏見と闘ったと思う。
私がこのサビやタイトルの副題で思い出すのは、アウシュビッツのフランクル著の「夜と霧」。
いい奴だけが死んでいった。
ホロコースト・サバイバーの人たちが自身に対する皮肉をこめて口にした言葉。
つまり自分はずるいことをしたから、今生きている、という、心をえぐることば。
全ての人の心に傷を負わせる虐殺の恐ろしさを物語る。
夭折の天才を思わせる賛辞の言葉とも取れる。
モーツァルトやラファエロやショパン、ジミ・ヘンドリクスやジョン・レノンなど、30年くらいしか生きてないのに沢山の良きものを残した偉人になぞらえるのかもしれない。
フレディは45歳没だが、ロンドンに来たのは17歳くらい。イギリス人としては短い期間で結果を残したと言える。スタートが遅い分、驚異的とも言える。それを讃える。
因みにthe good = good people でtheyに置き換えられる。the broken-heartedも同じく、傷心の人達のこと。
サビ1回目のブライアン最後の言葉は、
人生は続く、キミなしで。
ラップ・オブ・ザ・ゴッズ(神々の業)で、
信じて、人生は続く、続く、続く
というセリフあり。
ボラプもキャリーオーン×2(続けて)
だし、
伝説のチャンピオンのコーラスも
オン・アンド・オン・アンド・オン(続く、続く、続く…)
だ。
僕が明日の今頃、帰ってこなくても、
続けてね(carry on)、何もなかったかの様に
というボラプの謎のセリフが蘇る。
1番のまとめは、
天使の比喩はフレディで、イカロスの翼など、皮肉の様に見せかけながら、彼を讃えるイメージだと思った。
まだ偏見の残る時代に、悲しむファンに呼びかけ、潜在的なファンに認知させる復活の曲だということ。
2番〜ロジャー・パート〜
2番はロジャーのボーカルだが、
作詞はロジャーなのか。
自分のことを歌っている様だ。
ここもオマージュに溢れる。
1番最初の詩は、イッツ・ア・ハード・ライフのイントロの次の歌い出しがオマージュ。
またもトリッキーな状況、とは、
ブライアンとティムが立ち上げたスマイルに、ロジャーがやってきて、ティムが去り、フレディが加わり、クイーンになり、ジョンが入り、数年売れず、売れてきて、世界一に一瞬なり、落ち目になり、復活し、フレディが死にかけ、そして亡くなったことか。
その後さらにジョンが去り始め、また二人になってしまったことか。
因みに二人は何年も犬猿の仲になっており、何度かあったクイーン解散の囁かれた原因と言われ、フレディは仲介役だったという。映画ではフレディのソロアルバムが主な原因とされたような描写があったが、すでにロジャーなどはソロ活動していた。
フレディ亡き後、二人でクイーンとして続けるか、黙って引退するか、フレディ啓蒙活動をするか、各自ソロ活動をするか、はたまた荒れ狂うか、好きに印税で暮らすか、タレントになるか、
何をしても何か言われそうだ。
2行目。
ブルースに溺れていた
は、マイ・メランコリー・ブルーズのオマージュや、鬱になっていたことの歴史。
「輝ける日々」の歌い出しにも似てる。
は、頭文字Wが多く、フレディ的。
ワッ、ウッ、ヂゥー、ドゥー
と、聞いて小気味良い。
Willの過去形と言われるwouldになるのは仮定法。もし万が一あなたがいたら、何をするだろうということ。
operation(操作、運営)はオペラかも知れない。
そして伝説のチャンピオンの歌い出しを肯定。
センセーションはまたもやマイ・メランコリー・ブルーズの一節で、
最後のthrough は自身のブレイク・スルーか(フレディとある意味、共作。私にはこの曲はフレディのことに思われる。If I could only reach you…あなたに近づけさえしたら。ブレイクスルー=フレディ)。
サビ後は、
ラブ・オブ・マイ・ライフのアンサーのよう。
あなたは覚えていないでしょう
全てが終わったときには…
一生忘れない、
つまり、あなたのことを忘れないし、さらに、クイーンを背負って活動する決意を述べた。
ラブ・オブ・マイ・ライフの対象は、フレディの好きなものみんな、とも言える。メアリーさんでもあり、クイーンでもあり、メンバーでもあり、家族や友人、恋人、ファン、モノ、猫、錦鯉に至るまで全てだと思う。
「輝ける日々」でもI still love youとフレディが最後にも言う(ラブ・オブ・マイ・ライフのセリフ)。
3番〜ブライアン・パート再び〜
またブライアンにボーカルが戻る。
パーティーについては、クイーンの現役時代の代名詞。
特にフレディはパーティーピーポーというか、パーティー大好き。イギリス人も大好き。
13番目のアルバム「ミラクル」の、オープニング曲とその次がパーティーについて。もう終わるとか終わらないとか意味深なヤツ。
マイ・メランコリー・ブルーズの歌い出しは、「また一つパーティが終わった」、だ。
もうこのパーティーは終わったに違いない。
あなたが去った感覚は、僕らはきっとずっと理解できないと思う。
これは、テヲトリアッテにも似る。意味深な(僕が去った時、彼らは僕と君は愚かで、理解してないというだろう)。
この去り方は予定されてたのか?
とは、誰もが思ってしまう。
ボヘミアン・ラプソディのバラードを口ずさむと、この死は15年前から予言していたのではと思わされる。
なんなら、フレディ作の一曲目のグレイト・キング・ラットで44歳に死ぬとある。(享年45、延命後)
これは謎だ。人類の。(なぜなら墓場まで持っていってしまったから)
そして公式のパーティとは別にテーブルを飾り、もう一回乾杯。Weとは三人のことだろうと思った。
最後に、ロジャーと同じく、ブライアンも決してサヨナラしない、という。
ただ忘れないだけでなく、クイーン復活の決意だ。
最後のサビの後、
ロジャーと順繰りに歌い、終わる。
なんともしみじみとした感動的な曲となっている。
これが25年前のこと。
20年後に映画ボラプが完成する。
そして、マイルドどころではないセンセーションを起こす。
殊に私のハートに♥️
QUEEN Official - NO ONE BUT YOU (ONLY THE GOOD DIE YOUNG)
参考和訳
ボヘミアン・ラプソディ
神々の業・リビジテッド
オール・デッド
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