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旅をする木|誰かに出会いたくて生きている

星野道夫さんとの出会いは、中学生3年生の頃だった。
国語の教科書に「アラスカとの出合い」という随筆が載っていたのだ。『旅をする木』に収録されている話の一つである。

最初は、表情豊かな動物の写真に魅せられた。特別動物が好きと思ったことはなかったけれど、星野さんの写真の動物たちはその近くに行かないと見られない顔をしているように感じて、なんだか見入ってしまったのだ。そして文章を読んだ。

そう、読んだのだ。何度も、何度も。
教科書を読まなくなった後も、図書館で借りた書籍で、書店で買った文庫本で、ことあるごとに何度も読み返した。それは結果として、私が大人になった今まで大事に持っている、自分の核のようなものになっている。





「アラスカとの出合い」は、星野さんの友人からの1本の電話から始まる。「あるカメラマンがカリブーの季節移動を撮りたいそうだから、話をしてやってくれないか」。彼が会ってほしいというそのカメラマンは、星野さんがアラスカに惹かれるきっかけとなった写真を撮ったその人、ジョージ・モーブリィだった___。ここから、星野さんは写真集を手にとって、アラスカに行くまでのことを回想していく。

シシュマレフ村の村長宛に手紙を書いた星野さんの行動力にも、返事が返ってきたことにも、19歳で実際に行ってアラスカの暮らしを体験したことにも驚いた。かっこいいと思った。

ただ、一番心に残っているのは、そこじゃない。
私が何度も読み返したのは、シシュマレフ村に行きたいと手紙を書いた星野さんを動かした、衝動の部分である。

昔、電車から夕暮れの町をぼんやり眺めているとき、開けはなたれた家の窓から、夕食の時間なのか、ふっと家族の団欒が目に入ることがあった。そんなとき、窓の明かりが過ぎ去ってゆくまで見つめたものだった。そして胸が締めつけられるような思いがこみ上げてくるのである。あれはいったいなんだったのだろう。見知らぬ人々が、ぼくの知らない人生を送っている不思議さだったのかもしれない。同じ時代を生きながら、その人々と決して出会えない悲しさだったのかもしれない。
その集落の写真を見たときの気持ちは、それに似ていた。が、ぼくはどうしても、その人々と出会いたいと思ったのである。

旅をする木/星野道夫(文春文庫)


私も、感じることがある。
夜の首都高から見えるビルそれ一つひとつに、誰かの暮らしがあること。街を歩いてすれ違う一人ひとりが、それぞれの物語を持っていることを。
そのことがとても尊く感じると同時に、そこはかとなく寂しくもあった。

ただ私は、それをなんと言葉にするのかわからなかった。星野さんの本を読んで、「ああ、これだ」と思ったのだ。
今この世界、この時代にはたくさんの人が生きているけれど、その全てとは出会えないこと。だからきっと、自分で出会いたいものに出会いに行かなければならないこと。

星野さんはきっとその写真を見た瞬間、見つけたのだ。たくさんの通り過ぎていく窓の中から、自分が出会いたいと思う人たちを。出会いたいと思う世界を。

そんなことを感じて、胸が締め付けられるような切実な気持ちになったのを覚えている。
私はこれから、誰と、どのように出会っていくのだろう___。



あれからたくさん時が経った。私は、あの頃見ていた首都高から見える無数のあかりの一つになったり、全く知らなかった街で団欒している家族の一つになったりした。全然知らない文化と暮らしを知る学問を学んだし、たくさんの人をインタビューする仕事をしている。
それでも、世界にはまだまだ私の知らない暮らしが、全く知らない人の人生が存在し、それは生きている限り変わることがない。私はどこかの街の灯りを見てこれからも、あの温かいような悲しいような、もどかしいような気持ちになり、でもだから、また誰かと出会うだろう。


「アラスカとの出合い」の中で星野さんは、自身がアラスカへ足を運ぶきっかけとなった写真家、ジョージ・モーブリィと会い、話をするところで終わる。その最後は、こんな言葉で締めくくられている。

人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。

旅をする木/星野道夫(文春文庫)


私にとってこの本は、私を突き動かす衝動を、人と出会うということの奇跡を教えてくれた一冊だ。

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