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「成功に囚われるな、成長に囚われろ」について、僕の考え。

こんにちは。会社員・パラアスリートの阿渡(あわたり)です。

前回の自己紹介で少し触れた「成功に囚われるな、成長に囚われろ」について、僕の考えを整理してみました。

前提として、僕はメンタリストやコーチングの専門家ではないので、難しい用語や定義は使いません(使えません)。僕個人の考えとご理解下さい。

この言葉を、はじめて聞いた時期

まず、僕がこの言葉をはじめて聞いたのは、2019年2月だったと記憶しています。なぜ、時期まで記憶しているの?と思われた方もいるのではないでしょうか。

当時、僕はテコンドーの国際試合で大怪我をしました。試合中に相手選手の足と自分の膝が激しくぶつかり、膝の骨(膝蓋骨)を骨折しました。分かりやすく言えば、膝のお皿が割れました笑。

医師からは復帰までには「全治3か月」と診断されました。
当時は、東京パラリンピック出場に向けて、世界ランキングのポイントを獲得するため多くの国際大会に出場する必要がありました。同時に、国内の最終選考会も1年を切っている時期でしたので、3か月のリハビリを強いられる現実を受け止めるには非常に時間がかかりました。

そんなリハビリ期間中に、ふとYouTubeを眺めていると、サッカーの本田圭佑選手が講演している動画が目に入りました(動画の内容はYouTubeでポチればすぐに見れます)。

大きな心境の変化

怪我した当時、僕の目標は、「東京パラリンピックで金メダルを取り、銀座で行われるメダリストパレードに出る!」という目標を立てていました。

余談ですが、パラテコンドーをはじめたキッカケは、リオオリンピック・パラリンピックのメダリストパレードをテレビで観て、「自分もここに立ちたい!」と思い始めたのがキッカケです。これについても詳しくは別の記事で紹介したいと思います。

話しが脱線しましたが、この夢を”成功”させるためには、こんなところで3か月もリハビリしている場合じゃない、と自分で自分を責め、焦る気持ちを抑えることに必死になっていた時期でした。

しかし、本田選手の言葉を聞いて、大きな心境の変化がありました。

メダリストパレードにでるという自分なりの「成功」を追い求めることも大事だが、この目標に向かって突き進む、自分の成長(気づき)の方が、今後の人生で大切なんじゃないか?と考えるようになりました。

すると、自然と、この大怪我を乗り越えることも自分の成長に繋げよう、と切り替えられるようになりました。

この言葉の本質とは

僕はふと考えました。
「成功に囚われている」とは、どんな状態なのか?

結論は、「他人の軸(価値観)で生きている」と感じました。
どういうことか。

成功に囚われている状態とは、成功して「他人に評価されたい」「他人から認められたい」「自分の優越性を確認したい」など、他人の軸が、自分の人生を左右すると思っている状態だと解釈しました。

一方、「成長に囚われている」とは、どんな状態なのか?

先程とは真逆で、「自分の軸(価値観)で生きている」と感じました。
どういうことか。

「自分が成長したか・していないか」だけに焦点を当てているので、他人軸が入ってくる余地がありません。自分軸に焦点を当てることで、他人軸を排除し、自分が今やるべきタスクに注力できている状態だと解釈しました。

整理すると次の通りです。

「成功に囚われている(=他人軸が介入している)」状態でいると

・失敗することが怖くなる
・行動や挑戦が出来ない
・過去の経験や失敗に縛られてしまう
・思考が停止する

「成長に囚われている(=自分軸が介入している)」状態でいると

・失敗を恐れなくなる
・行動や挑戦がしたくなる
・過去の経験や失敗に縛られない
・自分のやるべきタスクに、より集中できる

という感じで、自分なりに結論を出してみました。

「成功したい」だけを考えていると、結果だけを追い求めてしまい、逆に挑戦することが怖くなりますが、「成長したい」であれば、挑戦することが1mmも怖くありません。

僕は、よく周りから「阿渡さんは、いつも何かに挑戦しているよね」と言われます。
「疲れないの?」「怖くないの?」と聞かれますが、正直、疲れますし、怖い時もあります。

でも、新しいことに挑戦することで必ず人は成長します。必ずです!
だって、0が1になるわけですから、成長しかありません。リスクゼロです!

そう考えれば、挑戦するって考えるだけでワクワクしますよね!

以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。


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