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満月の癒やし ⑨

こんにちは。
今日もお立ち寄りくださりありがとうございます。

引き続き、バイオリニストYUKIさんから受けた
満月ヒーリングのあとの気づきについてのお話です。

お時間あればどうぞご覧くださいませ。

(前回の記事はこちらです↓)

⚜️答え合わせ


YUKIさんからは、2回目のときにこのようなメッセージもありました。

過去を手放し、魂と繋がり、ご自身の使命を思い出すこと

うーん、過去いうてもいっぱいあるしなぁ…

…どれやろ?

…もしや全部?

…過去の手放し=モノの断捨離とか?


このメッセージについては、なにが正解かはまだわかりません。

そもそも正解なんてものはないかもしれない。


このメッセージをどう自分に落としこんでいくかは、当然ながらYUKIさんではなく、私自身の責任ですることです。



過去を手放すことができたら。

あるいは魂と呼ばれるまっさらな自分と繋がれたら。

自分にもし「使命」というものがあるのなら、それを思い出してのちに?


…すべては答え合わせのように、できたあとになってからわかる、あるいは腑に落ちてくることなのだろうと思います。

⚜️古傷の痛み


さて、今回、一連の「満月の癒やし」記事を作成中のこと。

なにが描いてあるか判らなかったジグソーパズルの、とあるピースがパチン、とハマると同時に急に絵の全容が明らかになるように、私の中で鮮明に浮き上がってきた記憶がひとつありました。


決して忘れたことのない、重い記憶。


普段はずっと心の奥底に仕舞い込んでいたもので、長く思い出すこともなかったけれど、なぜだか台所で青ネギを刻んでいるときに、突然思い出しました。


「あぁ、もしかして手放すべきはこれ…かしら…?」


と思うと、ふと涙があふれました。


「刻んでるのタマネギちゃうけど、誰か来たらネギ刻んでも涙出ることにしよ」


と、涙の言い訳を考えつつの、ネギ刻みつつの、滑稽な時間でした。

⚜️仔犬のいる暮らし


私が幼い子供時代を過ごした家は、車道に面した敷地にありました。

車道に近い側は広い空き地になっており、家屋は奥の方にあります。

空き地には簡素な屋根付きガレージや物干し場、子供が遊べる砂場があり、手作りの犬小屋も置かれていました。

昭和40年代後半〜50年代にかけての地方の田舎のことです。

イヌは昼間は玄関前のその空き地でほぼ放し飼い。
ネコも家のネコ、よそのネコ、素性のわからないネコ、それはそれは多くのネコが空き地から生垣を隔てた奥の家屋や庭の方へと自由に出入りしていました。

犬猫を診てくれる獣医さんは少し遠くまで行かないと無くて、避妊手術などもまだ一般的ではなかった時代。ですので、うちで飼っていたイヌも気がつくといつのまにかよく仔を宿していたようです。

田舎のことで、当時の家々というのはどこも比較的広い敷地に建てられており、イヌは特に番犬として重宝されたため、貰い手に困ることはありませんでした。

乳離れする頃まで待って、まだ仔犬のうちにどこかしらへともらわれていくのが常でした。

おかげさまで、私はごく幼いうちから、目も開かない生まれたばかりの犬猫を見、一番かわいい盛りの、よちよち歩きの犬猫に触れるというありがたい環境にいたことになります。

歩いているのか転がっているのかよくわからないようなヨチヨチ歩きからしばらくすると、仔犬は小さな足を精一杯使って、ピョンピョンぴょこぴょこ、弾むように走り始めます。母犬の目の届く範囲で楽しそうに駆け回り、その様は「小犬のワルツ」そのもの。

こうなるとずいぶんしっかりするので、首輪と鎖をつけての散歩ができるようになります。当時は地方だったからかもしれませんが、今のようにリードはなくて、近所の金物屋さんで仔犬用の細くて軽い鎖を買うものでした。

散歩に行けば、イヌの仔にしても初めて見るであろう景色を目にすることになります。喜んではしゃぐ小犬とワタシ。それはそれは楽しい時間でした。

春は田んぼの畦道で。

夏は河原や砂浜で。

秋は刈り入れが済んだ田んぼで。

冬まで仔犬が残っていたことは、あまりなかったと記憶しています。


それは小学校に上がってすぐだったか、2年生だったか?もう記憶はあやふやですが、その日、私は学校から帰るなり、まだもらわれずにうちに残っていた仔犬に首輪と鎖を付け、同じ川土手の並びにある数軒向こうの八百屋さんへおやつを買いに行こうとしました。

遠縁の八百屋さんで付け払いだったので、手ぶらで行っておやつを選ぶ、そんな感じ。お遣いで行き慣れた、ほんの50mあるかないかの道程です。

⚜️散歩の途中


玄関先で鎖をつけて、仔犬もワタシもはやる気持ちをそのままに、小走りで家の前に出て、車道を左手に曲がります。


曲がった瞬間。


たった、ひと声。


キャーン…、と甲高い声をあげる仔犬。


走り去る、白いセダン。


赤くて四角いテールライト。


手から抜ける鎖の感触。


路上に横たわる、仔犬。


少し先には明らかに口から飛び出したと思われるレバーのような塊。


みるみるうちに赤黒く血に染まる道路。


スローモーションのように、今でも鮮明に覚えています。


とっさに私、仔犬は死んだ、と思いました。


口から飛び出したものを見て、完全にダメだと覚りました。


「死」というものについてはこれより前に経験していたので、取り返しのつかないことだと知っていたのだと思います。

私が初めて生きものの「死」を経験したお話は、以前こちらでご紹介しました。


「心臓が口から飛び出しそう」なんて言いますが、このときの私はまさにその状態だったと思います。ドキンとひとつ、大きな鼓動とともに息が止まったような、ギュウーッと喉の奥が締めつけられて、泣きたくとも泣けない、止まってしまったような時の流れ。


おそらくほんのごく僅かの時間だったと思いますが、我に返った私はこんなことを思いました。

お隣は、酒屋さん。ご商売されているお店です。

仔犬が倒れていたのはうちとお隣の間の、ほんのちょっとお隣寄り。

かわいい仔犬を死なせてしまった、店先を穢してしまった、大変なことになってしまった…そんなことが一瞬で頭の中を駆け巡り、仔犬をそこに捨て置いたまま、無我夢中で家に駆け戻りました。

年端のいかない子供がそんなことを考えるだろうかと思われるかもしれませんが、私が育ったのは大人ばかりが種種雑多な話を持って、日々出入りする家でした。
元・極道者だった明治生まれの祖父が健在で同居していましたし、土地を触る商売を営んでいたこともあり、昔ながらのしきたりや穢れ、古くからの迷信といったものにはたとえ子供であっても侵してはいけない領域というものがあり、普段から厳しい方であったと思います。
子供にその意味はわからなくとも、そうした少し特殊な環境の中で、していいこととダメなことをおそらく肌で感じとり、常に気を遣っていたのだと思います。
周りの様子をよく観察して抜かりのないように振る舞おうとするのは、末っ子としての癖だったかもしれません。

当時は家と会社が同じでしたので、家には常に誰かしら大人がいました。

おやつを買いに出て行ったと思ったらすぐ駆け戻り、言葉を失って千切れた鎖を見せながら、車道を指差し泣きじゃくる私。

大人が慌てた様子で車道の方へ向かったことを確認し、私はそこから先の記憶がありません。


まだ、名前さえつけていなかった仔犬でした。

やっと鎖をつけて歩けるようになったばかりの仔でした。

⚜️枷(かせ)


のちに、大人たちはこう言いました。

「なんともなくてよかった」

「身代わりになってくれたんやなぁ」


昔からこういう間一髪的なことがよく起こる家で、そんなときにまたこんなふうにタイミングよく生きものが死ぬと、すぐに「身代わり説」が囁かれる家でした。

これが私を苦しめ続けていた一因でもあったことには、ずいぶんと後になってから気がつきました。


この事故があって以来、私はこんなことを思います。

「おやつなんか、買いに行かんかったらよかった…」

「一緒に連れていかんかったらよかった…」

「私のせいで、轢かれてしもた…」

「私が轢かれてた方がよかった…」


何気なく大人が放った一言が、深く子供の心に傷をつけることがあります。

でも、誰も悪くありません。

でも、やはりこのとき、自分で自分に、重い枷(かせ)を嵌めてしまったのだ、そう思いあたったのでした。

⚜️数字へのこだわり


今でこそよく耳にする、エンジェルナンバーだとか数秘だとか。

ゾロ目を見ると縁起がいいとか(超ザックリな説明)、目にした数字やなにかしらの計算式で導きだした数字の並びに意味を持たせるものですが、そういうことが言われ始めるよりずっと以前から、私は車のナンバーにこだわりがありました。

特にそのことになんの疑問も持たないくらい自分でも当たり前のことになっていて、これまで気にしたこともなかったけれど、なぜそうなったかについてもハタ、と思いあたりました。

遡ってみれば、このときのことがもとだったのです。

大人たちは、こう、私に尋ねました。

「車の後ろに数字書いてあったやろ?何番か覚えてないか?」


仔犬を轢き逃げした車の後ろ姿は見ました。

そのときナンバープレートの数字を目にしてはいたかもしれませんが、「見て」はいませんでした。

よしんば見ていたとしても、到底覚えていなかったと思います。

あぁ、そうだった…

あのときからワタシ、ナンバーはちゃんと覚えとかな…、って…

見てたら思い出すかも、って…一所懸命見るようにしたんだった…


大人たちはまた、こうも言いました。

「ゴルフの帰りとちゃうか?」

「ひょっとしたら酔うとったんかもわからん」

「よそから来て、道知らんのが飛ばす(スピード出す)からなぁ」


少し先には景色の良いことで有名なカントリークラブがありました。

早朝からのゴルフをプレー後に一杯やって、帰りに慣れない山道で飲酒運転をしての交通事故もたびたびあったようです。

あぁ、だから私、

「ゴルフ」「酔っぱらい」「よそから来る知らない人」

が苦手やったん…か?

⚜️気づき


これらの気づきは、本当に自分でも意外でした。

この何十年。

綺麗さっぱり抜け落ちていたことに、今また思い当たるとは。

抜けていたというよりは、血肉となっていつのまにか我が身と一体化していたために、自分ではわからなくなっていたのだろうと思います。



ナンバープレートの数字へのこだわりが、このときの経験から来ていたこと。


アマチュアゴルファーに根強い偏見があること。


乗る車の選択肢に白のセダンだけはいつもあり得なかったこと。



そうすることで、あのとき仔犬を轢いた車を無意識のうちに探し続け、罪を償わせようとしていたんだな、ということに気がつきました。

知らず知らずの内にとはいえ、40年以上の長きにわたり、なんと執念深いこと…我ながら、コワい。



そして、もうひとつ気がついたこと。


あのときおやつを買いに行った私のことも。

仔犬を連れ出した私のことも。

車番を覚えていなかった私のことも。


誰よりも私自身が今なお決して「ゆるし」てはいなかったという気づき。


この一連の記事を書くという流れのなかで、そのことにようやく気がついたのでありました。

このことを書くにあたって見返すと、驚いたことに7月の記念すべき第一回目「満月遠隔ヒーリング」のテーマは「許し」だったとのことでした。


私自身も「ゆるし」についてのお話を過去にしていたにも関わらず、自らの内にまだ大きなラスボス的存在…いや、置き去りにし続けた大きな傷が残っていたということです。


長くなりましたので次回に続きます。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。

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