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ザ・冬至 ~2022

こんにちは。

ご無沙汰しておりますが
変わらずのお立ち寄り
まことにありがとうございます。

お時間あれば
どうぞお付き合いくださいませ。


|冬至


2022年は
12月22日(木)。

午前6時48分に
冬至点を迎えます。

ゆず湯を楽しむ方あれば
かぼちゃを召し上がる方あり。

冬至?ナニソレオイシイノ?
ってな方もきっとおありでしょう。


冬至は一年で最も夜が長い日。


夜の闇が長く続く日であるため
「陰」がきわまる日ともいわれます。

詳細は詳しい方に譲るとして
東洋思想の一つに

陰陽

の考え方があります。


「陰極まりて陽となす」

「陽極まりて陰に転ず」


などということばを
耳にしたことがおありかもしれません。



冬至が明ければ「一陽来復」。


陰が極まったのちに
また日が徐々に長くなることを、
太陽の復活ととらえて祝う文化も
世界のあちこちにあるようです。


今年の冬至は、
個人的には
とても特別なもののように
感じています。


大きな分かれ目。


流れが変わるとき。

…否、変えるとき。



太陽が復活するという冬至明け、
今年はそんな冬至翌日の
23日 19時17分前後に
月もまた新月となって
再び光を増し始めるサイクルに。


太陽も月も
生まれ変わる。

ちょいと特別な今年の冬至。


大きな変化の前ぶれとして
陰(闇)が極まるのはありがちなこと。


夜明け前が最も暗いのと同じ。


中でも今年は
この冬至を境に
より大きなエネルギーで
様々なことが動くのではないか?

個人も、社会も。

そんな気がしてなりません。


|自分軸


先月の終わり頃、
もやもやしたものを抱えていました。

なぜだろう?

納得いかない思いで
苦しい時期をしばしやり過ごしつつ、
たまりかねて自分用に
フラワーエッセンスを選んでみたら
出てきたのは

自分軸

に関するものでした。



あぁ、そうか…と、
思い当たる節がありました。



きっかけは
スキルアップのために参加した
ある講座内で

”軽んじられた”

と感じたことでした。



「アレ?」

「そんな軽くルール破るんだ…」

「ワタシこんなにもガンバッタのに…」

「都合よく無いことにするのね…」



自らの内に見たのは
言いようのない
深い落胆と悲しみ

こうした悲しみは
いつしか怒りとなって
自他への攻撃を始めます。

これはマズイ・少し離れようと思い、
この講座から距離を置くことにしました。

で、なぜこんなにも私は
講座での出来事にわだかまり
引っかかっているのだろうかと
内観や自問を重ねます。

浮かびあがってきたのは

いつの間にやら

自分軸が吹っ飛んでいた

ということ。


グループへの「貢献」が
講座では推奨されていました。

そこに気を取られた私は
どうすればグループに貢献できるか?

そのことばかりを考えていました。

で、結果、
考えるにあたっての中心が
どれもすっかり
他人を軸にしたものへと
置き換わっていたのでした。


|自分に戻る旅


自分軸を失っていたことに気づけば
あとは軌道修正をかけるだけ。

自分軸を取り戻すだけです。

自分軸を取り戻すとは

素の自分に還る

ことでもあります。


0地点に戻る旅とでも申しましょうか。


ただ、これが私にとっては
驚くほど困難なことでした。


自分自身の0地点がどこかを
すっかり見失っていたからです。

あらためてそのことにも
気づかされました。

もといた場所がわからないのに、
わからない場所に向かって
還れるわけがありません。


なぜわからなくなっているかといえば。


幼い頃は娘として
両親をはじめとする家族のために。
身近な他者や家のために。

妻となっては夫のために。
母となっては子供のために。

自分を後回しにしてでも
他者の期待に応えようと
長い長い時間を
過ごしてきたからでした。

誰も実は期待などしていなかった。

期待されていた、というのは
完全に私の思い込みでした。

そんなマボロシのために
自分ではなく
自分以外の他者を軸に
長年生きてきてしまった…


自分の気持ちを無視して。

ないがしろにして。

置いてけぼりにして。


今更ながら気がつきました。


私から置き去りにされた
私のココロは
いつまでも寄るべなく
ふわふわと漂います。

還るべき家を見失い、
心もとなく思いながら
不安や不満、悲しみばかりを
ジッとため込んで。

このとき同時に
グラウンディングが必要と
教えてくれるエッセンスも
出ていましたが
なるほどと納得しました。


”自分に還る”ためにしたこと


「自分はなにがしたいのか」

「自分はなにが好きなのか」

「自分はどこへ向かいたいのか」

「これは本当に自分の望みなのか」


そんな基本的なことさえ
あらためて自らに問わねばわからない。

そんな日が続きました。

考えてみれば
ここ10年ほど年の瀬といえば
常になんらかのトラブルや
仕事を抱え込んでの
超・気忙しい年ばかりでした。

それらは
ほぼ全てと言っていいほど
私自身のためではなく、
他者のために奔走し続けた日々。

こんなに穏やかで余裕のある
この季節はいつぶりだろう…

そんなことも思っています。

平凡が一番。

なにもないのが一番有り難いこと。

こうした安心な環境の中で
常にココロの声を聞き、
自分が心地いいと感じる方を選び続ける。

それが、私が
”自分に還る”ためにしたことでした。


|カタツムリからの問い

自分軸を取り戻すため、
参加していた講座から離れ、
誘われるまま旅に出ました。


「ほんとに行きたい?」

「どっちに行く?」

と、いちいち自らに問いながら。


晩秋の冷たい空気の中
旅行く先々で見たのは
たくさんのカタツムリ。

なんでこんなに?
季節柄?それとも土地柄なのか?

そう思ったほど
多くのカタツムリに出会いました。

ツノを出して移動中のものあり
固くフタを閉ざして
殻にこもっているものあり。

なんとなく、
グループを離れて息を潜め
目立たないようにしている
今の私みたいだなと
当時そんなふうに思いました。


ツノを出して動くも自由。


殻に閉じこもってやり過ごすも
また私の自由。


ふと

「どっちがえぇのん?」

「どうなりたいん?」


カタツムリから
そう問われているような気がしました。

|気づき

そんなこんなで
悶々としながら過ごした日々。

こういうとき、私はよく
手仕事をします。

編みものとかタティングレース。

編み針や
シャトルと呼ばれる小さな道具、
それに糸さえあれば
いつでもどこでもできるもの。

黙々と手を動かしたり
目を数えるのに集中することで
瞑想と似た状態になるのか?
ザワザワした気持ちも
しだいに落ち着いてきます。

お人によっては
絵を描くことであったり
楽器を演奏することであったり
漫画を読むことであったり。

好きで集中できることなら
なんでもいいので、
なにか一つ集中できることを
見つけておくのもおすすめです。

さて、私は編みものをしながら
ある本に関連した講義音声を
BGMに聞いていました。

その中でストンと
腑に落ちた気づきがありました。


モヤモヤしていたのは、


「自分はそんな人間ではない」


という思い込みがあったから。

そもそも


「私はそういう人間です」


と思っていれば
モヤモヤすることは
一切なかったのだなと。

そのことが腑に落ちたのでした。

これは近年の私の課題である


傲慢さ


にも通じています。


本来の自分は傲慢ではない


と、思うからモヤモヤする。


私は傲慢な人間なんだ


と素直に認めてしまえば
なんらモヤモヤすることはないのです。


思い込みに気づいたときには
顔から火が出るほど恥ずかしくて。

穴があったら入りたい、
そんな心持ち。

でも、それもやっぱり


私は本来そんな恥ずかしい人なのだ


と気づいてしまえば
恥ずかしくもなんともなくなるのです。

これはもう
当たり前にされていらっしゃる方も
おありかと思いますが、
私にとっては目から鱗でした。


|冬至以降の過ごし方

そんなこんなで個人的に
陰(闇)が極まりつつあった
今日この頃。

ようやく冬至を迎えます。

一陽来復

冬来りなば春遠からじ

その通りに昨日から
自分を取り巻くエネルギーが
グググっと確かに動いているのを
体感しています。

有り難い兆しだなぁと思います。

この2022年の内に
年明け2023年以降どう動くかを
決めておいたほうがいい、
そんなことを
スピリチュアル系の方で
何人かの方が同じように
おっしゃっています。

それは
自分軸を再確認した上で

ブレないように
しっかりと確立せよ!


ということでもあるのかな?
と、私は感じています。

「自分はなにがしたいのか」

「自分はなにが好きなのか」

「自分はどこへ向かいたいのか」

「自分の望みはなんなのか」

「自分はどうなりたいのか」

よろしければ今年のうちに
皆さまも内観や自問を
してみられてはいかがでしょうか。

年明け以降どうしたいか?

決めて、紙に書いておくと
年が新まったときの
スタートダッシュが
加速度的に速いようです。

まだ今年もあと一週間と少し
残っていますから
ご興味があれば、ぜひ。


|エッセンスからのメッセージ

今回は、最後に
手持ちのエッセンスの中から
いつもnoteを読んでくださる
皆さまに向けて
冬至後、新年に向かうこの時期について
必要な1本を選んでみました。

選ばれてきたのは
パシフィックエッセンス社の
ジェム(=石)のエッセンス

「タイガーアイ」(虎目石)

(トラ年の終わりにタイガーアイて…)

(出来すぎやん…)


そんなどうでもいいことを思いながら
解説書を手繰ります。

【タイガーアイ】
ひとつであること(ワンネス)の多様性を理解して受け入れ、正しい行動をとる。

株式会社ネイチャーワールドwebサイトより部分引用

日本では薬事法や医療法の関係で
申し上げられませんが
海外では消化を助ける効果もあると
謳われているものです。

ご馳走を召し上がる機会の多い
この時期にピッタリではありませんか!
(自画自賛)


また、五行思想で言うところの
「土」の要素を持ったものであり
「土」の要素の乱れによる
心配や不安なども和らげてくれるもの。

中医学や鍼灸に詳しい方には
胃経や脾経の不調に良いといえば
イメージしやすい感じでしょうか。

流行病に一喜一憂している方があれば
安心感を与えてくれるかと思います。


個人的には

「ワンネスの多様性を理解して受け入れ」

「正しい行動をとる」

という言葉に、
なるほどなぁと思いました。



本来私たちは

ひとつであった

という考え方があります。


この世に生まれる前のお話。


好きだろうと嫌いだろうと
仲がよかろうと悪かろうと
あの人もこの人も
元は同じ、ひとつの源から
生まれてきたという考え方。

もとはひとつでも、
この世で肉体を持った存在として
多様性がなければ意味がありません。

違いがあるから面白い。

みんな違ってみんな良い。

その通りだと思います。


多様性を受け入れるとはどういうことか。


「仲良ぅしんさいや〜!!」
(なぜ広島弁)

ということです。

違ってるんだから
合わなくて当たり前。

無理に合わせようとしなくていいんです。



すると結局は

「自分軸」

の話になります。

自分を抑えて(押し殺して)
相手に合わせるのではなく
ただ自分らしくいること。

「素」の自分に戻る。

他人軸に寄せて自分のココロを
置き去りにするのではなく。

自分がどうしたいか。

自分はどうなりたいのか。


そこがピシっと決まったら
周りのことは気にならなくなります。

比べることもなくなります。

人は比べることで
「不足」を意識します。


(あの人より自分は持っていない)

(あの人が持ててなぜ私には持てないのか)



…コレ、無駄な喧嘩や嫉妬のもと。
国同士だと戦争へと進む道。


「不足」ではなく
「有る」方に意識が向けば


(ふーん、あの人はあれを持ってるんだ)

(あの人はあれを持ってて私はこれを持ってる)

こんなふうに有る方に目を向けて、
比べなければ
ただ事実を述べて終わり。

だから
平和のためにも
実は自分軸って
とっても大切なことなんだと思います。


どうかどの国も
どなた様も
できれば穏やかに幸せに。

そう願います。

一人一人が変わることで
世界も大きく変わると信じます。

千里の道も一歩から。
平和のためにできること。

ぜひ自分軸を確立し
どなた様にも

「す」・「素」

のご自分に
戻っていただきたいなと思います。


それがエッセンスが伝えるところの

「正しい行動をとる」


ということかしらと思ったり。

…どう思われますか?



今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました!


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