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読書を始めたころを思い出して

本を読み始めたのは、学生時代の留学仲間の影響だった。
彼は数字を根拠に、魅力的で説得力のある話を多くするのだった。
年300冊の読書力は伊達ではなく、
「こういうことを知りたいのだけど」と言えば、
本屋でいくつかをぱっと見繕ってくれた。

仲間への憧れで本を読み始めたのではなかった。
彼の様子を見ていれば、
どれだけ本が人生に大きな影響を与えるか感じられたからだ。

単純に世界の見え方を変えるのが本の力というのもあるし、
考えを構築していく上で、本のソリッドな知識を使うことができる。
本はカンフル剤なんていうものでなく、
まさに血肉になるもので、
下支えもするし、
その後の物事へのアプローチも人生も大きく変わるものだった。

残念ながら、当初読み始めたころは、
それほど本の目利きができていなかった。
悩みを多く抱えていたので、自己啓発の本を頼りにすることが多かった。
解決するための「答え」を求めて読むことが多かった。

年に50冊のペースで読むようになったころ、やっと気づいた。
本の「答え」が人生に希望や逆転をもたらすのではなくて、
その周囲にあるものが大事なのだと。

例えば「メタ認知」は、悩みの解決に大きな役割を果たしてくれた。
メタ認知とは俯瞰的な視点や考え方を得る能力のことで、
「結局のところ、それはどういう事なのか、
他との関係性から、どういう立ち位置のものなのか」
という問いと結びついている。

「メタ認知をすることで、自己理解が進むのではないか」と思う。

自己理解というのは単に、自分に意識を集中させるのではなく、
対になる社会・立場・他者へのアプローチの仕方を考えることだ。
他者の生き方を知り、統計データからの推測・予測を知り、考え、
自分の足元に手繰り寄せることができれば、
次の一歩が自己理解と共に踏み出せるはずだ。

インプットだけではない効用が読書にはある。

ネットにある有名な風刺画を転載しておきたい。

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読書の量に応じて、見える世界が変わっていく。
壁に描かれた極度の楽観から、悲観の現実、そして実物の青空へ。
この風刺画はいろいろなバージョンがあり、
メッセージ性も若干異なる。
ただ、「読書の効用」は一貫して強調されている。
一番右の人の世界が本当にあるかは知らないが、
「もしあるなら経験したい」とモチベーションの一つになっている。

40代も近い。
もっと若くから読書を始めていれば、有名な小説を読んで、
人生に対して大きな煌めきを得ることもできたのだろうか?

でも、若くないから本を読む必要はないというのも何か変だ。
きっと、今の状態だからこそ深く味わえる本があるはずだ。
(単純に現状を変えてくれる希望を探すのではなく)

運よく出会った良書があったら、noteにも書いていきたいと思う。

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