なんでもすぐに手に入るわけが無い

電話番号っていつかなくなる日が来るんですかね。通信会社とか、権利の関係とか、難しいことはわからないので適当に考えて、無くならないのかな、と思います。電話番号って綺麗だから。

電話番号って綺麗だと思います。数字だけで構成されていて覚えやすい。SNSのIDのようにみんながばらばらになってない。とてもシンプルで区別ができて美しいです。だから電話番号は無くならない。

私はギリギリテレフォンカードを使っていた年代で、中学生の頃、迎えを頼むために、学校の職員室の前にある公衆電話を使っていました。田舎の車社会だったので、車の迎えを呼ぶことは多くて、出先で公衆電話を探して使うことも多かったです。母の電話番号は今でも覚えています、脳に刻み込まれています。

今は母に電話をかける時、スマホの連絡先から母の写真の登録されたアイコンをタップします。友達に電話をかける時は、ラインの無料通話を使っています。これも電話番号の入力はしなくてよくて、相手のアイコンをタップすれば良いです。便利ですよね。簡単です。感覚的に欲しいものを欲することができるようになっているなあと思います。繋がりたいと思った瞬間に、文字通り指先ひとつで。

きっと公衆電話が登場した時に同じように感じた人もいると思います。電報と比べて便利だなあ。その昔は、手紙と比べて便利だなあ。簡単に繋がれるようになったなあと。

これが良いとか悪いとかではなく、繋がる方法が増えましたよね。今の時代に文通したって良いですし、事務的なやりとりはメールアドレスを使いますし、深夜の長電話って、好きです。

繋がる方法がたくさんあるけれど、その人の本体は一体どこにあるんだろう。住所でもメールアドレスでも電話番号でもSNSのアイコンでもないはずだ。迅速に簡単に感覚的に繋がるために、私たちは記号化されている。直接会うことが推奨されなくて、最低限のデートで、記号の中に閉じこもって誤魔化して生きている気がする。

本当は会いたいよ。
このままどんどん臆病になっていく感覚が怖い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?