風景をつつむもの
温帯と学習したのは遠い日になり、その学習した温帯の現在の中身と云えば「今年は」限定付きの異常気象が続く。限定の意味があるのか、「今年も」よね、と自己内変換して天気のcheckをしているここ数年。
穏やかな春や秋がとても短くなった気がする。もう驚きはしないがつい最近も10月で真夏日を記録。因みに10/20「28℃:17℃」二日後10/22「18℃:15℃」。気管支が弱い私はこれで体調を崩した、恨めしい限り。*At東京
この肌寒い日に風邪初期と重なり、11月になってもいないのに早過ぎると解っていながら私は負けてストーブに火を点けた。*今のところ火を点けたのは結果この日一日で済む
風景が音というよりもっと厳密に音楽を纏うことは経験済みだ。私事だがさくらの満開を見上げているとベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 Op.37のメロディが自然とこころの中を流れてしまう、ハミングしてしまう。
長崎を離れ東京へ移ることになり「もうこのさくらは見られないから好きな音楽を聴きながら見納めしましょう」の結果である。どうしてあの時3番を択んだのか、後々のことなどあの時は勿論考えていない。でも、気分はハ短調ではあったのだろう。こうしたことを何度か経験すると意図的に風景と音楽が結びつかない様ドライブ中敢えてシャッフルして曲を流す状況も出てくるようになる。風景を音楽で固定したくないと云えばよいのか。
音と違って意図的に変えられないものが香り、匂いだ。
ストーブを点けた瞬間、冬の匂いがした。
暖かさよりも「懐かしい冬の匂い」に何だかとても癒された。
それは、幼い頃からのストーブがある風景蓄積の賜物なのだろう。現在のストーブもファンヒータではなく上部にケトルを置くタイプを使っている。和製ストーブというより英語のstove:レンジに意味合いは限りなく近く冬の間中ストーブの上ではポトフやお豆が、時にジャムがコトコト料理されている。
記憶が変形した匂いだから、きっととても個人的で血縁の兄弟でさえ同感してくれるかは解らないが、大局的には「冬の匂い」を共有してくれるだろう。
どれほど研究しても決してアロマ類では再現できない輪郭がない匂いだ。
明日10/28もまた肌寒くなりそう。
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