見出し画像

トリニティーカレッジ図書館

 知の書庫。只、字が組まれているどころか書のその一字一字が時の砂のようだ。
 或る意味タイムスリップしたようだった。陳腐な言い回しだが馴染みある図書館とは全く違い、映画セットに紛れ込んだかのような息を飲む圧倒的異空間。
 これまで全く目にしたこともない品が目前に在ることと、現在も装丁は違えど普段目にする形の本が在ることは第一印象を変える。少なくとも「形として見慣れている」本であるため最初は大きな驚きを持って接する世界とはならないが、一歩ずつ図書館内に進むたびに此処は知っているそれとは違うことを知らされていく。
 この皮表紙の本を取り巻く当時の環境、つまりこれら中世から以前古の時代には知を伝える、知を残すには書しかなかった。それも印刷技術がない時代は「写す」しかなかった写本の世界。書はこれらの容れ物だった。
 ネットで容易に購入する本とは時代の背景、要求があまりにも違い過ぎる。

画像1

 隙間なく床から天井にまで届く皮表紙の本、本。この一冊一冊が現代とは異なり時に宝石のように大事にされ読まれてきたことに思いを馳せると図書館でもあり博物館の空間にも見えた。古の本が在るだけでなくそれらを手にしただろう人々の姿が本の影に感じられるのだ。

画像2

 前回の訪問は夏の観光シーズンであったためここケルズの書がある図書館の入口はヴァチカンよろしく長蛇の列だった。今回は全く人が並んでいず、反対に今日は閲覧中止なのかと心配した。
 上記図書館に入る前に有名な「ケルズの書」のコーナーを廻る。絵画の様な繊細なその文様は解説無しでは全てを読み解くことが出来ない。現代の本とは別次元の本というしかない。修道士らが一文字一文字描いたそれらはこうして文字を簡単に打ち残す世界ではなく宗教の世界だ。
 16世紀初頭、活字印刷が始まった頃今でいう出版社にあたる書籍商の発行部数は学術書類は500~1000冊、一般大衆向けでも1000~2000冊程度。16世紀ヨーロッパで生産された出版点数がフランス7万点、ドイツ10万点以上、イタリア5~10万点といわれることを考えてもこのアイルランド最古の大学に眠る本たちの貴重さが解る。

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?