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よみ人しらず:雑感

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目で音を聴いていた:雑踏の溢れる音の中で

 パートナーの予定変更に伴って散策の帰路が一人になった。  万が一に備えてバッグにイヤホンを入れていたならよかった、と反省しながらいつもの見慣れた街を、いつもどおりに歩き出したのだが。  帰省した時には教会や路面電車が走る長崎の音は東京で過ごす日常とは明らかに違い懐かしくて音を拾うように聴いてるのに、私は自分が住んでいるこの街の音を採集するように聴いたことはなかったかもしれないという考えに、ふと落ちる。  「些細な音も聴き取るわ」と自身に小さな宣言をして自宅への道を歩き始め

樹齢という言葉はあるのに花には

 庭の木々を見渡す時、まだ幼い木は植えてから何年とかなり明確に記憶している。既に大木となった木々らも枝ぶりの調整時期には年齢を気にする。  今年も梅雨を前にした頃から蕾が膨らみ白百合の花が開いた。  ふと、2022年に天国へ引っ越した我が家の二代目Moon(ミニレックス*うさぎ)が初めて我が家に連れて来られたことを思い出した。  あの子を家族に迎え入れた同じ年に白百合を新たに植えた。  Moonは、もう触れられない向こう側へ行ってしまったけれども、同じ年齢の白百合について

OPPENHEIMER : 研究者ら責任の所在・映画レビューとは別に

 映画「オッペンハイマー」は被爆国上映ということも注目を浴びる要因になったようで単にアカデミー賞受賞作品に寄せるいつもの映画評論家とは違う顔が書籍やネット記事で多く見えた。  映画作品とは若干離れたことを書き残したくて映画レビューとは別に雑感とした。  オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれることをどう考えていたのだろう。  予想をはるかに超えた核開発実験時点でこれが使用される先に平和は見えなかった筈が、既に1942年に着手されたマンハッタン計画は動きを止めるどころか戦争が更に

美保神社(島根県):初めて体験した静謐な領域

 この note では度々触れているように私はボーンクリスチャン、それもカトリック教徒。基本的に寺社を訪ねる際はそこに参拝類の宗教的要素は全く求めておらず、寺社が持っている歴史的背景や建築要素を見学している。  勿論、異教徒であっても他宗教を敬い礼を欠かないように注意をして。  霊感も第六感等もいつ働いてくれるのかしらという程、霊的なものはおそらく私には備わってないよう。  その私が、此処美保神社に訪れた時に得も言われぬ清々しい心地良さを感じてしまった。  青石通りの涼や

予定外の場所だったからこそ尚のこと響いてくる風景:青石畳通り

 鳥取観光資源調査の為に一週間かけて東から西へ移動し、境港まで辿り着いた。最終日は夕方には中国山地を超え岡山へレンタカー返却が控えて日程はタイト。それでも、目と鼻の先に私がまだ訪れたことが無い島根県が在った。長居しなければ、欲を出さないならば行けそうということで堺水道大橋を渡り美保神社方向へ全くの予定もなく一本道を走る。可能であればlunchを取る予定くらいはあったが、結果としてはレストランは見つけられなかった。  とても小さな港ながら、時間の進み方が違うのかしら、と感じる

眼鏡橋だけでなく歩いて欲しい長崎の町

 母の体調が崩れ先週末急遽帰省したお陰で何年振りなのだろうか春に向かう長崎を見ている。  卒業シーズンとも重なり街中に卒業旅行らしい観光客が溢れている。訪日観光の姿も随分増えた。  長崎市は路面電車一日乗車券を使い倒そうとすると寧ろ長崎の良さを見落とすくらいに狭いエリアに歴史が散見される。電車で素通りした場所にガイドブックにも掲載されない小さな発見が在る。  人が溢れている場所はどのガイドブックにも載っているような場所ばかりで、眼鏡橋から中通り越えて寺町に抜けるだけで人波

「ネクスト・ゴール・ウィンズ」軸足を作品から離しての追記

 太古の昔から世界のあらゆる場所には夫々の言語で、夫々の肌色を疑いもせず人々が住んでいた。その地を一方的方向からの発見という言葉で破壊し策略、最悪の場合植民地化していった経緯は世界史で歪んだ形で学んだ。  タイカ・ワイティティ監督が Empire 誌に語ったところによると全てはこれに尽きる、「幸せになって、もっとゆっくりしろ」。(原文:As he tells Empire, it all comes down to this: “Be happy, and slow the

知っているつもりと知っているの間にある埋められない溝:唐突の松葉杖生活*その後報告

 先月1月20日土曜日夕方にヒールを滑らせ右足首を捻った。その痛さは今までに経験した痛みの最大値を超えていた為に、初めての骨折であってもおそらく捻挫でないことが分かった。覚悟は出来た。  日曜日を挟み整形外科へ行ったのが1月22日。  この日からソフトギプス生活が始まり、約一か月後2月19日にギプスが外れた。  右足のギプス生活で一番の苦痛は運転が出来ない故の移動に関する諸々だった。一人での移動が厳しくタクシー利用かパートナーの運転に頼ることは自由度に制限がかかったようだっ

知っているつもりと知っているの間にある埋められない溝:唐突の松葉杖生活

 同じ兄弟でも弟は整形外科・外科のお世話になることはあっても内科はあまりご縁がない。それに対し、私は月齢から内科通いの上に入院経験も数度あり、手術経験、救急車利用も数回と完全に内科は現在も生活から切り離せない存在。  そんな私が今回整形外科へ行く展開になった。  先週末土曜日夕方、ヒールの高さに責任転嫁するつもりはないけれども足首を捻った。それも、表現がつらいが見事にグニャリと捻った。  捻挫にしては痛みがひく気配をみせない。  骨の痛みは筋肉痛とは別物の認識は辛うじてあった

ほぼ初めて、実質経験的には全く初めての競馬場での午後

 友人に誘われ大学サークルの流れで府中競馬場に何となく連れて行かれたことがあったが、最初の訪問は本当に行っただけで終わった。  私個人で来ることはこの先ないと感じた通り以降競馬場には無縁だった。  今回も席を予約してもらい、お膳立ての上で訪れた流れは最初と変わらないのだが、誘った本人は写真が趣味でありながらも凡その競馬場レクチャーを施してくれた背景もあっで所在なく時間を持て余すことはなかった。  部外者が抱きがちな勝手な競馬場へのイメージは、入口付近で展開していた家族連れ

2023年 映画Best3

 パンデミック前は週に最低でも2本は映画館で作品を観ていたが、一旦、映画館から距離を取った生活後は中々そのリズムが戻らないままの2023年の鑑賞数となる。  また、鑑賞作品の全てをこの note にレヴューとして残していない。  因みに、レヴューは好みの作品だけを上げているわけではない。寧ろ、もう少しまとめてから文字にしようとしている内に旅行記録に押されて記事化されていない作品が多い。  少ない鑑賞数の中から2023年の Best3 : 1「いつかの君にもわかること」  

尿路上皮癌:2病理検査

 娘の私よりも当然ながら当事者の母は検査結果を待つこと自体が大変なストレスとなり前日は食欲を無くした。只、詳細を知っていた分、万が一を想定している私も実は本当に辛い二週間の待ち時間だった。  病理検査結果、膀胱癌と確定され安堵する。  タイトル通りに筋層まで癌が浸潤していなかったこと、癌自体の悪性度が低かったことが伝えられる。当然、ステージ1。  腎臓を切除する展開にならず、膀胱を無くし小腸から膀胱を造作することも避けられた。  手術は経尿道的腫瘍切除術(TURBT)・膀

生まれ育った地が観光地の時、視点もまたバイリンガルか

 観光地が生活の場である人々も同じような感覚を持っていらっしゃるのではないかしら。帰省ではなく、此処に住み続けているのであれば定点観測を楽しんでいただろう。  今は年に3、4回の帰省。これはこれでコマ落としのように観光都市として新陳代謝を繰り返す変化を見てとっている。   ビルに囲まれ取り残された家を展望台から見る時と、普段通りその家の前を通る時とでは気持ちの有り様が微妙に違ってくる。  買い物へ行く途中にふと目に入った風景が上の写真。地元の人は気にしもない絵だ。  関

尿路上皮癌:1手術

 9月半ば、母に行われた細胞診の結果が芳しくなく、それに続く精密検査の結果は手術となった。  友人二人のご家族に同じがん経験者がいらしたことは、アドバイスを受ける側として本当に心強かった。母にも具体的な話を想像の域ではなく経験談として伝えることで手術前の心準備となる。  血尿から始まった母のがん。  幸いホームドクターが早い段階で疑い、そして、検査等動いてくださったお陰で早期発見の展開は感謝しかない。  ずっと昔に甲状腺がんを母は経験していたが、今回はそことは全く繋がりはな