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スリランカ別章。

皆さまこんにちわ。いかがお過ごしでしょうか。何でも楽しんで笑っていたら、良い人生が寄ってきてくれますよ。(笑

 さて、スリランカに行った時の思い出を書いてみようと思います。
大使館で紹介をしてもらったのがネビルさんとダルマーさんのお二人。
ネビルさんは当時日本の大学教授でダルマーさんはその友達で日本から中古車を買付けて、スリランカで売っている貿易商さんでした。日本人かというくらい言葉達者な人でした。

ダルマーさんのスリランカの自宅に招かれて驚いたのがその佇まい。
ロココ調で城か?床が全部大理石。富豪の部類に入る人だったと後で思いました。

今の事は知らないのですが、当時は福岡=コロンボ直行便が週に1便で、福岡でお土産の博多人形を買い、冗談のノリで侍のズラとオモチャの刀、ハッピと草履を仕込み、意気揚々と乗り込んでいったのです。

現地で走っているのは三菱パジェロとボンゴ。日本車の関税が100%だったのでほぼ倍の値段で買わないといけないみたいで、日本車乗っている人はもれなく富豪ということを知りました。関税恐るべし。

タクシーはボンゴで前の席に膝がくっつき、揺れるたびに汚れで真っ黒になるというオマケ付きでした。

福岡から空路コロンボに降り立ち、ホテルにチェックイン。元々マハラジャの宮殿を改装したホテルで触るところ全部、全て金ピカ、ホテルマンもルームキーパーも全員大学卒のエリートの集まりという神々しいところで、目の前の砂浜の向こうには広大なインド洋が広がっているようなホテルでした。
タバコは自由関税、つまり自由に値段を設定できる感じで、ホテルで買おうと思ってもセブンスターやJTのものは売ってなくてカルチェやダンヒルの綺麗な箱パッケージのやつが一箱日本円だと300円のものが2000円(笑。
当然現地の人は買うことすらできないくらいの価格で、街中でもタバコを吸ってる人、ほとんど見かけなかった。
朝、砂浜を散歩しているとゾロゾロと10人くらい人が寄ってきて、タバコを1本くれって来るのです。面倒は嫌なので一人1本づつ渡すと次は火をくれって言われ、当時はチルチルミチルと100円ライターを呼んでいたが、全員に火を点けてあげるの面倒だからライターをプレゼントすると、どえらい騒ぎで、感謝されるのでした。
渡航前に日本の使い捨てライターは現地では貴重だからいっぱい持っていってねと言われてたのが納得でした。

 そんな中、まず連れていかれたのが当時の文部大臣の自宅。
そこで博多人形渡し、ノリで仕込んでいた侍衣装に気を良くしたみたいで、しこたま飲まされ、次の日に学校でのスピーチの予定も不安になりながらも大成功。

実は学校に教育援助で当時日本円で50万円寄付してて、何十人もの子供達が大学まで行けるような感じだったのです。そして、くっそ暑いにも拘らすスーツ着用で体育館の壇上でスピーチを全校生徒の前で行うという拷問があったわけです(笑 新聞社やテレビ局まで来て、結構大ごとになっていたようなのでした。

次の日、ホテルのドアの下から現地新聞が滑り込んで来てたので、文字は読めないけど、一面トップにデカデカと写真が、、俺やん、、
その日から行くところ行くところで大歓迎を受けることになったのでした。
飯でも食うかとレストランに行くと赤絨毯に従業員全員でお出迎えになってた。いきなり富豪になったような錯覚に陥りました。

石の仕入れで仲良くなったジェム(宝石販売会社)の国際鑑定士のお兄ちゃん家族を誘い、飯を食いに行ったのも良い思い出になった。
中華テーブルのようなデカく丸いテーブルにロブスターを山盛りと、「冷えたビール」(冷えたビールは現地人は飲めなかった。)を積んでもらって、、勿論全部食えるわけでもないので、袋にロブスターとビールを入れて全員に持って帰らせた。それでも日本円で確か3万円くらいだった。
国際鑑定士のお兄ちゃんにいろいろなことを教えてもらったことはすごくタメになって、生きた出張だったと思う。

 色々と見て周った中で中央高地のラトゥナプラ:Ratnapuraとキャンディ:Kandyの落ち着いた場所で、偶然に日本人母子に出会った。その人たちも言ってたけど「この場所が好きですー、、移住したいのですー」みたいな。大丈夫か?クーデター起きる国なんだぞ、、。まぁ、その辺は個人責任で。
ちなみに高地は紅茶の産地でしっとりとした適度な湿度と涼しい気候で息苦しさも無かったと記憶しています。

 また、当時は政府軍と反政府ゲリラが戦っていて、検問では絶対に走って逃げてはいけないと教え込まれ、日本人には馴染みがなかった感覚でした。
結構、あちこち見て周ったりしてたので2回そのゲリラの検問に遭遇しました。勿論、機関銃を肩から下げ、腰には生まれて初めて見た手榴弾で、車内からトランク、身体検査をされ、かなりビビり倒しました。

帰国の日にフライト1時間前にクーデターが起き、あと少し遅れていたら空港閉鎖で飛行機に乗れなかったというギリで帰国したという思い出。

 そして心の中で一番ドキドキしていたのが関税。
でも石を詰め込んでいたアタッシュケースの中に写真が掲載された新聞入れてたから出国はVIP対応でノープロブレムで、次は日本の税関。しかし、そこも宝石の扱いではなくてただの「道に落ちている石」扱いで、なんと関税ゼロ!本来ならば宝石扱いで確か30%以上で、材料扱いで5%だったと記憶している。
それが儲けのキモでした。「利は元にあり!」と言う思い出話でした。

本当に書ききれないことの連続でした。
いつも読んで下さり感謝します。

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