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安物の香水ほど遠くまで匂うものよ ―テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』―

 私は子供の頃、「コワルスキー」なる外国の苗字を聞いて、マッチョな男性を想像した。タイムボカンシリーズ『オタスケマン』に「ドワルスキー」という名のマッチョ悪役が出てきただけあり、ますますゴツい男性像を思わせる苗字である。しかし、子供の頃の私はなぜ「コワルスキー」なる外国の苗字を知ったのだろうか?
 ズバリ、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』のヒロインの義弟の苗字だった。ああ、この『欲望という名の電車』というタイトルは子供の頃から何度となく見聞きしている。しかし、そのタイトルは決して子供向けの作品ではないのが明確だ。『風と共に去りぬ』の主演女優ヴィヴィアン・リーがこの『欲望という名の電車』という映画のヒロインも演じていたが、どちらの映画も観る機会がなかった。
 ちなみに昔のアメリカには「キラー・コワルスキー」というリングネームのポーランド系アメリカ人プロレスラーがいたが、この人のイメージも「コワルスキー=マッチョ」という固定観念の元になったのかもしれない。そう、『欲望という名の電車』のキーパーソンであるスタンリー・コワルスキーなる男性とは、ポーランド系アメリカ人なのである。この人と主人公ブランチ・デュボアとの確執とは、白人同士(しかも非ユダヤ人同士)のレイシズムも結構えげつないのを示している。

 ブランチ・デュボアはフランス系アメリカ人の「元お嬢様」であり、実家が没落したために、妹ステラとその夫であるスタンリーの家の居候になる。お嬢様育ちのブランチは、粗野な庶民の男スタンリーとは反りが合わない。そんなスタンリーがなぜステラと結婚したのかはよく分からないが、日本の作家姫野カオルコ氏はものすごいタイトルのエッセイ集『ブスのくせに! 最終決定版』(集英社文庫)に、次のように書いている。
《性的感知度が強いからこそ、スナフキンのような微弱電波でもキャッチできるのではないか?》
《舌が敏感な人は薄味でもおいしいと感じる。濃い味付けを嫌う。だが、舌が鈍感な人はものすごく濃い味でないと感知できない》
 おそらくは、ブランチとステラのそれぞれの「性的感知度」の差が鍵である。

 話を一旦そらすが、昔のアメーバニュースの記事にはコメント欄があった。その常連さんの一人に、やたらと「香水」に執着する自称「香料アレルギー」の男性(推定)がいた。その人は自分の職場にいる30歳過ぎの先輩女性職員の悪口を書き込んでいたが、それらのコメントにはやたらと「香水臭い」という表現があった。それに対して、ある別のアメーバユーザーさん曰く「性的指向の匂いが感じられない」「女が他の女の悪口を書き込んでいるみたいだ」と批判していた。
 確かに、男性が女性に対して言う悪口としては不自然なものである。男性の女性に対する悪口はだいたい、「ブス」系(外見差別)・「ババア」系(年齢差別)・「女のくせに」系(単純な女性差別)・「ビッチ」系(女性の性的状況に対する非難)の4種類に分類されるが、ここで「ビッチ」という単語が出てきた。これがキーワードである。

(問題の御仁が本当に香料アレルギーならば気の毒だが、だからといって、それを年齢差別や性差別の根拠にしてはならない)

 一見貞淑な美女に見える元教師ブランチ・デュボアは、地元で性的な意味での揉め事を起こしたため、故郷を追放されて妹夫婦にすがりついたのだが、スタンリーはブランチに恋していた友人の男にブランチの過去を暴いた。そして、「何だかんだあって」ブランチは発狂して精神病院に入院させられて物語は終わる。
 その「何だかんだ」で私は思う。ステラは自分の姉に対して、同性として警戒心を抱いていなかったのか? 自分の旦那は猛獣みたいな男なのに、上質なイベリコ豚の生ハムの原木が家の中に入ってきたようなもんじゃないか?
 スタンリーは「男臭い」男である。ブランチにとっては対象外の男である。しかし、前述の姫野カオルコ氏のエッセイ集からの引用《舌が敏感な人は薄味でもおいしいと感じる。濃い味付けを嫌う。だが、舌が鈍感な人はものすごく濃い味でないと感知できない》に通じる表現が本作にはある。
「安物の香水ほど遠くまで匂うものよ」
 ここで、前述のアメーバニュースの自称「香料アレルギー」の男性のいちゃもんに通じる話になる。ブランチにとっては、スタンリーの「男臭さ」は安物の香水のつけ過ぎのようなものだった。

 ステラは無意識のうちに、姉ブランチに対して同性としての劣等感を抱いていたのではないのか? 旧約聖書のレアとラケルや記紀神話のイワナガヒメとコノハナサクヤヒメは、姉より妹の方が美しい「容姿格差姉妹」だったが、『欲望という名の電車』のデュボア姉妹の場合は姉ブランチの方が「美女」の印象が強く、それに対して妹ステラは平凡な女性である(少なくとも、イワナガヒメのような醜女ではない)。そんな平凡なステラが自分の夫の心変わりを警戒してもおかしくはない。

【Desireless - Voyage Voyage】


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