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2022.5.10の記録

公演が終わってもうすぐ1ヶ月が経とうとしております。私は色々な事情でまだあの公演と向き合えておりません。
誰も悪くないことなので…コロナ禍ではよくあることなのかもしれませんが、私の精神にはかなりの傷を残しました。
5/10本番初日の前日。
私は場当たりよりもかなり早い時間に舞台装飾で提供するための私物のお洋服や小物をキャリーケース3つ分めいっぱいに詰めて、父にも手伝ってもらい電車で会場に運んでおりました。
その後場当たりに向けてメイクを終えたあと、劇団員さんが「検温まだでしたよね、すみません」と声をかけてくださって非接触体温計で検温しました。
そうしたらおでこで37.2°だったのです。
私は急いで手首でも測り36.7°だったので、安心したのですが、劇団員さん達で会議になり私は急遽PCR検査と抗原検査を受けることになり、場当たりにはでられなくなりました。
この時に『接触体温計でもう一度測り直して欲しい』『気温も高いし汗をかいているだけだと思うから30分ほど別室で休ませて欲しい』と落ち着いて言えなかったことをとてもとても後悔しております。
私は明日からの本番が中止になるかもしれないという状況にも関わらず、装飾のお洋服がまだ足りないはずだからと空のキャリーカートを持って呆然として渋谷の街でPCR検査所を探し出しました。
その時の絶望は一生忘れられません。
渋谷は焦りもあり道に迷ってしまい…とにかく当日にわかるPCR検査の締切が14時なので、場所を知っていた新宿駅前の検査所に切り替えました。ですが、そこは結果が出るまで最悪4日かかるということを知り「待ってたら本番終わっちゃうよ…」と思い、横浜の無料検査所に急ぎました。ですので2ヶ所でPCR検査を受けました。その時、両方とも検温では正常の体温値が出ました。少しおかしいなと思いました。
主演舞台ということもあり、この作品へは並々ならぬ時間や情熱をかけておりましたし、何より共演者の皆さまはどう思うのだろう、私のせいで中止になるのなら私はもう生きていられない、というところまで追い詰められて、安定剤を飲むのを忘れる程、道端で泣きじゃくりました。
希死念慮がおさえられなくて、家族も仕事などでいない時間だったので、心の相談窓口やら横浜の精神科やらかかりつけの病院やら片っ端から電話しました。ほとんど繋がらなかったのですが、かかりつけの病院だけは受け入れてくれるとのことでした。でも明日本番初日なのだ…という現実を考えると、横浜から早稲田の病院までキャリーカートを持って戻る気にはなれませんでした。私は諦めて電車に乗り、とにかく早く家に帰って自宅に買い置きしてあった抗原検査キットで検査することにしました。自暴自棄になっていた私は、その電車の中で劇団員さんに舞台はもう降板したいという旨のLINEをしていまいました。
結果、抗原検査は【陰性】。
主宰の方にはお電話で悲しさと虚しさと怒りとよくわからない感情をぶつけてしまいました。
朝、もう一度抗原検査を受けて【陰性】。
劇団さんからの許可が出たので11日は9時に会場入りをしてマスクをした場当たりから始まりました。
10時51分ゲネプロが始まる直前に横浜のPCR検査所からのメールに届きました。

【陰性】

もちろんすぐに報告はしましたが、
まぁそうだよな、と思い。特に感情は動きませんでした。私は心を殺してお芝居に集中しました。

無事に初日を終えたあとに新宿のPCR検査所からの結果も届きました。


【陰性】


知ってるよ!!!!!と思いました。
私が前日に希死念慮で苦しめられて、座組みの皆様に何度も何度も謝って…
劇団員さんとの信頼関係も壊れてしまって

誰も悪くないのにコロナ禍で演劇をやることでこんなに嫌な思いをしなくてはいけないのか、ということで本当に苦しかったです。

ただ、ひとつ言えるのは沢山のご迷惑をおかけしましたが、私はほんとうの意味で初めて、今までの稽古を心から信じることができまして、初日から千秋楽まで全ステージ満足のいく芝居ができました。これは14年間演劇をやっていて初めてのことでした。
何か、自分の中で変わったものがあったのだと思います。そんな公演を見届けてくださったお客様、ほんとうにほんとうにありがとうございました。
まだ時間がかかりそうですが、公演の記録は必ずブログにまとめます。待っていていただけたら嬉しいです。

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