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「THE FIRST SLAM DUNK」再構築と脱構築

 公開前の声優変更とかストーリーを一切明かさないとかで炎上してたけど、なんで観る前にあーだこーだとネットで言うやつがいるんだろうって毎回思う。黙って公開を待て。観てから言え。



 SLAM DUNKことスラダンはもちろん漫画は全巻読んでいる。アニメは小学生のころ夏休みにテレビで放送しているのをよく観ていた(ちょうど学校の夏休みプールの時間前に放送していたのを覚えてる)井上雄彦の漫画も好き。最近の「バガボンド」や「リアル」も同じく(早く続きを…)。好きかどうかと言われると好き。ご飯でいうとカレー。そりゃみんな好きだろ、みたいな感じ(嫌いな人もいるよ)


今作の”主人公”について

 スラダンの主人公といえば桜木花道だ。しかし今作では主人公を宮城リョータに据え、物語を漫画の最終盤である山王工業戦をピックアップしている。そして山王戦とリョータの過去を行き来しながら映画は進む。山王戦はかなりハイテンポで進んでいく。リアルなバスケのゲームを体感できるテンポ感だと思った。変えして、リョータの過去パートでは漫画では描かれていなかった母や兄、妹と暮らした沖縄での暮らし、その後兄を亡くして神奈川にやってきたことが描かれる。

 前半はリョータの過去とゲーム展開がリンクする部分がある。山王のリョータへの徹底したディフェンスが始まり、それを抜けるシーンはよりエモーショナルに演出された。しかし、後半は特にリンクしていなかった。
 というものの、スラダンの新作ではあるが、山王戦の展開は漫画と全く同じと言っていい。ここで主人公を変えたズレが生まれていると感じた。最期のブザービーターを決めるのが桜木花道であることは漫画を読んでいる人は誰もが知っている。名セリフの「左手はそえるだけ…」と共にライバルである流川からパスを受けた桜木がシュートを決めるシーンは最高だからだ。しかし、この映画単独で、しかも初めて観た人からすると「主人公のリョータがシュート決めるんじゃないの!!??」と思ってもしょうがないと思う。結局それまでのリョータの過去パート、そして母親が会場に現れるといった意味も薄れてしまったように感じた。あくまでも桜木を主人公に前提としたストーリー展開と、この映画でやりたかったことのチグハグさが目立った。

 では主人公でなくなった桜木花道がどういった描かれ方をしているかというと、”異物”として描かれていると思った。悪い意味ではない。前述した通り山王戦はハイテンポで進む。しかしそのテンポをいい意味で崩すのが桜木だ。流川にパスを渡さない、安西監督たぷたぷなど。漫画では見慣れたシーンだが今作ではそれらはテンポを崩し、ただのスポーツとしてのバスケを描いているだけじゃないこと、その人間性についてスラダンは描いていること、が分かる。この桜木の役割は、映画で新たに与えられたものではなく漫画でも同じだということは読者であれば既知の事実だ。物語上もチームの異物として描かれている。約二時間の枠組みの中で桜木の放つ役割は映画全体、そしてスラダンを定義づけるものだろう。


映画館で観る漫画

 前述で問題点として挙げた最後のシュートだが、ゲーム終盤の約10数秒の表現は凄まじかった。正直このシーンだけで映画を観る価値があったと思う。ゲームはほとんど無音で進む。その激しさ、数秒を争う展開であること、どちらが勝ってもおかしくないこと、それらバスケの面白さがここに全て映されていた。「左手はそえるだけ…」も無音だったのは漫画読者としては想像以上だった。これを観て、僕はスラダンをアニメーション映画として映画館で観た、というよりはスラダンという漫画を映画館で観た、という感想の方が的確だと感じた。
 井上雄彦はバガボンドは途中から筆で描くなど漫画の表現手法に挑戦している漫画家という印象だ。今作ではさらなる表現として、”動く漫画”になっていると思った。漫画がそのまま動いており、かつバスケのゲームのテンポのまま、そして各登場人物の心情も描かれつつ。
 最近のジャンプ系のアニメーション作品はどれもクオリティが高く、よく話題になっている。最近だと「ONE PIECE FILM RED」やチェンソーマン、SPY FAMILYなどか。どれも漫画で読んでいるので副次的にアニメも観ているが、本当にどれもクオリティが高い。が、あくまでも”アニメ”として再構築をしていると感じた。今作と比較して、という意味だが、もちろんそれは今作の脚本と監督を井上雄彦が就いていることが大きいだろう。他者が加わって作品に新たな解釈が生まれるといった面白みもあるが、井上雄彦による表現の極みが映画館で観る漫画として昇華されたのだと感じた。


まとめ

 もう25年以上前の漫画だ。僕も世代としては連載期間とややズレているが、必修漫画のような立ち位置として読んでいた。今の若い子がスラダンを読んでいるのか知らないが、この映画で初めてスラダンに触れる人がこの映画をどう感じるのかが一番気になった。個人的には、そのリョータが主人公になったことによるズレに不満を感じつつも、その再構築によりスラダンを令和の時代に改めて楽しむことができたことに幸せを感じている。


おわり。

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