同窓会④

 次の日から、早苗へのいじめがエスカレートした。犯人は早苗だという噂が広まったからだ。噂の出所は不明だ。
 彼女が教室に入ると「ゴミは出ていけ!」。トイレに行くと何人かの女子が待ち構えていて、「一生トイレにこもってろ!」と閉じ込められたり、便器に顔を入れられた。持ち物には悪口が書かれ、靴は消滅。体育から帰ってくると、制服はもう手の施しようがないくらいに切り裂かれていた。
 事態を重く見た矢坂が、校長に報告しいじめっ子たちを停学処分にしようとした矢先、早苗は消えた。消えた理由は正確にはわからない。このタイミングなら、いじめに耐えられなくなった、そしてストラップを傷つけたことへの罪悪感だと考えるべきだろう。しかし、彼女はおろか彼女の家族でさえも、見かけたという人物はおらず、人知れず引っ越したのかもしれないという説もまことしやかに囁かれていた。
 「彼女がいなくなったことについて、矢坂先生はあまり教えてくれませんでしたね」
真奈が残念そうに言うと、矢坂は渋い顔になった。
「実は彼女の行方は、学校ですらわからなかったんだよ。引っ越したのは確かだと思うが……。そして、今だから言うが、犯人だと名乗り出たのは彼女だった」
「そうですか。ここまでで、何か気づいたこと、言いたいことはありますか?」
 真奈は聞く。
「続けるわ。先生はああ言ったけれど、……宮本早苗は犯人ではありません」
 真奈が言うと、会場はどよめいた。今まで早苗が犯人だとほとんどの人が信じていたのだ。無理もない。
「私は事件の日、戸田夕華ちゃんに事情を聞きました。早苗ちゃん以外で犯人の心当たりはないかって。当然彼女は答えてくれなかったけど、吉沢君が教えてくれた。夕華ちゃんは他にも険悪な関係のクラスメイトがいるってね。つまり動機を持つのは早苗ちゃんだけではなかった」
「僕の元に名乗り出てきたのは宮本早苗だったけどな」
 矢坂は疑問を言う。
「誰かが誘導したのよ。彼女が名乗り出るように。最初は早苗ちゃんが誰かをかばっているのかと思った。でもあの子なら、かばうよりも自首を勧めるでしょう、性格的に」
「確かに」
 まりえは相槌を打つ。
「かばっているのでないのなら、なぜ名乗り出たのか?それは自分が濡れ衣をかぶってでも早く家に帰ってほしい相手がいたから。『犯人が名乗り出るまで帰れない』と言われたから、その子のことを思って嘘の申告をしたんでしょうね」
 全員の視線がまりえに注がれる。友達の少ない早苗のことだ。そんな相手は一人しかいない。
「でもどうして? どうして私に早く帰ってほしかったの?」
「『まりえの家は今揉めていて、喧嘩ばかりの両親の代わりに、まりえが小さい弟の面倒を見ている』と早苗ちゃんは言われたそうよ。『だからまりえは早く帰る必要がある』と。そう言われたら、名乗り出たくもなるよね」
「でも誰がそんなことを言ったんですか?」
「それは……、本人に説明してもらいましょうか」
 真奈は店員を呼んだ。さっき亜美に難癖をつけられていた店員。それは宮本早苗だった。

「お久しぶりです、みなさん」
 早苗は笑顔で言った。「気楽屋」のエプロンがよく似合っている。昔の面影はあるものの、顔立ちはかなり変わっている。今の早苗を見て早苗だとわからない人もいるだろう。
「あんた、早苗?」
 亜美は口をパクパクさせている。早苗みたいでムカつく、と文句を言った相手が当の本人だったのだから、当然だろうか。
 まりえは涙をこらえている。吉沢は驚き顔。他の元クラスメイトたちは、呆気に取られていたり、その様子を複雑な顔で見ていたりと反応は千差万別だ。
「真奈ちゃん、早苗ちゃんを呼んだの?」
 涙声でまりえは訊ねた。
「街で偶然会ったの、早苗ちゃんに。つい3か月くらい前かな。その時の彼女は取り乱していた。あの時はビックリしたよ。早苗ちゃん、川に飛び込みそうに見えたから」
「仕事で先輩にきつく当たられてね。そしたら前いじめられてたこと思い出して、フラッシュバックって言うのかな、パニクっちゃって。街を走りに走って、川のそばで休憩してたら、真奈ちゃんが声をかけてきたの。『思い詰めてるようだけど、どうしたの』って。それで私、あの事件のことを話したんだ。本当は私が犯人ではないって、勢いに任せて。真奈ちゃんは、『今度ある同窓会、私が幹事だから、みんなに事件のこと話そう』って言ってくれた」
「宮本君、名札」
 矢坂は早苗がエプロンに付けている名札を見て聞いた。
「君、苗字が変わったのかい?」
「結婚したんです。だから今の私は樋口早苗です」
 早苗はどこか嬉しそうだ。でもすぐに表情を引き締める。
「あの日あったことをお話しします。私は、緊急ミーティングの直前に矢坂先生に言われたんです。『まりえちゃんは早く帰らなければならないから、犯人のかわりに名乗り出てくれないか』って。『名乗り出てくれたら、悪いようにはしない』と。私はその言葉を信じて、あの日手を挙げた。本当はおかしく思うべきだったのに、連日のいじめで疲労困憊していた私は判断力が低下してて、素直に従った」
 矢坂は裏切られたような顔をしていた。
「次の日から私が犯人だと言われ、いじめはエスカレート。私が犯人って、先生がバラしたのね。今更違うと言っても、信じてくれる人はほとんどいない。耐えられなくて、その次の日に私は姿を消した」
「すみません!」
 何かが動く気配がした。磯田洋太郎が土下座をしている。
「戸田夕華のストラップ、俺がやったんだ。あいつに振られたのが屈辱で。宮本、今まで悪かった! 本当にすまなかった」
「磯田君……、名乗り出てくれてありがとう」
 磯田洋太郎はホッとした様子だ。
「あとは先生、あなたが罪を認めるだけです」
 早苗は矢坂に向き直る。
「私が思うに、先生はいじめゼロを達成したかったのではないですか。だから私が邪魔だった。いじめゼロを目指すため、クラスにはかなりの圧力がかかっていたと聞きました。いじめっ子を停学処分にしようとしたっていうのも、嘘ですよね」
「まさか、違うよ。言いがかりもいいとこだ」
 矢坂は全く動じる様子がない。一方の真奈は少し動揺していた。真犯人が名乗り出るなんて、思ってもみなかったからだ。だが、矢坂を追い詰めやすくなったのは確かだ。
「磯田君が名乗り出てくれたのに、否定するつもりですか?」
 冷房の効いているはずの店内で、真奈の体は熱くなった。今まで感じていた緊張や、みんなの心にトラウマを植え付けてしまうのではないかという恐怖はなくなった。怒りつつも、頭の一部が冷静に、「今は私たちのほうが優勢だ」と分析している。元学級委員の言葉には信ぴょう性があるということなのか、みんなの顔に納得の表情が見られる。矢坂に非難の目を向ける人もいる。
「濡れ衣だ! 宮本、いい加減にしろよお前。調子乗ってんじゃねえよ! お前はしょせん、先輩に当たられるような負け組なんだよ!」
 矢坂は早苗の胸倉をつかんだ。早苗は怯えを顔に浮かべたが、すぐに何を考えているかわからない無表情になった。
「そうですか」
 矢坂の手を取りながら、彼女はゾッとするような冷たい声で言った。後ろから氷水をかけられたような寒気を真奈は感じた。
「先生は、何を言っても否定なさるおつもりですね」
「当然だ」
 ため息交じりにわかりました、と言いながら早苗は矢坂をそっと引きはがした。
「これ以上話しても平行線のようですね。一旦ここでお開きにしましょう」
 早苗はみんなの方を向く。
「みんな、私のこと今も嫌いみたいだね。いじめていたことも反省していない。私がどんなにいじめで苦しんだか、想像できないでしょうね」
 何も言えないでいる元クラスメイト達を冷ややかな目で見ている。
「まりえちゃん、真奈ちゃん、吉沢君。私をいじめないで、普通に優しく接してくれてありがとう。磯田君、ストラップの件、名乗り出てくれてうれしかった」
 早苗は四人に向かって言った。
「二次会に行こう。この嫌な空気、仕切り直したいよ。私がおごる。着替えてくるからちょっと待ってて」
 早苗は微妙な雰囲気の中、店の奥に姿を消した。いじめっ子たちは早苗を馬鹿にする言葉をつぶやいている。真奈は大勢で誰かをなめてかかっているような、この空気が昔から苦手だった。
「お待たせ、行きましょう」
 戻ってきた早苗はそう言った。同窓会の参加者全員じゃなくて、真奈たち四人に言っているのだと真奈は今更になって気づいた。
「みなさんはもう少しご歓談ください。少しでも私に謝ろうって思ってくれたらうれしいな」
 穏やかすぎて怖いくらいの声で言うと、早苗は真奈、まりえ、吉沢、磯田を連れて店を出ていく。誰も引き留めない。誰も謝らない。
『居酒屋「気楽屋」の宴会場で塩素ガス発生、死傷者は20人程度』の報道があったのは、真奈が店を出てから約二時間後のことだった。
つづく

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