同窓会①

 黛真奈は同窓会の受付に立っていた。参加者名簿にチェックを付け、会費を徴収する。割と集まりがよく、あとは元担任が来れば全員だ。集まりがいいのは、クラス規模の会で参加者も二十人ちょっとだからというのもあるが。外は夏の夕方らしく雨が降っている。道も混んでいるはずだよねえ、と真奈はため息をついた。今日は中学の同窓会で、卒業してからもう八年が経とうとしていた。がららっとドアが開く音がして、担任だった矢坂慶太が姿を現した。
「黛君、久しぶり。待たせてごめんね」
 真奈の声のトーンと体温が少し上がった。
「いえいえ。先生、お久しぶりです。元気そうで何より」
 矢坂の着ているスーツは雨で濡れている。首筋に汗がだらだらと流れている。店員がタオルを持ってきて彼に渡した。ガシガシと頭を拭くその左手がいやに目につく。
「全員揃いました。それでは始めましょう」
 先生の後から会場に入った真奈が声を張り上げると、大きな拍手が起こった。いよっ、学級委員! と囃す声も聞こえる。
 今回の同窓会は真奈が企画したものだ。クラス全員に招待状を出し、会場の予約もした。人気の居酒屋「気楽屋」で、店の奥の宴会場を使ってのパーティーだ。
 お互いの自己紹介を兼ねた近況報告が始まった。
「田浦さんは何をしてるの?」
「看護師を。隣の町の病院ですけどね」
「そっか~。保健委員だった君らしい仕事だな」
 数人の同級生と歓談していた田浦まりえは、タイミングを見て会話の輪を離れると真奈に近寄った。
「ねえ真奈ちゃん、あの子、来てないんですか、あの子」
 大きくて茶色いまりえの瞳が真奈を見る。まりえは全体的に色素が薄い感じがする。先生に、染めたと思われ注意を受けた薄茶色の髪、色白の肌、茶色の目。
「ええ。あの子だけ来てない。あとは全員参加」
「そう。あのさ」
「なに?」
「私、あの子が居なくなったって今も信じられない。きっと今日も来てるはず、そう思っていたの。真奈ちゃんは何か知ってる?」
「わからない。引っ越す前の家に宛てて招待状を出して、返ってこなかったから転送されたんだとは思う。でも返事は来なかった。来づらいんじゃないのかな」
「そうなの……」
「ごめんね、何もわからなくて。あの子突然姿を消したから、心配だよね」
 まりえは頷いて、元気ならいいんだけどな、と呟く。俯くとさらさらの茶髪が顔に被さる。真奈はその姿を見て、何とも言えない複雑な気分になった。

「黛!」
 突然の大声に真奈が振り返ると、同じく元学級委員の吉沢健太が立っていた。
「元気だったか?」
 整った顔に笑いを浮かべている。背は高いわけではないが、すらりとした細身の体形。中学時代にイケメン王子ともてはやされた通りの姿がそこにあった。
「元気だよ。吉沢君は?」
「まあまあ元気」
「彼女とはうまくいってる?」
 彼女とはまりえのことだ。田浦まりえと吉沢健太は付き合っている、という噂は中1の時からあった。卒業するころにはクラス内では周知の事実となり、その関係は高校に行っても続いていたと聞いたことがある。
「ああ。長い付き合いさ」
 肩を竦めながら涼しく肯定した。相変わらずのカッコつけだ。
「リア充め」
 真奈が軽くにらむと吉沢は目線をそらし照れ笑いをした。しばらく笑った後ふと笑いが消え、吉沢は真剣な顔になる。彼の目線の先には、暗い表情でたたずむ女性の姿があった。
「吉沢君」
 真奈は吉沢を改めて呼び、彼に近寄った。あまり周りには聞いてほしくない話があった。
「あの事件のこと、まだ覚えてる? 十年前になるけど」
「覚えてるよ。あの子は俺とも仲がいいし、まりえとあの子は親友だったしね。黛も忘れられないみたいだな」
「当たり前。あの頃のまりえちゃんを思い出すと、まだ痛々しい気持ちになる」
「吉沢と黛、浮気してるー!」
 冷やかす元クラスメイトの声に顔をしかめながら、二人は話し続ける。皆それぞれ談笑していて、華やいだ空気が流れている。この雰囲気、いつまでもは続かない。そう思った真奈は少し俯いた。
 あちこちで笑い声や楽しそうに喋る声がしている。そろそろ学生時代の写真を集めたスライドを流すか、と真奈が幹事の立場に返って立ち上がったとき、誰かが大きくはないがよく通る声で言った。
「黛さん、今回の出席率は百パーセントよね?」
 本気で聞いているのではないとすぐにわかる嫌味っぽい言い方だ。その声の持ち主を目で探す。中原亜美だとすぐにわかった。
「いいえ。九十六パーセント、かな。招待状を送ったけど返事が来なかった人がいるから」
 真奈は答えた。
「そっか。ああ、あの子が来てないのか。まあ来られないよね~。あんなことがあったんだもん。ていうか逆に来たらテンションだだ下がりだったわ。あたしあいつ嫌いだもん。暗いし、どんくさいし、気が利かないし」
 そう来たか。真奈は心の中で呟いた。中原亜美。彼女は中学の時から、悪口を言うことで有名だった。自分以外が楽しくしているのが許せない、といった感じで人を傷つける。
「中原さん、そこまで言うのはどうかと思うけど」
 田浦まりえが割って入った。いつもは優しく聞こえた声が強張っている。
「私はあの子のこと大好きだよ。いい子じゃない?」
 まりえの意見を亜美は無視して続ける。
「あの子がいなかったから、あれからは楽しい学校生活を送れたんでしょうけど。信用できないもんねえ、あんな奴」
「ひでえ。あの子の親友のまりえちゃんの前で、そんなこと言うなんて」
「だってそうでしょ? 信用できないって、みんなもそう思ったでしょ? まりえは本当にあいつのこと友達だと思ってたの?」
 亜美さん、地雷を踏んだな、と真奈は感じた。中原君、と矢坂がたしなめる。
 田浦まりえはあの子――宮本早苗と仲が良かった。なんでも話せる親友、という感じに真奈には見えたものだ。しかし嫌な噂があった。田浦まりえが宮本早苗と仲良しなのは、自分をよく見せるためではないか、という話だ。
早苗はどんくさい、気が弱い、影が薄い、気が利かないとクラスメイトから悪口を言われ続け、いじめられていた。そんな早苗に寄り添うことは、確かに好感度アップにつながる。いじめに遭っていた早苗を深く心配するまりえの態度が、一部の人たちの目にはわざとらしく映ってしまったのであろう。悪意を持ってまりえを非難する声も、あの時はちらほらとあった。その筆頭が中原亜美だ。「まりえは早苗のことを、自分のイメージアップのための道具として扱っている」。彼女の言い分はこうだった。それに対し早苗やまりえが言い返したことは、一回もなかった。
 田浦まりえは怒りのせいか悲しみのせいか、うつむいて震えている。みんな、彼女の一言でまりえが中傷されていたことを思い出したはずだ。苦々しい表情を浮かべる子、心配そうにまりえを見ている子、我関せずと涼しい顔の子、この状況を面白がって笑っている子。参加者の表情は様々だ。まりえは自分への悪口をどう思っていたのだろうか。真奈は幹事のはずなのに、成り行きを見守ることしかできない。
「私は早苗ちゃんのこと、友達だって思ってたよ。一番の親友だって」
 まりえは震える声で答える。
「自分の見栄のためにあの子と一緒にいたなんて、とんだ勘違いだよ」
やはり彼女は知っていたのだ。自分が悪口を言われていることを。そしてその内容を正確に理解していた。彼女の口調は優しい。中学のころから変わっていない。
「中原さん、今も私のことを好感度を大事にする嫌な奴だと思ってる?」
 その質問に対し、亜美は答えなかった。言えないならいいんだ、とまりえはひとり納得したように呟いた。
「ねえ、もうそんな暗い話やめようぜ。スライド見る予定なんだよな?」
 そう言ったのは磯田洋太郎だ。笑い上戸で、談笑していたときの笑い声の三割は彼のものだといっていい。思えば、早苗の悪口を滔々と喋っていた亜美に注意をしたのは彼だった。
「あれがあったのは随分前なんだしさ、忘れてもいいんじゃねえの?」
 いつも笑っている洋太郎が今は真顔だ。彼は真奈を見て発言していたが、言葉は全員に向けて放たれていた。
「みんなはどう思う? スライド見たい?」
 真奈は立ったままみんなに尋ねた。こうしていると学級委員時代を思い出す。見よう、そうだね、気分直しに。ほぼ全員が見たいと声を上げた。真奈はうなずいてパソコンを開いた。
 スピーカーから音楽が流れ出した。それとともに会場前方のスクリーンに写真が映し出され、スライドショーが始まる。修学旅行の時の写真、入学式の写真、授業中の写真、洋太郎の変顔の写真、文化祭の写真。面白い写真が出てくると笑いが起こった。
 写真は次々と切り替わっていく。クラス対抗の音楽祭のために合宿した時の写真、修学旅行で泊まった旅館でなぜか人間ピラミッドをしている写真、吉沢とまりえが主役を張った劇の写真。二人が舞台に立って演技をしているところだ。その時は中一で、二人の関係が噂になったのは劇のせいだった。脚本は矢坂と真奈で書いた。高校で演劇部だったという矢坂は、脚本を書くのが上手かった。ヒロインが歌う歌は、まりえにアドバイスをもらいながら作曲したっけ。
 照明や音響、道具係など劇の裏方の集合写真には、脚本担当の真奈も写っている。その隣で笑っているのは、衣装製作を担当した早苗だ。早苗がクラスでとある事件を起こして、行方不明になる直前のことだ。
 写真が切り替わっても、早苗の笑顔は彼女の脳裏に焼き付いて離れなかった。私は彼女に何かしてあげただろうか。たぶん、何もしていない。いじめはせず、普通に友人として接していたけれど、まりえのように助けようとはしなかった。磯田洋太郎の態度が気にかかった。みんな忘れたいのだろうか。宮本早苗のことも、事件のことも、彼女が行方不明になったことも。

つづく

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