東京パラリンピックの日、たまたま感じたバリアフリー
東京パラリンピック2020開会式の日。
それと何か縁があったのかどうか、わたしは生まれて初めてフィジカル的に車椅子ユーザーの方のお手伝いをした。
わたしの勤務先の飲食店に、初めて車椅子のお客様が来店したのだ。
以前に勤務していた別の飲食店には、入り口に車椅子用のスロープがあった。そのため、恐らく事前に調べた上で来店する車椅子ユーザーの方が、たまにいた。
記憶の限り、必ず介助者が一緒であったので、店員がお手伝いすることは特になかった。車椅子が入れるように、テーブル席の椅子をどかしたり、出入りの際にドアを押さえたりしたくらいだ。
それは何の負担でもなく、わたしが普段の生活でもやることだった。コンビニで後ろから来る人のためにちょっとドアを押さえておいたり、お年寄りやベビーカーユーザーの方のためにエレベーターの【開くボタン】を押して待っておいたりするのと同じだったのだ。
手のひら、指先だけでできる簡単な、「手伝い」とも言えない「気遣い」であった。
さて、2021年8月24日のこの日。
混雑する時間帯を避けて来店したのであろう介助者の女性が、「車椅子の連れがいるので手伝ってほしい」と言ってきた。
一瞬、「手伝うって何を?」「入ってくればいいのに」と思った自分を恥じた。この店の入り口にはスロープがない。お手伝いしなければ車椅子ユーザーさんは、まず入れないのだ。
ピークタイムが終わっていたので、当時店内スタッフはわたしともう1人、厨房係の男性しかおらず、しかも彼は調理の最中だった。
介助者の方は「男性の方にお願いしたい」と言ったが、まだ事態をよくわかっていなかったわたしは「調理中で、お待たせしてしまうので。わたしでもよろしいですか?力はあります!」と引き受けてしまった。
お手伝いの内容は、人が乗ったままの車椅子を介助者の方と2人で持ち上げるというものだった。
軽量そうな車椅子に小柄な女性、重く見積もっても60キロ程度だろう。わたしの負担分は30キロ。一瞬持ち上げるだけなら自信はある。
だが、荷物ではない。人が乗っているのだ。失敗できない、怖い。
と思った時点で、やはり少し待ってもらっても男性スタッフにお願いするべきだったかもしれない。わたしが個人的に「女性のわりには力に自信がある」ことなど、この人たちには分からないのだ。男性の方が安心して任せられただろう、と今は後悔している。
結果的に、介助者の女性と2人で車椅子を持ち上げ、入店していただくことができた。
その前に、邪魔にならないように入り口の長い暖簾を結んでおいたことの方を喜んでいただけたりもした。
退店の際には車椅子を持ち上げる必要はなく、手を添えてゆっくりとタイヤを段差から落とすだけで良かったので、いくらか気が楽であった。
お見送りに「またお待ちしております」と言いながら、わたしはこの店に車椅子ユーザーの方が来ない理由を考えていた。
彼らは外出の際、駅のエレベーターや、車椅子で入れるトイレの有無などを事前にたくさん調べると聞いたことがある。入り口にスロープがあるかどうかわからない飲食店など、選ばれなくて当然だろう。
だが、わたしは勤務先の店の料理はとても美味しいと思っている。色々な人が食べてくれれば嬉しい。
メニューを見ている人の「全部美味しそうで迷っちゃう」というおしゃべり、料理を提供した時の「わぁー!美味しそう!」という歓声はこの上なく嬉しい。
だから、「混んでいるから今日はあきらめよう」ならまだしも、「車椅子で入れるかどうかわからないから」と思わせてしまうことは悲しい。
混雑する時間帯には、お手伝いする人員も、車椅子が動ける動線も確保が難しいのが現状であるが。
実はわたし自身、見た目からは全くわからない障害を抱えて生活している。誰もが「生きづらさ」など感じないで毎日を送れればいいのに、と実感している人間の1人だ。
自分が外出をする時には、やはり色々なことを事前に調べて、安心できる計画を立てている。
わたしの障害は身体的なものではないし、自分の性格として、そうして調べて確信を持ってから外出したいのでそれでいい。
だが、他の人たちに関しては「エレベーターやスロープがあるかどうかは、調べても分からなかった。でも、もし無くても必ず誰かが手伝ってくれるから大丈夫」として外出できる世の中であればなあ、と感じた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?