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AIでなく人間

よしもと漫才劇場(ミルクボーイ)

 先日吉本漫才劇場に行ってきました。
 若手漫才師が中心に毎週5組程度で公演しているのですが、その回はミルクボーイが出演されていました。ほかの若手漫才師も非常に面白い、レベルが高いなあと感じました。その中でもミルクボーイは流石というか、いつものパターンのあの「おかんが言うには・・・」の漫才なのですが、これがまた秀逸でした。あのパターンはなぜいつ聞いても面白いのかと考えると。
 「おかんの言う〇〇」について、徹底的に深く考えている。〇〇について誰もが思うことを押さえている。誰もが気が付くわけではない〇〇について、〇〇とはそういうことなのかと思わせる。
 〇〇について深く考え抜いているからなのではないでしょうか。

 今回は、そのおかんの言うのは「人間」でした。詳しい掛け合いの中身はあまり思い出せないのですが、
 「おかんが言うにはな、それは2足歩行でしゃべる 言うねん」
 「それはもう人間やろ、人間しかおれへんがな」
のような件から始まり、「AIにはできへん 人間にしかないこと」のような流れでした。
 そこでAIには出来ない、人間にしかできないことって何かについて考えさせられました。
では

AIには出来ない人間にしかできないこと

は何でしょう。
 感情、共感、直観、創造性、道徳観、倫理観、柔軟性・・・
 気持ち、心、感じる、ものごとを見る見方・・・
 正解のない問いに向き合う、考える、ものごとの意味を見出す・・・
 
 AIでも心をもつようになるとも言われていますが、まだAIは意思はもってはいないので、人間の指示により答えを出しています。
 なので、AIに出来ないで人間にできることは、人に言われたからやるのではなく、自分で考え自分でやること、やろうとチャレンジすることが挙げられます。

 将棋の世界ですら、もうAIが勝っているとのことですが、藤井壮太棋士ならAIを負かすのではないかという期待を持たせてくれます。だだAIに勝とうが負けようが、人間同士の勝負のほうが面白いですね。
 AIに使われるとか、人に使われるという意識はもたないで、何より自分軸をしっかり持って、AIの良いところは取り入れ、何か違うなと思うものには警戒心をもってあたる。AIのせいなどそもそも出来ないのだから、人のせいにも出来ない。自責で事に当たるのが人間のできることなのではないでしょうか。

 以前、「ルパン三世」の映画で、ルパンがコンピューターと対決するシーンがありました。このときルパンはコンピューターが予測不可能な、気まぐれ・思いつきを駆使して混乱させ勝つというストーリーでした。この映画を見て痛快に思いました。
 AIは過去のDATAに基づき行動を予測し何%の確率でこうだからこうするという回答をします。人間は思いつきで行動するときがあります、ときには無謀と思えるチャレンジも試みて成功する場合もあります。チャレンジの可能性を信じています。

 「おとんが言うにはな」
 「お!おとんが言うのは」
 「それはな!」
 「人が人を笑わすねん、AIで人は感動せえへんけど、人が本当にしゃべってたら面白いねん」「漫才は人がやるから面白いねん」


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