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救急車と色弱

私は色弱。
梅図かずお著『わたしは真悟』みたいに言ってみた。

https://twitter.com/QB_MARUYA/status/1644618333801807874

丸屋氏のツイート。
ハッキリ言ってどうでもいいんだ。われわれ色弱を少数者(=弱者)の枠に押し込めてくれても構わないし、われわれを使って自己満足を爆発させてもらっても問題ない。

ただね。
丸屋氏がアイコンに掲げているのは多様性を象徴するレンボーフラッグのようだけど、われわれ色弱(丸屋氏いわく色覚少数者)はレインボーフラッグを目の前に掲げられても、まったく多様性を感じられないんだ。だって何色か分からないんだもの。私の目には三色にしか見えないのよね。
それこそ自己満足を爆発させているようにも感じるけど、まあLGBTの人がいいならいいと思う。

色弱の私は、ヒラヒラはためく三色旗の中に薄っぺらい被差別根性を見出す。
「あたし、差別されてるんだ」
そしてレインボーフラッグに込められた差別する気のない差別を軽蔑する。
「多様性とかのたまってるけど、結局、色弱を無視してるのね」
こんな感じで。

でもまあ、我々のような少数者(丸屋氏いうところの)を踏み台にして自己を満足させたっていいと思うよ。だって、さまざまな弱者を踏み台にして今の輝かしいキャリアを築いてる人はたくさんいるわけだから。あの人この人・・・救急車に迷彩ペイントをする人、レインボーフラッグを掲げる人。

少数者(=弱者)を発見する行為の何と素晴らしいことか。われわれ少数者が被差別根性をむき出しにして表舞台に立てるチャンスを提供してくれてるんだから。
でもさ、当事者はいつだって置いてけぼり。表舞台に立っても主人公になれやしない。主人公になるのは少数者(=弱者)を見つける人、見つけて騒ぐ人。
救急車の色なんて一度も気にしたことのなかった当事者を置いてけぼりにして、しょうもないペイントをする人、あるいはペイントにイチャモンをつける人、彼ら彼女らがいつも主人公。

で? われわれは? 別に主人公になりたくないけどね。ほっといてくれよってね。だって少数者≠弱者だもん、本当は。


ちなみに今日どの赤緑色弱の私には、丸屋氏が提示している③以外は何ら変わらない色に見える。