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見た目がそんなに重要か

ふと気付いた。

「美しすぎる女性軍人」、「美しすぎる女性政治家」、「美しすぎる女性〇〇選手」という対象は常に女性である、ということに。

これらの言葉を男性に当てはめてみよう。

「格好良すぎる男性軍人」、「格好良すぎる男性政治家」、「格好良すぎる男性〇〇選手」....。聞き慣れない。

書いていて気づいたが、こうした「美しすぎる」という形容詞が前に付く単語は、全て女性が今までに就くことがなかった、もしくは就くことが許されていなかった職業である。そうした職業に女性が就けるようになった瞬間、社会は再び女性をがんじがらめにする。

美しすぎて何がいけないのだ。化粧をしていなくて、髪がボサボサであるときには「女のくせにだらしない」と言うくせに、美しすぎても無駄な形容詞を付けて、「あなたのその容姿ではその職業に向いていない」とでも言うように、こちらが頼んでもいないのに評価する。

性別で職業の選択肢が狭まるべきではないのはもちろんだが、容姿で判断されるなんて言語道断だ。「美しい」という言葉はマイナスに捉えられることが多くはないかもしれないが、「美しす・ぎ・る」となると捉え方は変わってくる。

人を性別でなく、見た目でなく、国籍でなく、人種でなく、宗教でなく、「一人の人間」として互いに評価しあえる社会に私は住みたい。そしてその社会の実現に少しでも貢献しているつもりである。様々なバックグラウンドをもつ仲間を世界中につくりながら。