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とりとめのない日々を綴る DAY15~きらいなことをしないとは~


きらいなことをしないということ

よく自分を大切にする行動軸に「きらいなことをしないということ」が
出てくる。
その一文を目にするたび「なるほど」と思うと同時に、「きらいなこと」
ってなんだろうって最近ふと思うようになった。
自分にとって「きらいなこと」って、すぐにわかるものだと思うけど、果たしてそうか?
同時に、「きらいなことをしない」って可能なのか?
「きらいなこと」と別の「きらいなこと」どちらかを選択しないと進めない場合、結局「きらいなことをしない」ということはできない。
ただ、これは取捨選択をするとき、何を軸にするかというところが重点だという話だろうとはわかってる。

取捨選択する権限はだれが持っているのか

これも一言でぶった切るには難しい回答だ。
もちろん、わたしの人生、わたしの生活において何かを取捨選択する権限はわたし自身のものだ。原則として。
だけど、わたしの生活やわたしの人生はわたし自身だけの単独軸でまわっているわけではないので、わたし「だけ」でなんでも取捨選択できるかというとそうではない。
やはり、自分の権限で取捨選択できる「範囲」というものは存在する。
こんなことを考えるのも、実は以前の記事でもチラと書いたのだけど自分のブレイク生活に変化があったからだ。

会社員として再就職

会社員としての自分の向いていなさを大いに実感したブレイク期間、1年と約半年。
だけども、結局家族の「どうするんだ」という圧と、当たり前に求められるはっきりとした「こうしていくつもりで、こういう計画がある」という具体性と現実的回答を自分が持っていないために地元で、家族の縁伝手での再就職となった。(あんなに愚図ついたにもかかわらず! いいんだけど)
あと、就活という活動自体が本気で合わなかった。
まともに決断して動くまでにすごいエネルギーが必要だった。
面談から採用(面談後その場で採用を告げられた)、初出勤まで怒涛で、正直なところ自分が何を求められてどんな業界のどういう業務につかされるかわからないまま、流されるままに新しい職場に参入した。

前振りを見ていると「きらいなこと」をやらされているのか、働くこと自体をあるいは会社員自体を「きらいなこと」なのかというとそれは、すこし違うような気がする。

わたし自身の気質や性格上、「決めつけること」での視野狭窄と自分の持てる回答数の少なさへの不安で、きらいと断言することが難しいというのもあるけど、簡単にこれは「きらい」って断じ切ることができることって難しい。
どんなものにも「前提条件」というものがでてくる。
はたらくことは「きらではない」けど、拘束時間の長い雇用環境は「きらい」だとか、その雇用環境は会社員だったら絶対条件なのかというと最近ではそうではないし(拘束時間長く、場所にも拘束されるのが大概だけども)。

一律で場所に拘束されるのが「きらい」かというと、多分人的環境、空間が自分にとっては快適あるいは普通であれば「きらい」ではないと思う。
自分にとって、苦ではない作業であれば「拘束されている時間」も長くても長いと感じないかもしれない。

自分を知るって難しいな、と思う。
知ったと思っても、日々を過ごしていけば自分もまた少しずつ変容していく生き物だから。

新しい環境にはいるときの気持ちの動き

正直、不安は普通にある。それに伴う緊張もあった。
初日の朝礼時の自己紹介も苦手なもののひとつでもあるし。
ただ、前職の初出勤の日に比べると気持ちの余裕というか硬さの違いを感じた。
実は、前職においては初出勤が2回あった。
ひとつは、初っ端から所属事業所ではなく新しい経理システムを導入する前のシステムを学ぶ研修に参加するため、東京本社へひと月配属することとなり、初の一人東京移動、大都会での知らない人との共同生活(委託の社員寮(しかも他社と一緒の))、初の電車出勤。
正式に医者に診断されたわけでもないけど社会不安障害気味だったわたしには、かなりのストレスで、寮内でもなるべく人の少ない時間に食事、お風呂を済ませるようにしていた。
今思えば自分の心身の状況からしたらめちゃくちゃ頑張っていたと思う。
寮母さんも意地の悪い人だったし。
そして、ひと月だったものをふた月に何故か延長されてグダグダと採用条件と異なる所属箇所への配属が決まって初めて出勤する日(これが2回目)。

挨拶は普通に噛んだし、緊張で声量も出なかった。
業界的にもそうだし、男性が多い職場だったので普通に圧が強くて怖かった覚えがある。

それをつらつらと思い出しながら、今回初出勤。
もちろん「あ~~~いやだ~~」と思いながら挨拶した。
(噛まずに言えたけど、人事が説明した私の簡易な履歴は誤った内容だった。面倒なので訂正はしなかったけど、いずれわかることだし)
でも、前回と異なり、自分に許したことがある。
・緊張してもいい
・挨拶を嫌いでもいい
・嚙んでもいい
・怖いと思ってもいい
・好かれようとしなくていい
・自分を1番好いてくれる存在を自分だと思い込む。
 (そして実際そうだと思う)
・自分が無理しないできる範囲で誠実であれば、他者の評価は
 無視(だってどうすることもできないから)
・馴染めないなと思っていい

おかげで、今までになく落ち着いて初日を過ごせた気がする。

長くいる場所にしようと思わない

実は初出勤からもうひと月は経過しているけど、これは普通にいまでも
思ってる。
おかげで(?)、実はまだ一部の人にしか、再就職したことを話せていない。
報告したいけど、別に喜ばれたいことでもないからだ。
おめでとう、よかったねと伝えてくれる優しい人ばかりだとわかっているので、それに心から「ありがとう」と返せない微妙な自分を想像すると、伝えるにしてもお礼を言ってくれるだろうその人の労力…無駄にしちゃうなという複雑な気持ち。
多分、自分が「やりたい!」と思って再開したことではないので。
お金とか家族からの圧とか、それによるこの先への不安とかそういうものに押し出された結果だから。
だからと言って、後悔しているか?
となると別にそういう気持ちでもない。
そもそも何かが始まるきっかけに、良いも悪いもないということはわかってる。

やっている業務の種類がが以前とは全く異なることで、当たり前に初めてのことばかりだから一からいやゼロから覚えることはたくさんある。
あと、前職の3倍以上女性がいるのだけど、やはり初見で良好なのかと思っても人間関係は色々あるんだな~って入って1週間くらいでわかったし、教育担当者とは相性がいいとも思わない。
(普通に性格がキツく、言い方、言葉選びがしんどい。改善点を挙げてくれるのはいいけど、初めて聞かされることを「何回言っても聞かない!」と同等の態度で責めてくるのでまず心がショックを受ける。急なのでびっくりする。ショックを受け止め静めてからになるので、改善点について自分の中で吸収するまでの効率の悪さに、グッタリだ。普通に話せませんか?と思う)

それでも、何かしら縁があったのだろうと思って今は明日も出勤するという選択をしている。
ただ、「この先、ここしかない」とかいう考え方ではいないでおこうと思う。「ここで最後にしたい、しよう」とも思わない。
あと、ここで何かを成し遂げる気もない。
得られるスキルとか、そういうものを具体的に自分で計画立てたところで会社の意向に従うしかない会社員が描けるプランなんて絵にかいた餅だと思う。

以前の会社と比較してどうのこうの思う気もない。
すべてにおいて「へ~、(ここでは)そういう風なんだね」という心持でいるようにしている。
そう、なにも期待する気がないので。

自分にとって優先することはなにか

なにを軸にするかって、結局わたしの場合はここに落ち着く。
日々を穏やかに暮らしたい。
今は、全然穏やかじゃないけど。
教育担当者に今度はどんなキツイ言い方されるだろうとか、どんな業務内容を教育されるんだろうとか、事前通達もないしフォローもないので毎日ビクビクして一週間を乗り切ることだけを考える日々だ。

それも今は、わたしはその職場で異分子でしかないのでしょうがないことではある。
相手も多少のストレスはあると思う。
でも、相手の気持ちを必要以上に慮ろうとか想像しようとか、否定しないでおこうとか反射的に自然に考える思考の癖があるけど、いまは意識して「自分の傷ついたり、腹を立てたりするマイナスを含めた気持ちを優先して見つめよう、そう思う自分を全肯定しよう」としている。

どこにいても、できることという、自分のなかの引き出しの数はおのずと増える。
なのでわたしは必要以上に頑張りそうになる自分を今、なだめている。
ただ、一番弱い立場ではあるので、必要以上に頑張らないようにする自分とより自分を不利にさせないような頑張りの分量の配分に神経をつかうところではある。

教育担当者だけでなく、上司、その周辺の人含めて、今後どんな関係が築かれるかわからない。
ので、そこについては先に否定も肯定もしないでいきたい。
期待はしないけど。
優しくされたいし、親切であってくれるとありがたい、それは自分が安心したいから。
自分は自分ができる範囲で相手にはそうしていきたいけど、過剰にへりくだることはやめる。
気分が悪いと感じる態度をされたら、無視とかキツイ態度で返さなくても笑顔を減らして、相手に使うエネルギーを減らす。
自分を大事にするため。
自分が自分をないがしろにすることにつながる行為をしてないか、わたしが本気で重視すべきところはこれに限る気がする。

明日も出勤です

いやいやです。
明日を思うとじわ~~~っと重くて黒いものが胃のあたりにどんどんたまっていく感じ。
今までなら、この感覚を深く追求しないように、存在を無視してた。
でもこの方法はあまりよくないと前職で学んだ。
注視することはあまりよくないのは正解だけども、「いやだ」と感じている自分を「そうだね、めっちゃいやだよね、わかる~」と気持ち全部をまるごと肯定し受容する。
無視はしない。気持ちを無視すればいつか、ひどいしっぺ返しが来る。

社内体制と全般に通じる勤務条件として、就業規則を一部渡されて、出勤初日に総務から説明はあったけど、私個人の勤務条件通知書なんぞはないし、前職の基本給を回答し、「この金額で検討する」と言われた結果、初任給は5万は下がってる。
でも説明もない。
田舎の中小企業だからかもね、と思う反面、どこまでが自分の許容範囲だろうなと理性的に見つめる自分もいる。
3か月の試用期間、相手がどう判断するかもわからない(合わなければ正式採用をお断りすることもあると言われてる)し、私自身もどうするかわからない。
なにより、この会社で「うまくやっていく」ことを生活の中心に据え過ぎない、またとりあえず定期収入がある間に自分がやっておきたいことを順番に決めて埋めていくことを大事にしたい。
明日はどんな日になるか、そんなことはわからない。
期待もしないし、同時に不安な未来も想定しないでおこう。
寝るまでのあと数時間、この貴重な休日を大事に過ごそうと思います。
みなさんも、今日は寝るまで(寝てる間も)ゆっくりお過ごし下さい。
文章で見ると随分とドライで淡々としたような内容に感じるけども、
色々と今の職場、生活リズムなどに対する自分との距離感のようなものを試行錯誤している最中だから、実際はもっと気持ちに揺らぎだらけです。

そんな、相変わらずふらふらしたわたしの文章に
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございます^^

サポート頂けるんですか???!ありがとうございます! 頂いたサポートは語学等の勉強の教材や筆記具代、あるいは勉強後の休憩のお茶代に充てたいと思います!