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富士へ /はじめに

「地下鉄サリン事件って、なんだったの?」

そんな疑問をずっと抱えていた。

「邪悪なカルトの教祖が自分自身の欲望のために前途有望な若者をだまして破滅した」という、ベタなシナリオには辟易していた。

地下鉄サリン事件という釈然としないオウムの結末を、考えてもわからないこととして忘れてしまうのは少し違う気がした。

わたしがオウム真理教に紹介して入信した人たち、師という立場で入信案内をした人たち、部署の責任者として影響を与えた後輩たちが少なからずいたのだ。

「自分にわからないものを人に勧めてたわけ?…」

それを許せない自分がどこかにいた。

オウムが起こした事件を、わたしはどういう意味でも肯定しない。
事件の背景に陰謀があったとも思わない。

信徒数一万人を少し超える程度の新興宗教団体――そのほとんどの信者が知らないところであの事件は起きた。

そして、日本と世界に大きな衝撃を与えた。

世界を揺るがすような現象は、大きなエネルギーを内包していなければ起こりえない。言いかえれば、わたしたちは何か大きな物語のなかにいたのではないか。

いつしかわたしは、問いの答えではなく「物語」を探すようになった。

それはわたしの信仰のようなものになった。




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