歴史や文化に無知なわたしは、「富士山は有名な観光地」くらいに思っていたのだが、当然のことながら、調べてみると富士山は古来から「聖なる山」「霊山」「修行の場所」であった。
人穴洞窟周辺は、江戸時代に興隆した宗教「富士講」の開祖・角行という行者が修行していたところだ。その角行の系譜の六世にあたる食行身禄は、富士山で断食死(入定)している。
富士講の流れをくむ現在の扶桑教や実行教なども角行を開祖としている。ただし角行自身は教団などとは関係がなく、一人の行者だった。
人穴洞窟で修行した角行には、有名な逸話がある。
角行は「4寸5分角の角材の上に爪立ちして一千日間の苦行を実践」したといわれていて、この奇妙でアクロバティックな修行が、「角行」という名の由来だとされている。4寸5分角というのは14センチ角で、その角材の上に人が爪立ちして一千日間いるのはどう考えても不可能だ。この逸話を普通に聞けば、「半ば仙人のような人物のあり得ない伝説、ファンタジーにすぎない」と思うだろう。
しかし、実際に瞑想修行をしたことがあるわたしはこれを読んでこう思った。
「角行という修行者は、人穴洞窟で三年間のリトリート修行をしてサマディに入っていたんだな」
サマディ(三昧)とは瞑想の究極状態である。そのとき呼吸は止まり、意識は肉体から離れ、いわゆる死の状態を経験している。サマディを目指したわたしの極厳修行の記録を読めば、なぜ「角行は人穴洞窟でサマディの修行をしていた」と思うのかがわかるはずだ。
横になって眠ることなく、断食をしながら瞑想してサマディ(三昧)に入る修行をしていると、やがて強い気が上昇して身体を包むようになり、気の柱が立っているような状態になる。そんな修行を経験していれば「気の柱が立つ」という表現を実感できるだろうが、普通の人がこの話を伝え聞いても意味が分からず、「気の柱」を「木の柱」と勘違いして「角材の上に立つ」と伝えてしまったのではないだろうか。
そして、角行は「修験道」の行者であった。
少し長くなるが、日本独自の山の宗教である「修験道」とはなにか『修験道入門』(五來重著)から引用するので読んでみてほしい。これを読むと山の宗教世界はアニメーション『もののけ姫』の世界に近いのかな・・・などと思えてくる。
苦行をすることと、修行の進度を験力(超能力)ではかるというのは、オウム真理教の修行と似ている。修験道や富士講とオウム真理教に直接のつながりはないものの、修行法や宗教観にはたくさんの共通項があるようだ。そこには、富士山がもつ宗教性が関係しているのかもしれない。