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オウムのヨーガとは/「グノーシスとオウム」訂正

オウムはグノーシス主義に似ているという記事を過去に書いたことがあります。その記事の中で私はこう書きました。

麻原教祖は「オウムはヨーガ・仏教と同じ真理を説いている」と言っていましたが、正直にいうと、オウムはヨーガというわりには「救済、救済」という掛け声が大きいし、仏教というわりには神秘体験が過激で善悪二元論が強いと思います。

「グノーシスとオウム」

オウムがグノーシスと似ていると思うことは今も変わらないのですが、その後、麻原教祖自身がオウムのヨーガはどういうものであるか、仏教との関係について明解に語っているデータを見つけたので、訂正のため該当部分を掲載します。

以下、1988年10月13日の大正大学での質疑応答の該当部分

◇◇◇

(質問者)宗教学の大学院のマスターのBと申します。わたくしはヨーガについては全くの素人でわからないんですけど、今まで耳にしたところでは、ヨーガの行者の方は自分の解脱のために修行しても、それをほかの不幸な方にどういうふうに向けるかということに関しては、あまり考えていらっしゃらない、ということを耳にしたのですけど、その点はどのようにお考えですか。

(麻原教祖)一つ質問していいですか。宗教学でしたら、以前インドにマイトレーヤという者が登場して、仏教の中にヨーガ派を打ち立てたのをご存じですね。

(質問者B)はい、うすうすは耳にしました。

(麻原教祖)そのマイトレーヤのヨーガ派と、今オウムで言っているヨーガとは全く同一のものです。ですから、一般のインドヨーガと、わたしたちが展開しているヨーガとは違います。つまり、大乗仏教の根幹の修行形態、これをヨーガという言葉を使っています。もちろんインドヨーガの形態の流れも、当然、瞑想技術を高めるためには使っていますけど、その背景にあるものは、四つの無量心です。ですから霊性を向上しない限り、高い世界を理解しない限り、あるいはスーパーパワーを持たない限り救済はできないと。そのための技術的な一つの訓練方法としてヨーガを使うと。そして、それをヨーガ派と言ってますね。それは結局、そのマイトレーヤと、それからナーガールジュナですか、ナーガールジュナとの間にかなり論争が生じるわけですけど、結局は、マイトレーヤの体験的な仏教学というんですか、体験的な仏教論というものが、ナーガールジュナの空論をある程度押さえて、そして大乗仏教の中心の一つといったらおかしいけれど、のし上がっていきます。そこはご存じですよね。

(質問者)はい。

(麻原教祖)今、オウムの提唱しているヨーガというのは、先程も言いましたとおりスーパーパワーを持つ、あるいは神秘的な世界を知ることによって、それを背景として救済する。そのためのテクニックにすぎないと。だから、まあインドヨーギーのものの考え方と、本質的には違います。

あなたの質問の答えになってないから、あなたの質問の答えをするならば、インドヨーギーの神秘的なパワーに対して、インド人は信仰を持つわけですね。そして、例えば、お布施をするとか、あるいは奉仕をすることによって、その神秘的な恩恵を受けると。そして、普通の生活において、少しでも豊かになる。あるいは来世、豊かな転生をしたいと願って奉仕をするわけです。そして、インドヨーギーは自己の世界をどんどん極めていって、神秘的な力を増大させる。そのことによって、逆に信仰を集めるという関係があります。ですから、自分だけのため、確かにそれもありますけども、例えば山にこもると、その山の周りの村落の人がそのヨーギーのもとに集まって、そして、その人に帰依をして生活の土台とする。そういう関係ですよね。答えになってますか。

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大正大学でのこの講演会は宗教を学ぶ人が多く参加していたようで、オウム真理教という宗教の本質的な事柄について質疑応答が交わされています。テキストデータのなかには(質問者弓山)という質問者名もあったので、「もしかすると宗教学者の弓山達也氏か?」と思って調べてみると、オウム真理教事件の処刑のあとに弓山氏が新聞にコメントを寄稿していて、かつて質疑応答をしたこの講演会についても触れていました。

新聞記事には「終了後、参加者何人かで食事を取りながら、一人が『初転法輪(ブッダの最初の説法)ってこんな感じだったんじゃないか』と冗談ぽく言ったが、誰も笑わなかったのが印象的だった。」とあります。質疑応答の内容の濃さを知っているかいないかで、「誰も笑わなかった」の意味の取り方は違うのでしょう。


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