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グノーシスとオウム

オウムという宗教を考えるなかで、世界の宗教史をひもといたことがあります。そのとき「オウムって、グノーシスに近いのかも…」と思いました。

「グノーシス」というのは、キリスト教以前からあった古代の宗教思想の流れで、グノーシス主義とかグノーシスの宗教といわれています。

麻原教祖は「オウムはヨーガ・仏教と同じ真理を説いている」と言っていましたが、正直にいうと、オウムはヨーガというわりには「救済、救済」という掛け声が大きいし、仏教というわりには神秘体験が過激で善悪二元論が強いと思います。

もちろん、オウムの教義が麻原教祖のヨーガによる解脱体験を基礎に、ヨーガ・仏教の世界観で組み立てられていることは確かです。しかし、オウムという現象全体を見たとき、ヨーガ・仏教というだけではどうもストンと収まらないように感じていました。

グノーシスの特徴は「反宇宙的」だと言われています。「この宇宙は悪だ」という前提からはじまり、悪なるこの宇宙を創造した神は悪魔であり、人間は悪の宇宙を善だと錯覚して生きているというのです。ですからグノーシスの思想では、この宇宙のどこにも真の幸福はありません。人間はこの真実に目覚めなければならず、このように目覚めることを「グノーシス」(=智慧)とよんでいました。

そして、グノーシスの神話では、悪なる宇宙を超越すること、そして「救済」や「救済者」の存在を強く物語ります。

グノーシスは、特定の教祖がいたり教典が残されている宗教ではありませんから、今となってはわからないところが多いのですが、「反宇宙的」という特徴的な世界観を持っていて、現世を否定し、出家し、瞑想修行をして光の世界・超越的世界を目指していたことははっきりしているようです。

ですからキリスト教の一部や、ヨーガ・仏教などもグノーシス主義の一派だとする見方もあります。東方のグノーシス的宗教といわれているマニ教やマンダ教の資料を読むと、光を重要視して物質を悪と見なすところ、徹底的な菜食主義、性的禁欲主義など、オウムの宗教世界と非常によく似ていると思います。

超世界的なるものがこの世のなかに顕現する形式としての呼び声という象徴は、東方グノーシスにとってきわめて根本的なものである。かくて、マンダ教やマニ教を「呼び声の宗教」と言うことさえできる。<中略>すなわち、信仰とは彼方からの呼び声にたいする応答であり。その呼び声を見ることができないが、それを聞かねばならない。
そして、呼び声はまた、世界の終末を告げる黙示録的な呼び声でもありうる。

『グノーシスの宗教』ハンス・ヨナス著

私自身オウムの書籍に出合ったとき、輝く子どものヴィジョンとともに「やっときたね」というはっきりとした声を聞きました。中川智正さんの手記には、オウムの音楽コンサートに行ったあとでクンダリニーが覚醒し、「お前はこの瞬間のために生まれてきたんだ」という声を聞いてオウムに入ったことが書かれています。麻原教祖もまたシヴァ神の声(神の示唆)によって導かれていました。

ところで、エデンの園の物語でもわかるように、一般的なキリスト教では蛇は「悪魔」の象徴とされますが、グノーシスの宗教では「救済者」だとされています。蛇で象徴されるクンダリニーというエネルギーによって解脱を目指したオウムとグノーシスは、こんなところも似ているような気がします。


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