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047. すべてが遠い

私が海中にいたのは五分だろうか、六分だろうか。私は助けられた。

すぐに近くにいた男性サマナが助けようと海に潜ろうとしたが、ウエットスーツを着ていたので身体が浮き上がってうまくいかなかったようだ。
もたもたしているうちに、ちょうど通りがかった地元の男性が海に飛び込んで、沈んだトラックのドアを開けて私を助け出してくれたのだという。

岸壁に引き上げられた私は、かなり海水を飲んだと思ったので、ガージャ・カラニーの要領で吐き出そうとしたがなにも出てこなかった。

「ガフヴァがまだなかにいる!」

だれかが叫んでいた。

「ガフヴァには携帯用酸素を持たせてる! 酸素持ってるはずだよ…」

大声で答える男性サマナの声がかすかにふるえていた。

後で聞いた話では、海に落ちた潜水艇に乗っていたガフヴァ(故・端本悟さん)は、潜水艇のドーム状のプラスチック部分にわずかにあった空気を吸って助けを待っていたそうだ。彼は潜水艇の操縦士のモデルを頼まれて撮影に参加していた。

救急車がサイレンを鳴らして到着し、私たちは病院へ搬送されたが、二人とも命に別状はなく簡単な問診だけで帰ることになった。

富士道場へ戻ると、すぐに麻原教祖のいる上九(山梨県上九一色村)へ行くように言われた。
第二サティアンの二階道場で待っていた教祖の前にすわり、ガフヴァと私は聞かれるまでもなく事故の状況を話しはじめた。トラックごと海に落ちてもう少しでおぼれ死ぬところだったこと、最後は観念してもがくのをやめたことなどを話すと、教祖はふんふんと聞いていた。

私は説明しながら、あんなに絶体絶命の危機だったというのに教祖はまったく知らなかったんだなと思った。教団では、グルは「神のような存在」「なんでも見通す神通がある」と思っている人が多かった。

「やっぱり、そういうことじゃないんだな…」と思った。

教祖は私に向かって言った。

「どうだ、まだ現世に帰りたいと思うか」

オウムを出ようと荷物をまとめていたことはすっかり忘れていた。

「こうして、死を突きつけられると、現世に帰りたいというより、生きていることの意味が…」

私はまだ事故の体験をうまく咀嚼できないでいたが、死に瀕して人生のラッシュフィルムのようなものを見たことを思い出し、自分のことしか考えてこなかった人生の虚しさがよみがえってきた。

「ただ、死ぬ間際に後悔する生き方だけはしたくないな、と思いました…」

すると教祖はとてもうれしそうに笑ってこう言った。

「自分でサマディに入ったな。なんだかんだ言いながらも、やっぱりデュパは神々に祝福されているなあ」

サマディとは、究極の瞑想状態「三昧(さんまい)」のことで、サンスクリット語で「死」を意味している。修行者は、瞑想で三昧の段階にくると自然に呼吸停止・心臓停止が起きて、いわゆる「死」の状態になるのだが、死を経験してまた戻ってくることができる。私が海底でおぼれずにすんだのは、サマディに入って呼吸が止まっていたからだろうか。

ガフヴァも私も、死を覚悟したときに見た空の青さが印象的だったと言うと、「今死んだら、二人は同じ世界に転生するな」と教祖は言った。

私はまた日常のワークに戻ったが、事故以来、ここにいながらここにいない感じ、この世界から一人切り離されて、すべてがとても遠くに感じられるようになった。それなのに、そこにいる人の考えていることや感じていることが手に取るように自然にわかった。

取材に行った先で、どこからともなく声が聞こえてきた。

成就修行に入るよ

富士に戻ると上長が言った。

「クンダリニー・ヨーガの極厳修行が始まることになって、あなたも選ばれたわよ。成就修行に入るのよ」

こうして私は、海で死の洗礼を受けて十日後、待ち続けたクンダリニー・ヨーガ成就のための極厳修行に入ることになった。今度は修行で、サマディすなわち「死」を目指すのだ。


(*)ガフヴァ・ラティーリヤは「ガフヴァ」と省略して呼ばれていた。彼は1989年11月4日坂本弁護士一家殺害に加わった。1991年12月5日沼津港で起きたこの事故は静岡新聞の三面に取り上げられた。


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