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「人前であがる」感情をコントロール

最初に経験談ですが・・・

 社会人になりたてのころ、人前でブリーフィングをしたり、大きな会合で司会をしたり、はたまた忘年会での幹事や宴会芸で緊張しまくったり。私が経験した、緊張した忘れられない出来事が沢山あります。
 大勢の人前で何かをすると「あがる」、「緊張」する。ひとたび緊張をする場面を翌日に控え、寝不足になったり、当日に壇上で足が震えたり、頭の中が真っ白になったり...そんな経験をした方は少なくないと思う。身近なところでは、披露宴の最後、新郎のお父さんの謝辞などで「人前であがる」という場面に遭遇することが多いのかもしれない・・・
 一方で私事ですが、中学などの弁論大会や人前で発表する機会が複数あり、その時は全く緊張をしてという記憶がない。しかし、なぜか社会人になってから、強烈な緊張感に襲われる記憶しか残っていないのである。

「人前であがる」理由とは

 最初に、その結論を整理します。それは以下のようになることだそうだ。これはある時、心理学の講義を受けた際、「ストレス」に関する講義をノートしたものからの抜粋です。

 ・「あがる」感情は現代人特有、原始人から遺伝される「本能」と関係
・「本能」は自分が自覚する以上に他人の反応を怖がる。

というわけで誰でも「あがる」ということ。人は、恐怖を感じる「暗闇」、無音などの「空白」や「間」など、恐怖に対し身構えるという本能をもっている。特に、見ず知らずの人が目の前にいると本能的に「敵」と無意識で判断し、戦闘モード移行する。戦闘は生死分かつもの。やられる前にヤル。瞬時の人は血圧を上昇され、アドレナリンを分泌し、仮に敵の攻撃を受け受傷したとしても、その痛みを感じないようにする。この状態が「人前で上がる」ということです。血圧が急に上昇すると心臓が「ばくばく」する。人前で「あがる」ということは、目の前にいる人を過剰に意識する時に起こる現象であると言える。

 つまり、人を意識すればするほど、不安は高まり、「あがる」感情も強まる。さらに、嫌だなと思うほど、困ったスパイラルが拡大する。
 よく、緊張をなくすため掌に「人」という字を書き、飲み込むと緊張しなくなる。しかし、人を飲み込むことで、群衆を意識しなくなることもあれば、逆に掌に書いた「人」の字で群集を余計に意識することもある。私は若い時は後者だったと思う。では、なぜ、学生時代は緊張もせず、社会人になると急に緊急するようになるのか?

高すぎる目標を持つと余計に人を意識

 中学など学生時代は「無心」である。しかし、社会人になるそうはいかない。「業績」や「良く見せたい」という思いが強くなる。当然である、昇給や出世などを気にしない訳がない。従って、人前で何かをする時における「目標」を勝手に自ら上げている。自らハードルを上げることこそ「人前であがる」原因になると推測される。あるいは、上司や同僚から高いハードル(目標)を付与されるので、必然的に高い目標を持たざるを得ず、余計に人を意識する。
 では、緊張しないためにどのようにすべきなのか 

 目標に対し着実に準備し、高すぎる目標を下げる

これに尽きる。講演を受ける時、講師が「レジメ」を準備することが多い。これは、人前における緊張を、つまり目標を下げるための知恵である。どんなに有識者であっても、その場の雰囲気で講演する内容がどこかに飛んでしまうことがある。場合によっては「口述原稿」を準備し、単に読み上げるなどの対策をすることが「人前であがらない」対策となる。

 この年になり、人前で上がることはなくなった。数百人を前に足が震えることも無くなった。慣れではなく、準備の仕方を習慣化したからであると思っている。