音楽理論①

引き合いにコード進行のお話をまじえながら語ります。
音楽理論というのは、まあなんといいますか
ドミナントとかトニックとかああいうやつです(適当)

現代の音楽理論って、むかし重んじられていた禁則だらけの和声、
つまりクラシック的な着想・発想からどんどん発展していって、
やがて「こういうのも実はいいんじゃない?」とジャズ方向に拓き
より即興性を重視した結果、生まれたものと私は認識しています。

ただどんな理論であっても“人間が耳で聴いたときにどう感じるか”
を体系的に示そうとしているのは共通じゃないでしょうか?

要するに、個人差はあるかもしれないにせよ
たいていの人は「この和音を聴いたらこう感じるだろう」、
「であればこれとこの音は親友、こっちはただの知り合い程度かな」、
「こいつらは敵同士だな」「この子だけなんか風格が違う!」
といった感じで、それぞれのサウンドがもっている印象に従って
はるか昔から偉い人たちが脈々とカテゴライズを進めていった……
その研究結果がまとめられたものが音楽理論、というわけです(暴論)
コード進行も、一般的にこれを軸に組み立てられてますよね。

ならば、常に“感情”が理論に先立っていることになる。
ゆえに私は、理論もツールとしては使ったほうがいいけれども
原則 自分が感じることを優先して作編曲をおこなうべきである、
そう考えております。実際、理論つよつよの人でも作曲するときは
結局いろんな進行パターンを耳で聴いて吟味しますしね。

ところで、耳>理論で作編曲をする際に問題となるのは
必ずしも王道の展開にはならないということ。

理論重視ならあまり王道から外れたりしませんけど、
感覚を頼りに創作を進めていくと「ちょっと尖りすぎかしら」と
マジョリティから逸脱した音ができてビビる機会が増えます。
でもこれって、ありふれた面白くないものをつくるよりも
クリエイティブで良い傾向なんじゃないでしょうか?

当然、プロとして音楽をやるなら必ず
大衆が望む(汎用的・古典的・普遍的な)作編曲の技術が必要です。
でもそうでない場合や、プロであってなお独創性を捨てたくない人は
ガチガチに最適化した自分用のプリセット、
楽曲を量産できるように整えたその環境からいったん離れて、
自分の感じる“良い”だけを信じて作業されてはいかがでしょう。

ちなみに……和音・コード進行の聴こえ方やサウンドの“良い”は
たぶん我々が想像している以上に、個人差がとても大きい部分です。
一般人・聴く専の人・実際に楽曲をつくっている人で大別した場合
それぞれ耳の肥え方がもう、まるっきり違っています。そんな中、
一番肥えているであろう「実際に楽曲をつくっている」我々は
“誰が聴いても納得できる音”と“自分が気持ちよくなれる音”を
耳>理論前提として、絶妙なバランスで配合しなくてはならない。

これは作業効率やコスパだけを見て作業している人にとっては
非生産的(供給量的な意味で)に映るでしょうし
労力に見合わないからやりたくないと思うかもしれません。
ただ「そもそも自分はなんで音楽をやっているのか?」
そこに立ち返る日が来た時、大切になってくる考え方だと思います。

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