親に毒されていた私が妊娠していろいろ皮むけた。

今日も元気にお子は動いています。

きっとこの子が居なかったら、私は今も毒親のもとで「親がいなければ何も出来ない」という呪いに毒されたままだったし(今もまだ解毒中)、旦那との関係も不平不満と自己憐憫のループをぐるぐるしていたと思うのです。

お子が来てからというもの、自分について抱えていた大きな謎が次々と解けて、なんだか不思議なくらい自分の精神がどっしりしてきてるのを感じます。

不妊治療中に、旦那があまりにも他人事で何度か「本当に子供を望んでいるのか」と尋ねたことがありました。体外受精の前の日にも、「子供が欲しいと思っていないのなら、明日の移植は辞めるけど」と念押しもして。でも彼は「子供は欲しい」と小さな声でつぶやくばかり。(後から思えば、「但し、不妊治療をしてまでは欲しくない」と心では思っていたのだね)

自分としても、治療の内容を説明しても、私の身体の負担についてお知らせしても、生活のノイズとしか認識していないだろうこんな旦那と、妊娠出産育児を共に戦ってゆけるとは思えなかったけれど、だからといって子供を諦めることはしたくなかった。だから移植日は、精子提供だと思って臨みました。こんな考えは自分勝手だと、批判されても仕方がないとは思っていますが、その時の私は「妊娠したい」という思いに囚われていて、必死でした。

ただ、せっかく妊娠できたってお父さんとお母さんの関係が良くないんだから、やっぱり移植は最初で最後にして、妊娠していなかったら離婚しようと思っていました。

でも、お子が来てくれた。

友人にこの話をした時に「お父さんとお母さん、離婚しちゃだめ〜って、赤ちゃんが急いで来てくれたんじゃない?」と言ってましたが、それよりも早く毒親と毒旦那に気がついて欲しくて来てくれた、の方がしっくり来ます。

私は、誰かに守ってもらいたいとずっとずっと思ってきました。(重い女です)

そして、親や旦那に守ってもらうことに費やしてきたこれまで。

その結果、今は無職だし生活力はなく、養ってもらいながらこうして愚痴を垂れている自分がいます。相当かっこわるい大人です。

でも、だから、これからは自分が嫌だって思った場所から、自分の足で逃げてゆける自分になりたい。

だって、お子にそんな自分を見られたくないから。

そう思うことが、私の内側にいま劇的な変化を生んでいるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?