私は母になれるのだろうか

私は母になれるのだろうか

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親に毒されていた私が妊娠していろいろ皮むけた。

今日も元気にお子は動いています。 きっとこの子が居なかったら、私は今も毒親のもとで「親がいなければ何も出来ない」という呪いに毒されたままだったし(今もまだ解毒中)、旦那との関係も不平不満と自己憐憫のループをぐるぐるしていたと思うのです。 お子が来てからというもの、自分について抱えていた大きな謎が次々と解けて、なんだか不思議なくらい自分の精神がどっしりしてきてるのを感じます。 不妊治療中に、旦那があまりにも他人事で何度か「本当に子供を望んでいるのか」と尋ねたことがありまし

    • じゃあなんでそんな男と結婚したの?

      昨日は夫の悪口ばっかり書いてしまったので、今日は私のことを。 かつての私は俗に言う「起業系キラキラ系女子」(皮肉を込めて)だった。 さほど儲けもなく、都会にいたらこんな人もいるよねーレベルの存在だと思うが、地方都市では割と珍しい職種だったり人種だったりしていたので、目立っていたらしく、役所に目を付けられて「女性の活躍推進」の為に利用していただいたり、地元のテレビに半年に一回くらい呼んでもらったりもしていた。 が、しかし、実際の私はキラキラ感とは程遠く、孤独で貧乏な日々を

      • 最初から温度差があったとは。

        昨日、なんとなく険悪だった夫との空気を変えたくて、私から誘って焼肉に行った。 私が里帰り出産を辞めて帰って来たい事は、実家にいる時から夫にはちょくちょく相談していたのだが、夫は帰ってきたらとも帰ってくるなとも言わず。ただ、帰ってきても自分はタバコを辞めたり、飲みに行ったりする生活を変えるつもりはなく、その点での不満を言われても困るから、と釘を刺されるだけだった。 実際に耐えられずに突発的に帰って来てしまった時には、笑って許してくれたけど、その後は何となく不機嫌な様子になっ

        • 結婚するまでのわたし。(幼少編)

          自営業の家に三人兄弟の末っ子として生まれ、何不自由なく育ってきました。 父親は優しい時は優しいのですが、怒りっぽく母や身近な人に些細なことで大きな声で怒鳴ることがありました。 母親は、抱きしめたり優しい声がけをしたりする事はなく、話も合わず、ただただ生き物の世話をするように私を育てました。 今思えば、生活するには不自由はありませんでしたが、愛情には飢えていました。 兄は穏やかで面倒見がよく友人の多い人でしたが、逃げ癖があり事なかれ主義。アラフォーで自殺してしまいました

        親に毒されていた私が妊娠していろいろ皮むけた。

          里帰り出産は耐えられなかった。

          36歳で結婚、39歳で妊娠することができた地方在住の女です。 実家と仲良しな訳でもなく、里帰りは不安もありましたが、体外受精+子宮筋腫+高齢妊娠のハイリスク妊娠。主治医、夫の勧めもあり刑務所に入るつもりで里帰り出産を決めましたが、3日でストレスを感じ始め、1ヶ月で動悸やお腹の張りなども出現。 耐えられなくなり、誰にも告げずに車で約二時間の自宅に帰りました。 どうして、こんなに里帰りが耐えられなかったのか。 帰ってきてから振り返ると、両親や家族に対するドロドロとした気持

          里帰り出産は耐えられなかった。