私は15歳である。本を読んでおけばよかったと後悔するような年齢ではまだない。
高校入学から2日目か3日目、ホームルームのコミュニケーションの時間、隣の人とインタビューをし合うゲームをした。質問は自由で、交互に行う。初対面だから、僕は彼女に当たり障りのない質問をする。「趣味はなんですか?」「本を読むことです。」「へえ。一番気に入ってるのは?」「変な家かな。」
今の時代、本を読むことを趣味にしている人がいるんだな、と思った。
その次の日。学校に到着してから、いわゆる朝の会までの時間は完全フリーな時間で、一応学校からは自習を進められている。そんな中で、ただひたすらに字を追い続ける人がいる。1人じゃない。2人でもない。10人は優に超える。40人のクラスでだ。一応県内有数の進学校だからか?中学校じゃ見たこともない光景だ。
その次の日。僕のクラスの担任は言う。「毎週火曜日を読書の日としましょう。これから本とプリントを配布しますので、朝の暇な時間にこのプリントに記載されたページを読んでください。」
配布された本とプリントに少し睨みをつけ、自分の分を取ってから後ろに回した。
その次の日。公共の先生は質問に答える。「先生が最近ハマっていることはなんですか?」「そうですね、本は大学生のときからよく読むようにしていて、毎年100冊は買ってますね。まあ2割くらいは積読ですけど。累計でいったら100万は余裕で使ってます。」
僕は「はぁ…」と心に向かってため息を付いた。
その次の日。現国の先生は楽しそうに知識をお披露目する。「ギリシャ神話、面白いですよ。読んでいないなんて勿体ない。ゼウスだったりポセイドンだったりっていう神様が出てきて…」「実は古代の人間は日食をこのように捉えたんですね。まず太陽の神様が洞窟にいて…」
僕は「ふぅ〜ん…」と思った。
どうやら、「本」とやらは凄いらしい。いや、そんなこと既に知っていた。当たり前のことなのに、どうも引っかかっていた。
心のどこかで本をバカにしていた。これは自分が本を読めない人間であり、それゆえに本を読める人間に対する嫉妬からくるものだと思う。
10か月くらい前、友達が読んでいたという理由で、図書館で「ハリー・ポッターと賢者の石」を借りた。読破した。あまり面白くなかった。固有名詞がわんさか出てくるものだから、それを咀嚼するのに時間がかかって、話についていけなかった。今思うと、読書のスタートにしては文字数が多すぎてあまり良くなかったんだと思う。その後も、本のジャンルを変えて何冊か挑戦したけれど、どうにも上手くいかなかった。一度も手を付けないで2週間が経って返却、なんてザラにあった。その都度多少の自己嫌悪が自分を襲う。
それからというもの、本を少し嫌いになった。「本の世界に引き込まれる」「本のない世界なんて信じられない」「本で人生が変わった」こういう言葉たちが、みな、嘘に聞こえた。そんなわけ無いだろうと。僕のこれからの人生に本は一切関わらない予定だった。
でも、高校に入って気づいた。本を読んでいる人の話は面白い。面白すぎる。ようやく気づいた。あまりに遅すぎた気づきだった。
現国の先生は僕に新しい知識をくれる。言葉を巧みに操り、話のオチでみんなをどっと笑わせる。ところどころ横道にそれているのに、やるべきことをすべて終え、終了時間ピッタリで授業が終わる。
語彙から話の作り方から、身振り手振りでさえ、僕とはまるっきり違う。
ああなりたいと思った。ただのおじさんなのにカッコいいと思ってしまった。なるにはどうするか?一番の近道はきっと本を読むことだろう。
多分だけど、字を読むことは好きだ。WikipediaとかQuoraは割と見る。その文字たちが「本」という媒体でひとまとまりになるとダメらしい。
その苦手意識を払拭するために、まずは本じゃなくて、Web上の文章で目を文字に慣らす練習をしよう。慣れたら、東野圭吾のような難しい小説でも、太宰治のような文豪でもない、もっと簡単な本を読む。きっと、「今後の人生に活かそう」みたいなインプットの意識じゃなくて、純粋に楽しもうとする気持ちが大事なんだと思う。東野圭吾はそれを手にしてからだ。
よし。今年の目標は「毎月1冊本を読む」にしよう。年間12冊、公共の先生と比べたらしょぼいし、周りからもそんなん目標のうちに入らないって言われそうだから、心のうちにしまうけど、実際0が12になるんだから、達成できたら自分からしたら相当凄いんじゃなかろうか。そんで、そうだ。読んだ本をこのnoteに記録していこう。ただ目で追うんじゃなくて、それを感想という形にして文字にしよう。そしたらきっと読書を楽しいと思える日が来るんじゃないだろうか。
いつか活字中毒になれる日を夢見て、でもそうなろうと生き急がないように、これからはまともに本と向き合おうと思う。
そういえば、小学校3年か4年のとき「マジック・ツリーハウス」というシリーズの本をすごく気に入ってたけど、あのときの熱意はどうしたんだろう。あっ、でもあのときもイラストがのったページを休憩地点としていた気がしないでもない。本質的なところは多分変わってないんだな。
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