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逃げれば一つ、進めば二つ。

 過去に戻れない以上「あの時ああしていれば…」などと、くよくようじうじと引きずるのは時間の無駄…と思う。思いはするものの、そう簡単に割り切れもしないような出来事は、生きていれば誰だって経験しているのじゃないかと思う。だって人間だもの。
 私は銀行員だった。既に退職して別の事業に従事しているが、未だに時々、私の心に刺さった棘のように、ズキズキと思い出される嫌な出来事がある。‘’人事が全て‘’の銀行において、私が人事に関心を無くした出来事が。

 私が銀行に入ったのは単純に仕事が面白そうだったからで、別に出世してやろうという意欲も薄かった。ほぼすべての試験を2回目でパス。先輩・同期・後輩を見渡してみても、証券外務員などの取得必須の試験に落ちている人は私くらいだった。今思えば、周りの人はどれだけ私がふざけているように見えたことだろうか。
 銀行員はとかく人事評価を気にする生き物だ。辞令が出ると誰がどこに異動しただのと良い異動・悪い異動の論評を始め、転任してくる人はどんな人でどんな評価を受けている人物なのか身辺調査を始め、誰かの辞令を事前に把握して次にどんなところへ異動するのかを推測するのに情熱を傾ける。「〇〇さんは△△さんよりも先に昇進をした。△△さんは辛いよね」などと噂話に花を咲かせる。
 私は、こういう銀行員の習性を「くだらないな」と思っていたのだが、皆が皆、人事評価絶対主義のもとに働いている様を見続けた結果、いつしか私も人事教に入信し、人事評価を気にするようになっていた。
 昇格年次が近づいてくると、更に「昇格で同期に遅れるのは恥ずかしい」などと考えるようになり、過去のマイナスは勝手に水に流して、とにかく人事評価を気にしていた。そんな頃に、その出来事は起こった。

 その日、いつもは無い夕礼の招集があった。
支店で夕礼をするのは珍しい。緊急の連絡事項がある時だけだった。
夕礼があるということは緊急の連絡事項があるということだ。
「何事だろう?」と 皆がロビーに集まる。
 皆が集まったのを確認して、支店長から「明日人事部の臨店がある。面談者は、佐藤、鈴木、高橋、森、林、仙。よろしく。」と告げられ、すぐに散会した。(仙=筆者)。
 銀行は人事が全て。故に人事面談は重要極まりない。特に私は一斉昇格の年次だったから猶更だった。
私は『おお、こんな今日の明日で人事が来たりすることもあるのか。頑張らねば…』と思い、横にいた高橋先輩に「大変ですね。明日とは。」と話かけた。
だが、先輩からは「うーん…あり得んよな…普通の人事面談じゃないぞ、これ。うーん…調査だな…明日誰が来るのかにもよるが…」という微妙な反応が返ってきた。

 高橋先輩は20年を超えるキャリアを誇る大ベテラン。もともと法人担当者で旧帝卒で、本部と大きな支店を行き来していたらしい。だが、銀行が合併するに際し、吸収された銀行の出身で、しかも合併前の銀行の経営が傾いていた時にそれなりのポジションにいた為に、合併後の自分や部下の処遇について「かなり騒いで揉めた」のだとか。そのことが原因でリテールの支店に配属されるようになったらしい。
 だが培われた人脈はずっと活きており、特に人事に探りを入れたりということをごく簡単にやる人だった。
 高橋先輩が席を立ち、戻ってきた時に「やっぱり、普通の面談じゃないぞ。これは。注意しろよ。」と私に忠告をしてきた。
「何を注意するんですか?」と私が聞き返すと
「これは調査だから。何か調べにきてる。明日、俺が1番手なのもそういう理由だろう。俺が面談した後、話するから、お前その時間外出るなよ」
高橋先輩はそう言った。
「そんな面談させんで欲しいです」と私。
「まあ、大丈夫な人を選んでるんだよ」と先輩。
そうなのか。無難にこなしてくれる、という感じで信頼されてるってことか。昇格の面談じゃなかった。残念だな。

 当時の私は融資業務を初めて間も無く、融資管理課長からかなり厳しめの指導を受けていた。指導といっても、融資管理課長から特に何か教えられることは無く、8時10分に提出したファイルが15時まで放置され、15時にファイルの中身を確認され、最初の誤植あるいはミスでファイルが返される。急いで修正して提出すると「15時以降にファイル提出するな!!失礼だろう!!」とファイルを机に叩きつけられて返却される。
また、外回り営業に出て15時以降に支店に戻ろうものなら「15時以降まで外訪してる奴は仕事できない!!」と言って、現物の受け渡しを受け付けない、とか。
そんなような指導だった。
つまり、私にとってとても大変な時期だったのである。
その日中の時間を、昇格と関係無い人事面談に割かなければならないのは、正直ちょっと辛かった。

 そして翌日。 人事の来訪と共に「誰が来たか」が伝わり…高橋先輩はもう動いている。席を立って(おそらくどこかに電話をして)戻ってきた。
「パワハラかセクハラ。どっちか。とりあえず皆には言うなよ。」

 私と高橋先輩以外の面談者は全員女性だった。
私は「はあ」としか言いようがない。
そして先輩が呼ばれ、15分ほどで出てきた。早いな。
 先輩が隣の机に着席後、先輩からメールが送られてくる。周りに悟られないように。
「4階上がってるから、時間空けてついてこい」先輩が席を立ち、言われた通り時間をおいて追いかけていった。 先輩から缶コーヒーを渡される。ごちそうさまです。
先輩が口を開く。
「良いか。良く聞け。誰かを刺したら、自分にも必ず返って来る。理不尽と感じるかもしれないが、そういうものなんだ。お前は昇格年次だろ?その辺確りと考えろ。」「これはパワハラの調査だ。」

 支店は良い人が多かったが、問題点が一つだけあった。
融資管理課長。
業務推進に絶対に協力姿勢を見せない。事務的なサポートもしない。
「自分の仕事は自分で完結するのが当たり前」と言って、定時で帰る。
実は面談の何ヵ月か前に、店内の配置換えがあり、新しく融資チームに林さんがやって来ていた。彼女もまた、私と同じような「ご指導」を受けていた。
 林さんはもともと窓口勤務で、年次も私よりちょっと上。スキルも確かなのだが、何より人格者で、皆から頼られていた。融資チームへの配置換えは抜擢人事で、窓口業務からの転身は非常に難易度が高いのだが、「林ならこなせるだろう」ということだったのだと思う。
 林さんは窓口にいる間はとても皆を助けていたにも関わらず、住宅ローンを覚えるにあたっての指導は「自分のことは自分で完結しろ。人に頼るな」ということで、慣れない業務を周りの人に聞くことすら許されなかった。
別に私は構わない(いや、やっぱり構う)が、そこは男女平等じゃなくてよかったのではないかと思ったものだ。

 林さんはよく泣いていた。それも分かる。
周りの人たちに何度となく壮行会も開催してもらったり、辛いけど頑張りましょうと励まし合っていたものだった。
 つまるところ。どうやら彼女、あるいは様子を見ていた第三者の通報があったようだった。そうに違いなかった。
通報を受けて、人事の調査が入ったのだ。

 『これ正直に言った方が良いんじゃないのか…もし通報者が林さん本人だったならば、もう限界が来てるってことじゃないのか…でも誰かを刺したら自分にも返ってくるって…』
私はどうすればいいのか分からなかった。 どうすればいいのか分からずに、面談の時間が来てしまった。
 見透かしているかのように、わざわざ待機していた高橋先輩が言葉をかけてくる。
「仙、やるなよ。返って来るぞ」

 支店長室に入り、人事に迎えられる。
これまでの経歴や今の仕事などを話し、質問タイムが始まった。
「支店の雰囲気どう?」
「上司はどう?ベテランの人多いけど。厳しくない?」
「周りの人はどう?」
など、それっぽい質問に対して、それっぽく聞こえないように回答をする。 「どうだろう。上司の指導で、パワハラと感じることはある?あるいは、他の人受けていた指導で、パワハラと思ったことはある?」
最後に 直球が来た。
「この支店でパワハラを見たことはありません。少なくとも、私がパワハラと感じたことはありません。」
私がそう言った時、人事部の臨店担当者は「そうですか。分かりました。以上で面談は終わりです。頑張ってくださいね。ありがとうございました」と言って、爽やかな笑顔を見せたのだった。

 逃げれば一つ。進めば二つ。
 私は逃げた。逃げて自分だけを守った。だって自分に返って来るのだから。しょうがない。高橋先輩も言っていたし。
 待っていた先輩に「どうだった」と聞かれ、内容を話す。
「うん。そうだな。」と言って、先輩は外出していった。

 全員の面談が終わり、人事部から支店長がフィードバックを受ける。かなり長く支店長室で話していたと思う。人事が帰ってからも、支店長はしばらく部屋から出てこなかった。
 
 その後。特に何もなく、融資管理課長が異動することもなく、変わらない毎日が続いた。融資管理課長は少し攻撃力が落ちた?ようにも感じられ、私も林さんも何とか生き延びていた。
 ある日、営業室に、あの日人事面談をした何人かだけがいる状況になり、誰かが切り出した。
「私、言ったんだよね。パワハラだと思いますって。林さんも仙さんも、可哀想だって。」
それを聞いた瞬間
「私も!」
「私も!!」
という感じで他からも声が上がった。
「なのに何で何も変わってないの?」と当然の疑問を誰かが口にした。
善意を無駄にしてしまった事実を突きつけられ、私はとてもいたたまれなくなった。
だが、しかし。3人もパワハラがあると証言しているのだ。その他がどう答えたとて、何も無いことなどありえない。
つまり、こういうことだった。
本件は支店長が握りつぶした。

 後から聞いた話では、融資管理課長は家族のトラブルを抱えており、精神的に非常に不安定だったのだそうだ。
それを聞いて思った。 あの時、逃げなければ良かった。
融資管理課長に引導を渡してあげた方が良かった。
あるいは、本人もそう望んで、あのような破壊的な行動に出たのでは? パワハラであった方が、全員が幸せになれたのではなかろうか。
パワハラで左遷されれば、「休憩」できる。
そんな風に考えるようになってから以後、不思議とその手の特殊な面接に指名されることは無くなったのだった。

 進めば二つ。
チームの課題に対して真っ向から向き合った自分が手に入る。
同僚をパワハラから解放できる。
それだけではなく、プライベートが仕事に影響を及ぼしてしまうほどネガティブな同僚を休ませてあげられた。結果、チームの生産性は劇的に上がったはず。手に入ったのは二つどころでは無かったと思う。

 あの時人事評価を気にしなければ、きっと進めていただろう。そしてそれは皆がハッピーになれる、正しい選択であったことだろう。
だが、出来なかった。出来なかったなあ。

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

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