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ファントム・ピークス

不必要なことを書かないありのままの恐怖

犯人当てをする物語ではないのであえて書くがその恐怖の正体は熊である。

解説で黒沢清さんが「不必要なことは書かないストイックさが、全編にみなぎっている」といっていたり、批評家の佐々木敦さんが「余計なケレン味を排した、シノプシス的な平明さこそ、本作の魅力だと思う」と評価しているように、この作品は自然や恐怖を誇張せずにそのまま書いている。その誇張せずに書いたことが、作られた恐怖では表現できない自然が持っているありのままの恐怖、危険性を鮮明に表現している。それがただただ、恐ろしい。

熊の事件では作中にもでてくるように吉村昭氏の「熊嵐」のモデルとなった三毛別熊事件が有名。

この事件は大正に起こったので、現代ではこのような事件は起こらないだろう思っている人がいるだろう。しかし、この本が刊行された2007年より後、2012年に秋田八幡平クマ牧場事件が発生する。この人災ともいえる事件とその後のほとんど同じようなことがこの本には描かれている。作者は書いた当時、このようなことが今後起こることを予見していたのだろうか。

作中、主人公の言葉に以下のようなものがある。

誰でも、自分だけは事件やトラブルとは無縁だと思って暮らしている。いろいろな不幸が巷にあふれているけど、まさか自分が当事者になることはないだろうと考えている。いざ事件やトラブルに巻き込まれても、最初のうちは頭のどこかでそれを否定してしまう。まさかそんなはずがないだろうってね。まさか、まさか、まさか……その連続ですよ。それからようやく事態の深刻さを自覚する。

今は色々なことが簡単にできる時代である。しかし、それでも人間は自然の前では無力であるのだとこの本は再認識させる。



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