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何もかもおしまいなら、何もかもできる -フランスのアーティスト集団「カタストロフ」による宣言

 2016年9月22日、新聞Libérationに、フランスの若手アーティスト集団Catastropheが宣言文を寄稿した。以下はその邦訳である。カタストロフは音楽を中心とした活動で知られるが、彼らの関心は多岐にわたっている。
 このどうしようもない世界で(カタストロフとはもちろん破滅という意)、いかにして希望を捨てずにいるか、(日本にはあまり見られないような)彼らの「世代観」と「世界観」は注目に値する。
 原文は以下の通り。

リベラシオンによるリード文

 シラけているのでもシニカルなのでもない、30歳未満の15人ほどが、自ら「カタストロフ」と名付ける運動に参加している。彼らは何もかもやる気だが、手段を問わないわけではない。(Prêts à tout mais pas n’importe comment.)

何もかもおしまいなら、何もかもできる

 私たちは袋小路のなかで育った。不安を生むようなちょっとした言葉の数々に囲まれ、それらは私たちの形成途中の脳のなかで、麻酔薬のように、凝集していった。子どもながらに、私たちは世界を認識し始めた当初から、その差し迫った終焉を意識していた。一日として、ラジオニュースで不健全な姉妹、「マダム・負債」と「マダム・経済危機」の名を耳にしないことはなく、2人の落とす影は私たちの頭のなかで日に日に膨らんでいった。彼女らは、遂には爆発して終わりのはずだった?いや違う、結局その重荷を背負ったのは、失業者と、社会保険のカバーできない穴、それからその手下のような、オゾン層にあいた穴。2本のタワーもそうだ、私たちが11歳の年の9月11日。こうしたサブリミナルなトラウマで一杯になった私たち子どもの頭のなかで、アポカリプスというアイデアは生まれた。2000年代はじめのことだった。

私たちは二十歳ではなかった、つまり遅すぎたのだ。

 高校では、私たちはまず、歴史はすでに終わったのだと告げられた。神、小説、それから絵画がもう死んだと説明された。資本の壁の上で、愛もまた同じだと教わった。まだ愛なるものの姿を見たこともなかったが、もはやその存在を信じる術を持たなかった。私たちの青年期はこのように過ぎたが、何ひとつ起こらなかったというわけではなかった。大学では、私たちは「ポストモダン」に出会った。ジル・リポヴェツキや、アラン・フィンケルクラウトや、マルセル・ゴシェの本で。この言葉は他の本にもしばしば戻ってきては、現代的なものとは一体何なのかを不明瞭に覆い隠していた。この決まり文句にはふつう皮肉な笑みが添えらえていたが、私たちもそれをよく理解せずに真似していた。私たちに押し付けられた三つ巴の図式「プレモダン、モダン、ポストモダン」は、読書のための図表、あるいはプライヤー(訳注:鍛冶屋で熱した金属を挟むペンチのような器具)として、中立的なもののように紹介されたのだが、それはすでにして、私たちがするべきことはもうなにも残っていないと結論づけていたのだった。人類の世界は、すでに物語のエピローグにさしかかっていた。共産主義の可能性?放火魔の妄想だ。68年5月?雪合戦みたいなものだ。進歩の観念?ヒロシマを見ただろう。ユートピアはもれなく馬鹿げたものとされていて、詩はアウシュヴィッツを経てもれなく野蛮にとされ、夢については、もう言うまい。私たちの野心は、ウォーホルのいう15分間の栄光へと縮こまっていて、つまり儚くてすぐに消えていってしまうのだった。他の時代との比較などもうできないという気持ちでいた。フランス人として、栄光への夢にはもううんざりしていて、歴史とは縁を切ってしまった。歴史に対する劣等感にやるせなくなったみたいに。常に、それが何なのか結論づけることなしに、自分をある世代の一員に位置付けてきた。それは、石像を前にしておのれの小ささを感じるような、遅れてきたものたちの世代だった。私たちは二十歳ではなかった、つまり遅すぎたのだ。

 ではどうすればいい?死ぬのだ、場合によっては。できれば、生きたままで。自分自身の亡霊になって、退屈と横柄さだけを動力にするのだ。モデルになるのは、誇大妄想的なアンチ・ヒーローたち。例えばミシェル・ウェルベック(「よく覚えておくように。あなたはもう死んでいる。」)、イヴ・アドリアン(『幻想化のげ F pour fantomisation』の著者、2001年に表向きには死んだ)、それかフレデリック・ベグベデ(「私は死んだ人間だ。毎朝起きると、眠りたいという耐えがたい欲求を感じる。」)。

もう一度問おう、どうすればいいのか?

 もうひとつの解決策は、悔やみ不満を持つこと。ミュレイやダンテックなんかとともに、ホモ・フェスティヴュス(訳注:祭りする人間、根本的に祭りを好む傾向が備わっている人という意)をののしる。昼はケアベア(訳注:クマのキャラクター)を痛罵し、夜には、慎んで、昔の騎士道の夢を見る。極端な厳しさを持つ、というよりむしろ、極端に行動する。爆弾になり、他人への憎しみを称揚し、恐怖を行使する。つまり、いまの状態にどう対処すれば良いのか考える代わりに、あるがままの世界を殲滅するために動く。諦めの新たなトリアードだ。つまり、消えるもの、悔やむもの、殺すものによる。そうはしない人たちのためには、忘却という線が残っている。例えば商品による慰め、余暇の楽しみによる感覚麻痺といった具合に。これらの態度はどれも身につけてみることはできるのだが、私たちが自分の姿として認められるようなものはひとつもない。では、もう一度問おう、どうすればいいのか?

 答えはシンプルなもの。生まれ変わるのだ、私たちの良いように。私たちはシェイクスピア劇の登場人物のように、社会のモデルとなることからは逃れよう。私たちはもう社会からはじき出されてしまっているのだから。シラけているのでは全くなくて、私たちには、新しい道をつくりだすこと意外にはもう選択肢がないのだ。広場はもう塞がれている?買いかぶりすぎ?では違うところに行こう、探検のために。栄光の三十年が遺した廃墟のうえで、私たちのうち幾人かは貧しさの極地にいるけれど、私たちはとても厳密に自分のしたいことだけをしよう。さらば、快適さ。さらば、安全。私たちが私たちの日々から得られることを、もはや親たちに理解してもらえないのだとしても、もうおさらばだ。私たちは、私たちが備えている愛によって、支えられているのだ。彼らも私たちへの愛情を持ってはいるが、こう繰り返すばかり。「もう解決策はない」。以上。

自律、多機能、器用

 政治の劇場で使われるもはや理解しようのない言葉からは距離をとったうえで、私たちが望むのは解放なのだと言おう。ある種の不安定さをうけいれなければならないとしても。システムD(訳注:DIYなど一人で生きるためのティップスを提供するサイト)は、賃金頼りの生活に対する可能なオルタナティヴとして開かれている。私たちの小さな試みの数々は、私たちにとっては同じものだが、より大きな制度のすぐ隣にある。世界の余白で、インターネットを活用しつつ、私たちは柔軟なミクロ経済の可能性を探っている。そこでは仲介者的存在はショートカットされる。私たちは私たち固有の蜜を、生産し、配分するのだ。もう何ものも、私たちと音楽との間に立ってはいない。エネルギーと信念さえあれば十分に曲を作れるし、コンピューターでミックスして世界中に広めることもできる。私たちはコスモポリタンだが、実践においてはローカルだ。限られてはいるが、実際住めるのはそこしかないという範囲の中で、私たちは私たちらしいものをこしらえ、それを分かち合う。私たちのデジタル菜園(訳注:市民の発案をもとにネット上のサービスを作るアトリエ)では、私たちは関係をはぐくむ、現実の生における関係を(=In Real Life、Uniform Resource Locatorのように)。そして私たちの情熱、知識や面識、そして内的な生の微妙な差異を取り交わす。あらゆる場所で、私たちは私たちの時間を取り返す。会話に時間を費やして、私たちは新しいものを示すための新しい言葉を創りだす。私たちは自律していて、多機能で、器用に手仕事をこなす。自分たちの可能性は努力を尽くすことにあると意識しているために、私たちはシニシズムと不平不満を拒否する。パスタを食べなければならないとしても、私たちは嫌がらずに食べる。ヴァカンスを犠牲にしなければならないとしても、私たちは我慢する。私たちは服を、住居を、考えを交換する。

 騒がしくなく、地味で、ローカルで、誰かを説き伏せることなど望まない革命が、すでに起こったのだ。私たちはこれから、決まった地位を持たず、喜びに満ちた余白へと身を引くことを受け入れる。それは必要にかられてなのだが、好んでそうするようでもある。未来は私たちのために、荒野の中にある。未来はまだ残るテラン・ヴァーグの中にある。そこには新しいルネサンスが到来するだろう。私たちは、社会とその行く末に、もう何も求めないし、何も期待しない。私たちが作るのだ。何よりもまず。そして脆さを厭わず。

 ある程度まで達すれば、絶望もひとつの妙薬となる。何もかもおしまいなら、何もかもできる。私たちは死の後にあって、ある種の狂気にとらわれている。すでに高々と昇ってしまった風船と同じように、私たちにはもはや降下し戻ってくることはできない。目印のない空の中で、私たちは新たな色彩を探すのだ。世界とは、生気なく陰鬱な塊のように見えるが、そうではなく、成形することのできる生地のようなものである。様々に彩られたたくさんの未来が私たちを待っている。怖がることはない、もう失うものは何もないのだから。

最後にカタストロフのサイトを紹介しておこう。


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