カーディガン


拝啓、外はだんだんと暖かくなり、アクリルのセーターを一枚だけ被って出掛けられる気候になってきました。


「アクリルと言われても、もしかしたらピンと来ないかも知れませんが、ウールよりもも少し温暖に適した生地のセーターです。ピンと来ましたか?来ませんか。
そうですか。」

「「まぁ、それは良いのです。この度のお手紙には何の因果もありませんので。」」

「ただ、アクリルというのは良い生地ですよ。文明的です。思いっきり洗ったって、こいつは潰れません。あなたも是非、アクリルのセーターを買い求めてみては。」

「「いえ、もうアクリルは良いのです。さきに申し上げたように、このお手紙を寄越したことには何の因果もありませんから。」」

「あなたは前に、着るものに困っていると仰っていたので、一応、お知らせしたかったのです。それを仰った日から、あなたは一度だって私の店に来ないじゃありませんか。
私はまず、お身体を心配しました。が、どうやら随分お調子は良いようですので、次には心の方を心配しました。こちらはあまり、良い調子ではないように思われます。如何ですか?よろしくないのでしょう。」


「よろしくないと仰っていただかないと、
私の方で酷く狼狽してしまいます。
ですから、あなたが心を患っているていでこのお手紙を書いていこうというわけです。」

『この間、三重県の鈴鹿に行ってまいりました。駅に着くや否や、鈴鹿サーキットとやらの案内がそこら中に散りばめてあって、どう考えたって、その鈴鹿サーキットとやらには辿りつけそうでしたよ。あなたは、鈴鹿サーキットとやらには行かれた時分がございますか?私は、どうやらあるのです。
それも小学生の時分でしたから、ほぼほぼ記憶からは消えているようなものですが、
今回あなたへ書くお手紙の為に、一生懸命思い出してみたのです。
すると存外、思い出せるものなのですね。あなたが今この手紙を書いている私の横っちょに座って居られたら、
一生懸命に一つ、一つと思い出しては歓喜している私をお褒めになることかと思います。

さては、うざったらしく思うかしら。まぁそれはあなたの方でけじめをつけていただければ幸いです。あれは小学生の頃、通っていた算盤スクールのレクリエーションで、それも選ばれた生徒のみが行けるレクリエーションというのは、私が通っていた算盤スクールの名物行事だったのです。
お分かりですか?
「選ばれた生徒のみ」が行けるのです。そして記憶を辿ってみると、私は鈴鹿サーキットに行っているのです。これは、不思議な事ではありません。
これでも小さな田舎町では、
優秀な「ご明算っこ」で通っていたわけですから。あの時分は、"願いましては"と言われれば、何でもご明算に導くつもりでした。
そう、鈴鹿サーキットに行ったのです。
私も女ですから、こんなサーキットに重きを置いたような名前のアミューズメントパークを思う存分に楽しめるのだろうかと、不安さえ感じながら当日を迎えたのです。それがどうです?楽しくって楽しくって、仕方がないじゃありませんか!あなたはご存知無いかもしれませんが、どうやらその「時速何百キロとかで走る高速ジェットコースター」が有名だとかなんとか、男子が口々に騒いでいました。

あれには私、その日何度乗ったか分かりようもありません。何せ楽しくって、無我夢中でしたから。「選ばれた生徒のみ」が味わえる快楽とでも言うのかしら。ゴーカートにも乗りました。あれは幾分か子供騙しのようにも感じられました。無我夢中と申しましても、なにぶん自意識だけは最強でしたから、私も考え無しに最後の最後までただ遊んでいたわけじゃありません。
高橋先生は算盤スクールの先生で、もちろんそのレクリエーションにもご同行されていました。私は疲れ果てて、ふと、高橋先生はなぜ私たちに、こんなただ楽しい時間を過ごさせるのかを考えていました。だって、おかしいじゃありませんか?算盤にはなんの関係も無い、わざわざこんな辺鄙な町の、子供騙しのサーキットでただ日が暮れるまで遊ぶことがいったい何を意味するのか。
私はそれが気になってからずっと、お土産売り場の前のベンチで一人座って考えました。友達が気を遣って声をかけてくれても、私は押し黙っていました。そして私は考え至りました。
このレクリエーションには裏がある、と。
裏と言うのは何も画策じみたそれという意味合いではなく、高橋先生の思惑があるのではないかと、そう考えたのです。そしてその思惑とはーー
こればっかりは、小学生の私には分かりかねる問題でした。しかし今大人になって考えてみると何のことはない、"はじきだせ"という思惑。ゴーカートを乗り回す子供が流れてくる数字から"はじきだそう"とする光景が浮かびませんか?
浮かびませんか。私も浮かびません。

書いて、がっかりしているぐらいです。あなたはいったい何を病んでおられるのでしょうか。それを解き明かしたいのです。
あなたは、私を意識しているのでしょう?こればっかりは誤魔化せませんね。いっそ負けをお認めになった上で、勝ちにいくのはどうでしょうか。これで、仲良しですよ。
だけど決して誤魔化したり、憎たらしい振る舞いだけはやめていただきたい。
そういうものに私は酷く敏感な人間です。
"首が落ちた話"をご存知ですか?「我々は我々自身があてにならない事を、痛切に知っておく必要がある。実際それを知っているもののみが、幾分でもあてになる」そうですよ。
あなた、間違えてもグルメなんて面白くない人間にだけはなってはいけませんよ。
生活の中に寄生するグルメです。あれは人間を肥満にします。いえ、決してグルメを悪く言う気は、毛頭ございません。
言ってしまえば、スターとファンの違いなのかもしれませんね。
その間には随分差異があるように思われます。グルメスター。
面白いですね。そんなものが、あるのかな。「みんな、ありがとう。」なんて言って、寄生するグルメ。程々に。アクリルだって、使い過ぎれば潰れます。敬具 』


差出人不明の、というのも、差出人は書いてあるがその人物を知らないわけで、とにかく僕はこの手紙を読んで、やりようの無い怒りが込み上げてきた。しかし今日は愛する彼女とデートの約束があるから、その怒りは直ぐに止んだ。外は晴れて、ベランダではシーツが翩翻とひるがえっている。空気が乾燥していれば結構乾くわけで。彼女が忘れて帰ったウールのカーディガンがこたつの向こう側でだらしなく転がっている。僕は、まだまだ寒い日が続いてくれと、願うばかりである。

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