【鬱になっちゃった話】肆
前回のお話⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎
「ここまで来てくれて、ここに来ようと決意してくれてありがとう」
と先生から言われた時、誰にも心を打ち明ける事をせず死を選択してしまう人も少なからずいるという事を何となく理解できました。
今思えば母が私の元に来なかったり、病院に行こうと進めてこなかったりしたら、私は生きる選択をしなかったかもと思います。
散々辛い思いをして、なることなすこと正当化してるって思ったり思われたりしてると考えたら生きてても楽しくないし、どう生きていけばいいのか分からなかったから。
勝手に嫉妬されて裏で悪口言われて、どんどん自分の周りから人が居なくなっていくのなら、最初から自分はいなかったことにしといた方が自分も楽になるって思ったから。
先生に色々な事を聞かれました。
何が怖いのか。
何が不安なのか。
何が辛いのか。
どんな趣味を持ってるか。
どんなことをしてる時が1番楽しいか。
今は何をしてることが多いのか。
何をするのが面倒なのか。
泣いている私を責めることははく、
寧ろ泣いてて聞き取りづらいだろうに、
先生はうんうんと話を聞いてくれました。
ただその時の私は考えるのも億劫で、
今まで楽しかったと思ったものは楽しくなくて、
友達も家族も敵に思えるし、
忘れっぽくなったように感じるし、
お腹も空かないし食べようと思わないし、
朝を迎えるのが嫌で寝たくないし、
真っ白い壁を見てると何も考えずに済んでいい。
そんな事を伝えたように思います。
(記憶が疎らなので多少違っているかも…)
時が進むこと、自分がまた1日存在してしまう腹立たしさ、そればかりが頭にあってとにかくしんどかったです。
そこで先生に言われたのは、
「1日一言でもいいから日記を書いて欲しい。日記じゃなくても、買い物リストとか、何時に何処に出かけるとかそんなもの。忘れたら困るものあるから、ノートに何か書いてみて」
でした。
また、何も考えられない原因の一つに、睡眠障害があるだろうと眠剤と数時間でも気持ちが楽になるようにと安定剤を貰ってまた来週来てくださいと言われました。
その後母が先生に呼ばれて何か話をしたみたいでしたが、私は詳しく聞きませんでした。
診察室から出てきた母の顔は何処か悲しそうで、私は「あ、私今お母さん悲しませてるな」と実感。
分かっていてもどうする事もどうすればいいのかも分からなくて、気付いていないふりをしました。
病院を出て母から言われたのは、
「スマホ買い換えようか。あんたの友達が連絡取れないって態々家まで来てくれたんだよ」
「連絡を返す返さないにしろ、友達に心配かけすぎるのはダメだから連絡つくようにはしときなさい」
怒ってはいなかったけど、近くに住んでる訳じゃないんだから連絡が急に途絶えるのは本当に吃驚するならもうやめて欲しいと。
そして最後に笑いながら「友達に愛されてるね」と言ってきて、はじめはそれも上辺だけと思っていたけど、スマホを買い換えて友達からの連絡が来るようになって少しずつ気持ちに変化が訪れました。
その気持ちの変化は数ヶ月後のこと。
意を決して静岡に一時帰宅した時でした。
住んでる場所から東京駅までの電車は、本当にしんどくて何度も何度も途中下車。
胃がキリキリして気持ち悪くて、頭がクラクラして立っていられなくて。
人の喋り声も気になって仕方なくて、イヤホンつけてガンガンに音楽を聴いていました。
新幹線は親からグリーン車で帰ってくれば人が少ないと思うからお金渡すからグリーン車で帰ってきなと言われ、グリーン車で帰宅。
帰ったのが平日という事もあり、東京まで両親が迎えに来るのは厳しかったのですが、母が静岡駅まで迎えに来てくれました。
私の姿を見つけた母が私に駆け寄ってきて
「おかえり、疲れたでしょう?今日はあんたの大好きなビーフシチューだよ!ルーだけなら食べられるよね?」
と私の好きなものを作って待っていてくれました。
1週間東京にいた時も私の好物を沢山作ってくれたし、無理には聞いてこなかったけど私に何が今までにあったのかを母はちょこちょこ聞いてくれました。
その度に
「嫉妬されてんだよ」
「自分を正当化してるは向こうであんたじゃない」
「人を傷つけてまで自分を守ろうとする人にいい事なんて起こらないんだよ」
「そういう人には似たような人間しか近寄ってこないから本人が自分を受け入れてくれると感じてても第三者からしたら傷の舐め合いしてるようにしか思わないだろうね」
と私が表せなかった怒りを変わりに露にしてくれました。
変だと思ってるのは自分だけじゃない
そう思わせてくれるのがどれだけ有難いのか、今になって漸く分かってきました。
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