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隣の彼は逃亡者だった話

社会不適合、非モテの30代女が日本社会に疲れ、安らぎを求めて降り立った場所は、ネパール・カトマンズ。早速、空港からタメル地区にある宿に向かう。

私は通常、交通機関があるときには交通機関を使う。
タクシーはできる限り使わない。一人では使いたくない。
理由は、ぼったくられたり、目的地ではない場所に連れて行かれてしまう可能性があるからだ。

しかし、カトマンズは空港からバス乗り場がやや遠いらしい。
(ネパールなら大丈夫な気がする)という根拠のない考えのもと、事前にリサーチした金額で交渉し、宿までタクシーで行くことにした。

が、タクシードライバーがその宿を知らず、近辺の人に道を尋ねながらようやく宿に到着した。日本人バックパッカー御用達のゲストハウスである。

案内されたドミトリーには、男性が一名いた。
Tシャツにジーパン、頭にはネパール人の男性がかぶる「ダカトピ」という帽子。

「こんにちは」というと、「こんにちは」と返事をした。
「日本人ですか?」と聞くと、「あ、うん、日本人だよ」と答えた。

すると突然「トレッキング興味ある?カトマンズで一番信用できる旅行会社紹介してあげよっか?」と言われた。
「トレッキングに興味がない訳ではないけど、絶対契約しなくてもいいなら紹介してほしいかな」と答えた。
「じゃあ、早速行こう」と言われ、その日は移動で疲れているからのんびりしようと思っていたが、急遽タメルの街に繰り出した。

彼はかなりネパールが大好きで、この街のことをよく知っていた。
初めての私にとっては、彼がどんどん進んでいく道が全くもって覚えられない。(今一人で帰れと言われたら絶対無理!)

カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社に到着。

そこの会社の社長を紹介され、早速「で、何日でトレッキング行く?」と聞かれる。「あのーよくわからないんですけど、友達が半日だけ行ったって言ってたんで、私もそれぐらいでー」と言ったら、「半日だけなんてもったいない。せっかくネパール来たんだから、ちゃんとトレッキングした方がいいよ」と言われた。

「ちなみにトレッキングっていくらぐらいかかるんですか?」と聞くと、ツアー代のほかに、ガイド代など諸々含めて結構なお値段だった。

ネパールに来る前は、「せっかく行くんだから、エベレストやヒマラヤを間近に見たい」とも思っていたが、はっきり言って、値段を聞いたらパタリと気持ちが覚めた。

もともと体力に自信がないし、ガイドに付き添われながら山を登るのも、気を遣ってしんどい気持ちがあったから、旅行会社の社長には「検討します」と言っておいた。

さて、この旅行会社に私を導いた彼だが、私が勧誘されている間、ほかのスタッフとおしゃべり。ネパール語を習い、日本語を教え、ランゲージエクスチェンジ中だった。私もお邪魔し、初めてチャイという名のミルクティーをごちそうになった。

カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社を後にし、お腹が空いたので、彼とネパールの餃子「モモ」を食べに行くことにした。

モモを食べながら聞いたのは、彼は昔ネパールのビジネスビザを取得してこのカトマンズで働いていたらしく、娘もネパールの学校に通っていたらしい。

夕方になり、彼は、夜ごはんは仲のいいネパール人の友達の家で食べるというので、私は宿でのんびりすることにした。

のんびりしていたら22時ぐらいに、彼が部屋に帰って来た。
なんだかよくわからないけど、落ち込んでいる模様。

そして「ねぇ聞いてくれる?!」と言って、友達の家であったことを話し始めた。今日初めてあった彼のことをよく知らないし、突然のことで困惑したが、それでも聞くだけで彼は落ち着くようだったのでただただ聞いた。

要するに、彼は何か悩みを抱えていて、それを友達の家で話したところ、思った以上に真剣に向き合ってくれて、逆に辛くなってしまったという。

その彼が抱える悩みについては、聞いたところで相談にのれる自信がないのであえて聞かなかった。聞けなかった。

空気が重たくなってきたので、「全然関係ないこと聞いていい?」と言って、話題を変えてみた。すると「気持ちを切り替えたいからどんどん質問してくれ」と言われた。

と、いうことで職業から聞いてみると、彼は進学塾の講師で英語を教えていると言っていた。あとはとても凝り性、コレと思ったことには全身全霊でのめり込める人。マジックやピアノなどかなり上手いらしい。

話をしていて感じていたのは、彼はとても器用な人。でも生き方はとても不器用。プライドが高く、人に弱みを見せられない人だと感じた。

日が変わる頃、彼はようやく落ち着き寝ることにした。
彼はぼそりと「(君が)いてくれたよかった」と言った。
私は何もしていないが、彼の力になれたならよかったと思った。

寝るとなったら、私はすごい勢いで眠りのスイッチが入る。即爆睡。
だがしかし、うめき声で目が覚める。
隣の彼が、「ウワーっ、ウォーっ」と言いながら金縛りにあっていた。

日本を発つ前、母が金縛りにあっている姿を見たところだったので、すぐ金縛りにあっているのが分かった。

彼を起こして、金縛りから解放してあげようか迷ったが、本当に金縛りかわからないのでとりあえずしばらく見守ったら治まった。

ネパール2日目の朝、彼は言った。
「もしゆっくりできるなら(僕が帰国するまでの)あと2日はここにいてほしい」と。私は、ネパールにはのんびりするつもりで来たから「分かったよ」と答えた。ちなみにやはり昨晩は金縛りにあっていたとこのこと。

その日も朝から、カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社に少し立ち寄った後、ネパールの代表的料理・ダルバートを食べに行った。カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社の社長がお気に入りのお店らしく、ネパールっぽくない都会感のあるレストラン。Wi-Fiも飛んでいる。

そして、初めて見たダルバートの量に圧倒。食べる前からお腹いっぱい。そして食べきれなかったが、美味しかった。

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ダルバートを食べながら聞いたのは、彼と仲がいいネパール人の友達や家族との共通言語はネパール語らしく、その友達ともっと仲良くなりたいからネパール語を勉強しているという。

会話をしてうまく伝えられなかった内容を、カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社のスタッフに教わって、また会話をして、教わって・・・そんな感じで勉強していると言っていた。

ダルバートを食べた後、彼の友達のストール屋に行った。
そのストール屋の友達との共通言語は英語。ストール屋の友達の英語は恐ろしく訛りというか巻き舌加減が激しく全くもって聞きとれず、その場にいるのが苦しくなった来たので、私は一人で観光することにした。

訪れた観光地「ダルバール広場」は、2015年の地震でところどころ半壊、倒壊している。そんな崩れそうな建物の下で、くつろぎながら談笑している人もいる。偶然タイミングが合い、クマリの館でクマリにも会うことができた。

夕方になり宿に帰ると、ドミトリーに新しい宿泊者が来ていた。オーストラリアに住む日本人の女性で、私と同じ30代。ご飯を食べに行ってくるといってすぐに出て行った。

私もその後、晩ごはんを軽く食べにいって、宿でゆっくりとしていると、先ほどの彼女が帰って来た。そして少しお話をした後、「疲れているから寝る」といってすぐに寝た。

私もうとうと寝るモードになってきた頃、いつもの彼が宿に戻ってきた。ネパール人の友達の家でトラブルがあったらしい。同じドミトリーの彼女は寝ているので、ロビーに出て話を聞いていたが、私が眠そうに見えたらしく、「今日はもういいや」と言われて、私は寝ることにした。

ネパール3日目。
今日は私がネパールに来たミッション"インドビザの申請準備"を実行することにした。が、その日はネパールの停電時間が強烈に長く、ネットカフェは昼の14時~3時間ほどしか使えないとの情報。

というわけで、いつもの彼も「今日はひまだ」というので、今日は英語を教わることにした。さすが英語を教える立場なだけあって、私の弱み・強みをズバリと見抜き、覚えるコツなどを教えてくれた。

そして、この日も、カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社へ立ち寄った。14時になり、旅行会社のスタッフに相談したら、インドビザの申請用紙の入力とプリントアウトをそこでさせてくれた。

次に、昨日と同じくまた、ストール屋の友達のところへ立ち寄った。
明日、いつもの彼はネパールを発つ。ストール屋の友達は「彼がいなくなっても、英語の勉強を兼ねてここにおいで」と言ってくれた。

夕方になって、いつもの彼は、ネパール人の友達の家へ行くのを迷っていた。昨日トラブルがあったのに行っていいものなのか、迷った末に彼は行った。同じドミトリーの彼女も、どこかへ出かけて行った。私は今日も晩ごはんを食べた後、宿でのんびり過ごした。

夜22時頃、二人が時間差で帰って来た。
同じドミトリーの彼女と話をしているところに、いつもの彼も入って話をした。「悩みがあるときどうしてる?」という彼の質問から始まり、深い話からそうでない話まで色々話した。

ふと、いつもの彼が部屋を出て行った時、同じドミトリーの彼女が、「彼、なんだか心配だね」と言った。「私も知り合って間もないけど毎日話だけ聞いているんだ」と答えた。

いつもの彼が部屋に戻って来て、電気を消して、各々のベットに寝転がっている状態で、天井を見上げながら、日にちが変わってもまた、延々と三人で話した。そして徐々に眠りについた。

ネパール4日目。
眠い。夜更かしし過ぎた。
そして、いつもの彼とお別れの時がやってきた。
「日本に帰ってもいつでも連絡してね。話ぐらい聞くよ」と言って連絡先を聞いた。そして私は「大丈夫?死んじゃだめだよ」と伝えて別れた。

ネパール5日目。
これまでいつもの彼と過ごしていたので、なんだか不思議な感じ。教えてもらったメールアドレスに、これまでネパールを案内し、友達を紹介してくれたこと、英語を教えてくれたこと、感謝の気持ちをしたためて送った。

その後、観光地「スワナンブヤート」へ。過去にここへ来た友達がおすすめできないと言っていたが、ここまでは徒歩で来てみた。激・疲労。さらにその後、急な階段を上ってようやく寺院に到着。経験者のアドバイスは素直に受け止めようと思った。

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ネパール6日目。
私はカトマンズを離れ、ネパール第二の都市「ポカラ」へ向かうことにした。早朝に長距離バスに乗って、久しぶりの陸路移動にワクワクした。

ネパール7日目。
いつもそばにいた彼からメールの返信が来ていた。彼もまた私に感謝の気持ちを伝えてきた。そしてまた返信した。

ポカラに着いてから、私はトレッキングに行ったり、ヴィパッサナー瞑想の合宿に行ったり、Wi-Fiにつなげない環境が続いたりして、いつもそばにいた彼からのメールが確認できずにいた。

確認し返信した後、彼からのメールが途絶えた。私は(忙しいのかな)と思って特に気にしなかった。

ポカラに一か月弱滞在した後、久しぶりにカトマンズに戻った。
そして、以前に滞在していた宿に戻ると、カトマンズで一番信用できる"らしい"旅行会社の社長に偶然会った。

そして社長は言った。「彼、捕まったよ」

私はびっくりした。「なんで?何かしたの?」と聞いた。
「罪を犯して、怖くなってネパールに逃げて来たみたい。今回彼はネパールに来たときから様子がおかしかった。」と社長は言った。
詳しくはわからないが、彼は自分の娘に罪を犯してしまったらしい。

彼が犯してしまった罪は許されることではないが、だからと言って彼を嫌うことはない。私は、彼がいなかったら体験できなかったであろう、ネパール時間を過ごすことができた。

ネパールはたくさんの観光地があるわけではないし、計画停電の時間が長いし、部屋は常に薄暗くて、Wi-Fiもすごく不安定で無いものづくしだが、その分、現地の人や旅人同士の交流が色濃く印象に残る場所だと思った。

※2016年4月19日~23日、5月19日~29日 ネパール・カトマンズ
「Over30女子バックパックでアジア周遊」

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