来た道とこれから歩く道と
ずっとずっと将来の夢がなかった。
一番嫌いな質問が「将来の夢はなんですか?」だった。
小学生の頃、みんながやれケーキ屋さんだのお花やさんというありがちな夢をバンバンあげているときでさえ、答えられず俯いていたし、小学3年生の頃にみんなが将来の夢のテーマで図工の時間に作った作品でも将来なりたい職業を作る中、1人だけ鳥に乗って空を飛びたいという半分ふざけた作品を作った。結果としてそれは稀に見るテーマが大人たちにうけたのか賞をもらった記憶があるけど、そのくらい夢というものがなかった。
中学に上がり、具体的な職業を周りが上げていく中、反抗期真っ只中だった私は過保護な両親の絶対に都会に出させない宣言を受け、当時の私は将来の夢を都会で一人暮らしをすることにな設定した。今考えればやりたいことあっての都会で一人暮らしなのにやりたいこともないのに一人暮らししようなんてちゃんちゃらおかしな話なんだけれども。
高校で反抗期も治まって来た田舎育ちの私は、将来について真剣に考えることをしなかったから、親に言われるがまま、一人暮らしができるということと将来について考えるモラトリアム期間が得られる上に遊べる(大学生は毎日遊んで暮らしているイメージだった)というあまりにも単純な理由だけで地元の大学を受験した。(私立に入れる金や都会に出す金銭的余裕は1mmもないと耳タコレベルで言われていたし、自分で奨学金を全額背負い、かつバイトを掛け持ちしながらでも勉強したいという熱意はなかった。大学には行きたかったけれど)こんな適当な理由での受験で勉強に身が入るはずもなく、結果は惨敗だった。
ただ一人暮らしをしたいという夢だけは捨てきれなかった(まだ言う)ので、実家から1年制の専門学校に1年間通い、19歳で家を飛び出るように遠く離れた街に就職した。
着地が夢が見つかったとかだったらいいのだけど全然そんなことなくて、毎日毎日始発でサラリーマンのおじさんに挟まれながら時に駅と駅の乗り換えをおじさんたちとダッシュしながら、周りを見渡してもそんな若い女の子は全然いなくて、それでもこれが私の選んだ道だからやるせない気持ちになっても毎日必死で通勤してお仕事を終えて、疲れた足を引きずりながらお家にようやくたどり着く。たとえ、この春大学に入学した弟からこんなLINEがきて悔しくて喉から3m手が出そうなくらい羨ましくても
それでも毎日を生き抜くことしか私にはできない。
夢ってあった方がいいのかな。これから私にも見つかるのかな。見つけられるような人生にしたいな。
秋元康さん作詩の最近のすきな歌詞
生きることはペダルを漕ぎ続けること
誰も苦しいものだ
自分のためだと答えは出ている
どんな道のりも人生だ
ペダルと車輪と来た道と/STU48
※弟は優しいやつなのでラインにきっと悪意はないはず☺️
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